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東京シューレ版「フリースクール」の定義

フリースクールの定義は、はっきりいって様々である。
https://nak-koharubi.blogspot.com/2009/04/blog-post_11.htmlの小中さんのブログには、フリースクールについて次の定義を紹介していた。

今回は「フリースクール」について社会学事典をもとに、みていきたいとおもう。

フリースクール(藤田悟)
標 準規格があるわけではないが、ニール(Alexander Sutherland Neil1883~1973)が1920年代に創設した英国のサマーヒル校がフリースクールの代表的存在といえよう。サマヒルの特徴は、授業の出席が生徒 の自由にまかされていること、学校運営が教員と生徒の自治によること、の二点。ニールは学習指導の方法に関しては個々の教員にまかせ、「サマヒルの授業形 態」といったものを開発することに関心を示さなかった。生徒の成長し学習しようとする内発性と、生徒と生徒、生徒と教師の人間関係が優先すると考えたので ある。サマヒルは、米国の進歩主義教育やわが国の大正自由教育と同じく、第一次世界大戦後の自由な気運のなかで、またフロイト心理学の影響を色濃く受けつ つ生まれたものであるが、ニールのSummerhillの出版(1960)が英米を中心に大きな反響を呼び、公民権運動、反戦平和の動き、エコロジー運動 などの流れと結びついて、さまざまなタイプの私立のフリースクールが1960年代末から70年代の初めにかけて何千とつくられた。これらは財政難や内部的 不一致などのため多くは短命に終わったが、一部は現在も存続しており、また、公立の学校のなかにフリースクール的な要素が取り入れられてもいる。わが国で も教育の荒廃が叫ばれるなか、1983年、フリースクール研究会が発足、教育に自由を求めて活動しているが、オープンシステム、シュタイナー学校、フレネ 教育、インディビジュアル・エデュケーション、学習交換、さらにはホームスクーリングまで、幅広い関心がゆるやかにつながるネットワークとして機能してい る。子どもの登校拒否などから親が単独ないしは共同で無認可のフリースクールをつくる例も現れている。そうしたなかから、子どもを大人の思うとおりの鋳型 にはめ込み選別しようとする上からの教育ではなく、大人も子どもとの関係のなかで活性化され豊かになってゆく「共育」こそが求められているのではないかと いう、教育の止揚へと向かう論点も出はじめている。(見田・栗原ほか編『社会学事典』弘文堂、1988年、771頁。)

  フリースクールはサマーヒル学園に端を発し、公教育との差別化をはかりながら、社会の変化に応じて増減を繰り返した。その流れの中で現在は、フリースクー ル以外にも教育を多様化する機会や場が少なからずもできてきている。この事実に対して、藤田はこうした多様化による「教育」自体の相対化を達成し、そこか らアウフヘーベンすることの論点を模索する段階に現在は至っていると分析している。
 
 しかし、私は学校化社会という公教育に対する絶対 的な信仰があるかぎり、人びとの教育観に大きな変化は起きないであろうと感じている。なぜなら近代からはじまる学校は、その建築、間取りなどからみるよう に画一的であり、100年以上も大きな変化を遂げなかった。そして、私たちはそのことに疑問をもつこともないのだ。
 それほど、私たちの内面は学校化されているのだ。

さてさて、続いて日本のフリースクールの基本モデルとして東京シューレをみていこう。東京シューレの人たちはどのような定義を使っているのであろうか。「東京シューレ総合ホームページ」から見てみよう。
 

フリースクールって何ですか?

