逆説的だが、田舎にいるより都会のほうがよく運動する。
田舎の移動手段は車。都会は電車。電車は立つが車は座る。意外にも都会のほうがよく体を使う。
同様の理由で、都会人より田舎人のほうがCO2排出量が多い。田舎は自家用車、都会は公共交通機関。以上。
逆説的だが、田舎にいるより都会のほうがよく運動する。
田舎の移動手段は車。都会は電車。電車は立つが車は座る。意外にも都会のほうがよく体を使う。
同様の理由で、都会人より田舎人のほうがCO2排出量が多い。田舎は自家用車、都会は公共交通機関。以上。
映画から見た、アメリカ社会に思うこと。
アメリカでは窃盗が多そうなのに、当たり前のようにオープンカーに乗っている。普通の車より盗みやすそうなのに。
強いて勉めるのか勉強。だとすればそもそも勉強とは強制であり、楽しいわけがない。
だから勉強という否定的な語ではなく、もっと積極性溢れる「学び」「学習」の語を使っていくべきだ。
よく早稲田の人は、自分の母校を誇る。校歌を誇る。であるならば母校である高校も誇りに思っていくべきだ。
自分もワセダを誇るのと同じ、あるいはそれ以上に出身高校を誇っていきたいと考える。
法律は国民の自由をおさえるためにあり、憲法は国の自由を抑えるためにある。だから国民は憲法を守る義務は全くない。
昨日知って、ウロコがおちた
学習は苦悩から生まれる
中野→国分寺にいくのに、快速が10分後、各停が5分前にでているとしよう。この状態では快速をまつほうが早い。
しかし、中央線が遅れ、今各停がでるなら、そちらのほうが早い。むしろ快速にのる本来のルートより早く到着する。
遅れたほうが早い事もあるのだ。中央線は難しい。
俺はまるで機械である。あらゆることを、単に作業としてとらえている。行動の中に、「何のため」という『思い』を込められていない。そして、単に「こなす」だけの生活である。自分で「何故こういうことをするのか」考えていない。「やらないよりまし」との理論を常に持ち、行動の意味を考えない。主体性なく、こなしている。
これではいけないと、真剣に思う。「作業」を超えよ。もっと、行動の中に思いを入れていけ。
この点ができるようになれば、自分はもっとすごい人間になれるはずだ。その姿を想像すると、興奮してくる。
自分の一凶ともいえるこの点。何としても変えていく。
久しぶりに昼まで寝ていた。寝れる幸せ・虚しさを同時におぼえる。
はじめは挨拶や御礼も言えなかった千尋が、映画の中で人間的成長を遂げる。この急激さはカエル男やナメクジ女、魔女にも驚きとして映っていることだろう。
子どもの成長の急激さを思う。成長にはしかるべき環境と場に置かれたほうがよい、ということも。