 一般に、子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校を指して言うことが多いです。政府・行政が設置した学校(レギュラースクー ル)に対して、民間の手でつくった学校を指して言う場合もあります。イギリスのニイルによるサマーヒルスクールが有名ですが、欧米を中心に数多くありま す。

  日本でも「フリースクール」を掲げるところが多くありますが、「不登校の子どもの行くところ(学校、施設、塾)」というイメージで語られることも多くあり ます。もとは、日本の不登校(登校拒否)の増加を背景に、シューレのように子ども中心に創った居場所を「フリースクール」と呼ぶようになりました(フリー スペースと称しているところもあります)。ここから、「不登校の子どもの行く所=フリースクール」という発想も生まれてきました。「不登校の子どもがいる から」という理由のみで、フリースクールを掲げているところもあります。概念が混乱している状況がみられます。
 このため、「不登校の子どもの通う場所」という意味で学校復帰や生活矯正などを目的とする場所を「フリースクール」と呼ばれてしまう傾向もあります。

  現在、日本の子ども中心の考え方でやっているフリースクール・フリースペースがつながって「フリースクール全国ネットワーク」を結成しています。また、世 界的にも毎年「世界フリースクール大会(IDEC)」が開催され、東京シューレも参加しています。2000年には、東京シューレが中心となり日本大会を開 きました。

 フリースクールとしての東京シューレの活動について、くわしくはフリースクール東京シューレのページ をごらん下さい。

 2007年には、フリースクールのやり方を生かして、日本でも公教育の枠組みの中で「東京シューレ葛飾中学校」をスタートしました。

いかがだっただろうか。東京シューレは「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す学校」との定義を使っている。逆に言えば、いくら〈自由な学び〉を標榜していたり、〈フリースクール〉という言葉を使っていたとしても、「子ども主体・子ども中心の教育を行い、教育内容を自由に創り出す」要素がなければ〈フリースクール〉ではない、ということだ。丹波ナチュラルスクールの事件がそうであった。なお、その提言のページ(リンクはこちら)から興味深い点を引用する。まあ、さっきの東京シューレのいう定義の文章にも同様のものがありますが。

90年代様々な不登校の受け皿が増えるにつれ、不登校の子どもが行くところがフリースクールと呼ばれるようになり概念の混乱が生じています

社会学事典の引用にも、また東京シューレの出した定義にも、単に「不登校の子どもがいくところ」がフリースクール、という定義は書いていなかった。けれど、世間一般では軽々しくフリースクールの語を使っている。まさに概念の混乱が引き起こされている。

東京シューレは学校を否定するのか?

東京シューレのwebはなかなかに面白い。その中に「ドキッ」とした内容があったので引用させていただく。引用元はこちらです。

東京シューレは学校を否定しているのですか?

 東京シューレは学校以外の場をつくったからといって、学校を否定しているわけではありません。

 学校に行っている子は、学校に行くことによって成長への道を歩んでいます。それと同じように、不登校をしている子、学校に行っていない子にとって、成長の道はどうあったらよいのでしょうか。

 私たちは、学校に行かない子、行く気になれない子を無理に学校に行かせることで、その子にとってマイナスの影響の方が大きいことを、多くの経験から学んできました。

 そして、学校に行っていない期間に学校以外の場で学び、成長するのも一つのあり方として認めることが、子ども本人にとってプラスになることも多くの子どもたちから学んできました。

 実際に、東京シューレで安心してスタッフや同年代の子どもと関わることができるようになって、元の学校に戻ったり、進路として学校を選択する子が数多くいます。
 こうした実績を踏まえて、多くの小・中学校で、シューレへ通った日数が出席扱いとして認めらています。さらに文部科学省から専門家会議のヒアリングに招かれる機会もありました。

 私たち自身も、フリースクールを公教育に位置付けるべく、2007年に「東京シューレ葛飾中学校」を開校しました。

 私たちは、学校に行っている子も、学校へ行っていない子も、学ぶ権利、成長する権利が等しく保障されなければならない、と考えます。

 そして、不登校の子どもたちにとって「子どもの成長は、学校だけではない」という理解を広げ、不登校をしている自分はダメだ、と否定的に考える考え方を変えたいと思っています。

 この姿勢を見ると、脱学校とフリースクールは別物だ、ということが理解できる。重要なのは子どもが幸福に過ごせる(これは「どちらが子どもの権利を保障できるか」ということである)ことであって、安易に学校を廃止すればいいということではない。大部分の子どもにとって学校が役立つならそれでいい。けれど、その学校があわないなら、子どもの権利が保障されていないんだからフリースクールに来ればいい。そういうゆるやかな態度/開かれた態度を東京シューレはとっているのだ。

追記

●奥地圭子は『不登校という生き方』(NHKブックス、2005)のなかで不登校の子どもを「ポストモダンな子ども」と定義している部分がある。

 非常に面白い定義だ。

シューレとは何ぞや?

 私は何の気なしに東京シューレの話を何度もしてきた。本ブログにおいて、典型的フリースクールとして「東京シューレ」を用いる。子どもの自由な学びをまったく保証していないのに「フリースクール」の語を使うところがたくさんあるので、区別のためにつかうのだ。

 ところで、東京シューレの「シューレ」とはどういう意味であるのか? 『大辞泉』によると、

  1. シューレ【(ドイツ)Schule】別ウィンドウで表示
    学校。 学派。流派。

とのこと。なるほど、ドイツ語では「学校」との意になる。そうか、学校的なところだから「シューレ」の語を使うのか。

 …と思ったら、違う可能性が見えてきた。東京シューレのwebサイトには次の説明がある(引用元はこちら)。

「シューレ」って、どんな意味ですか?

 ギリシャ語で「精神を自由に使う」という意味の言葉です。
 ドイツ語の「シューレ(学校)」から取った、というわけではありません。(ドイツ語のシューレや英語のスクールの語源になった言葉、といわれています)

 これを見る限り「シューレ」とは「精神を自由に使う」との意味である。だから《東京シューレ》の名には〈東京にある、精神を自由に使うところ〉との意義が込められていたようだ。確かにフリースクールでは子どもの自由が重視され、「精神を自由に使」っているようだ。うーん、ためになる定義だ。

 …でも、よーく見るとこの解説はトートロジーじゃないか? 「精神を自由に使うところ」とのギリシャ語名が「school」(英)や「shule」(独)の語源になったのなら、「シューレ」を使う限り結局は「学校」を意味するのと代わらなくなるのではないか。
 それでは、何故「トートロジーだ」との批判を受けることを重々承知の上で、東京シューレの人たちは「シューレ」の語を使おうと考えたのだろうか? 私なりの結論が次からの文章にまとめてある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先ほどの解説内で「学校」と軽く使っていたが、「学校」とは元々「精神を自由に使うところ」との意味であった。これは、脱学校論を学ぶものとして、放っておくことができない。
 何故なら、学校が自由な学びを疎外しているという状況をこそ、イリイチやライマーは批判し続けたからだ。学校では「学ぶ」ということが「学校へ通うこと」の意味にすり替えられている。価値の制度化が起きている。
 整理するとこういうことになる。もともと、「学校」は「精神を自由に使う」ところであった。この輝かしい時代は近代学校制度とともに崩れ去り、自由な学 びや自由な発想が疎外される状況に陥った。だからこそ、脱学校化を成し遂げることで本来の「学校」が持っていた「精神を自由に使う」要素の復権を成し遂げるのだ、と。
 内田樹(本当に登場回数が多いなあ)の『街場の教育論』にはこうある。

教師が言うべきことは一つだけです。それは、孔子の場合と同じく、遠い目をして、「かつて学校というところが素晴らしく機能していた時代があった」という ことです。教師が深く敬され、子どもたちが目を輝かせて知的な興奮に身を震わせていた時代がかつてはあった、と。それが今は失われた。だから、それを再構築しなければならない。学校という制度が仮に今きちんと機能していなくても、そのことは教師の権威を少しも損なうものではありません。というより、今まさ に機能していないという当の事実が、「かつては学校が学ぶことの喜びに満ちていた『黄金時代』が存在したのだ」という言葉をいっそう切実なものとして響かせるのです。
 はっきり言いますけれど、実は、学校というのはどの時代であれ一度として正しく機能したことなんかないのです。(…)「嘘」とは言わぬまでも、半分がた「誇張」です。そんなわけないじゃありませんか。(…)
 必要なのは「あるべき社会」についての「正しい情報」ではありません(あるべき社会についてのほんとうに「正しい情報」というのは、「そんなものはかつて存在してことがないし、これからも存在しない」です)。そうではなくて、「あるべき社会」を構築「する気」に私たちがなるかどうか、です。「正しい情報」を提供することが、人間が世の中を少しでも住みよくする努力に「水を差す」ことになるならば、「正しい情報」なんか豚に食わせろ。少なくとも、私はそう考えます。(pp148~151)

 内田は、〈学校がうまく機能していた『黄金時代』が過去に存在した〉と説明することで、人々が〈過去の栄光よ、再び!〉と努力することを目指し、この文を書いた。
 フリースクール関係者も「かつて精神が自由に扱われた学びの場《シューレ》があった。だからそれを再構築しなければならない」との思いから、「シューレ」の名を使っているのじゃないか。これが私の結論である。
 
 …まあ、全て仮説ですよ。本当のところは奥地圭子さん(東京シューレ開設者)に聞くしかないですね。
 

鳥山敏子『居場所のない子どもたち』抜粋

東京賢治の学校というフリースクールがある。正式名称を「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」という。

「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」はその命名からもわかるように、日本の優れた思想家である、宮澤賢治の世界観・精神を拠りどころとして設立されました。

「せかいがぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」

宮沢賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全ての幸せを求めなければ、個人の本当の幸福はありえないと考え、生き物、鉱石、風、虹、星、といった森羅万象との交感から多くのエネルギーを体得していました。

宮 澤賢治の精神とは、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。」(宮沢賢治 1926年)というものです。これは、宇宙・自然・他者とつながる「共生の精神」ということができます。この精神は、ドイツのルドルフ・シュタイナーが提 唱した精神ともみごとに繋がっています。

「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」でもこの思想を第一義として、自らの身体と心の内なる声を聞き、人、生き物、地球、宇宙との深いかかわりを意識することに重点をおき、その中で自分らしく生きていくことを学びのなかで実践しています。

ドイツの教育思想家(オカルト的なところはあるんだけどね…)シュタイナーの理念と、シュタイナーの精神と比較的似ている宮澤賢治の精神を元にしたフリースクールである。

前書きが長くなった。ではここの創設者 鳥山敏子さんの本の抜粋を行う。

もともと、学校は子どもたちのことを本気に考えてつくられている期間ではありません。このことは、学校が富国強兵政策の一環としてつくられた歴史をちょっと思いおこしてみてもわかるでしょう。時の政権をもったものは、学校を自分たちの立場を守るための人材を要請する機関として考えます。(6頁)

まだまだ読みはじめたばかり。しっかり研鑽しよう。

小中さんのブログより。

小中さんの「小春日ダイアリー」の内容がすばらしかったので、今回はそれを貼らせていただいて、自分の考察を述べようと思う。アドレスはこちら

ライマーとイリッチの学校の定義

こんばんは、本日は以前ふれたエヴェレット・ライマーとイリッチ、二者の脱学校論者の学校観を彼らの著書からみていこうと思います。

ライマー
「段階づけられたカリキュラムの学習のために、教師が監督する教室に特定の年齢群の者が常時出席することを要求する機関[1]
イリッチ
「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程[2]

二人の学校の定義から共通項を書き出すと以下のようになる。

  • フルタイムの出席、義務制
  • 特定の年齢群の生徒
  • 教師
  • カリキュラムの学習
  • こ の要素からわかることは、子どもは子ども時代を学校にささげなければならず、その多くの時間を同学年の者だけと共有し、国家のような権威のあるシステムが 定めたカリキュラムを教師を仲介し、学習するということだ。そしてその場は「学校」であるということだ。さすがにライマーとイリッチは二人で研究してきた こともあって、このような定義に差異はないだろう。
    またこのことからも導き出せるが、彼らの研究の主な対象はこの定義にもとづく「学校」であり、この定義に基づかないものは、議論から外れることになる。

    公教育の成立でポイントとなったのは①機会均等②義務制③宗教的中立であったが、脱学校論で彼らが指摘したのは、②義務制であった、というのが上記より見出せる。

    ま た、話は変わるが、近代から現代の流れ(第三の波の到来)をみるなかで、その新たな社会の創造がなされるなかで、近代(モダン)の制度象徴としての「学 校」が現代(ポストモダン)では適当な仕組みであるのか。そのことへの疑問から生まれた問題提起から新たな学校に変わる仕組みの提案、つまり、これが脱学 校論なのではないだろうか。

    何を話してるのかわからなくなった。眠い。

    また編集します。ではまた。。

    [1] エヴェレット・ライマー著、松居弘道訳『学校は死んでいる』晶文社、1985年、60頁。

    [2] イヴァン・イリッチ著、東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(現代社会科学叢書)、東京創元社、1977年、59頁。

    投稿者 小中春人 時刻: 23:59
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    1 コメント:

    いしだ・はじめ さんのコメント…

    おつかれさまです。

    「義務制」がポイントだったんですね。

    フリースクール(といってもいっぱいあるので、東京シューレ)は、

    ①来ても来なくてもいいし、いつ帰ってもいい(「フルタイムの出席」は当てはまらない)
    ②無理していくところでなく「もしあわないならホームエジュケーションなんてのもありますよ」という(「義務制」ではない)
    ③下は6歳、上は20歳まで異なる年齢層の人たちがいる(「特定の年齢群の生徒」はいない)
    ④何かを教えようとしない「大人」と過ごす場所である(教員免許を持つ者はいるが、教えようとする「教師」はいない)
    ⑤学ぶこと、過ごす内容が自由(「カリキュラムの学習」はない)

    こうしてみると、フリースクールはライマーやイリッチの言う「学校」定義から全て外れていることが分かる(「サポート校」や塾形式のフリースクールは無論外しますよ)。

    いやー、小中さんがまとめてくれたお陰でフリースクールの定義が分かりやすくなりました。ありがとう。

    マラソン

     その昔、人は「勝った」という一言のために命を賭けて走った(マラトンの丘)。

     けれど、今はメール1本で済む。
     言葉がどんどん軽くなっている気がする。

    O先生のおはなし。

    O先生に今後の研究の方針についてのご意見を伺う。以下はその聞き書きだ。自分の考察もついでに書いてあるので、見にくければごめんなさい。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ●下の文献は読んだ方がいい。
    『学校をなくせばどうなるか?』:イリッチの『脱学校の社会』に対して出された批判をまとめたもの。私はこの本のイリッチの書いた部分しか読んでいないので、全編を読もうと思う。
    『教育と学校を考える』:O先生が編者をつとめて本。「けっこう売れた」とのこと。この中のオルタナティブスクールの箇所を読むことにする。
    『アメリカ資本主義と学校教育』:ギンテスとボウルズが書いた本。岩波から翻訳が出ている。『学校をなくせばどうなるか?』の影響を受けている本。
    『学校は死んでいる』:ライマーの書いた本。英語名はSchool is dead。イリッチと共同研究をしたことがある人物。けれど小学校の教員をやった経験があるため、理論はイリッチよりも分かりやすくなっている。
    ●イリッチは脱学校化をいおうとしたが、それは主たる目的ではない。本来は脱制度化と「資本主義と官僚制の批判」を言おうとした。
     イリッチは物心崇拝との言葉で現状の社会を批判した。それは全てが金で換算される社会への批判である(内田樹もフェミニズム批判の文脈の中で同様の発現をしている)。「癒し」ブームも、これが金というモノサシで測られた資本主義社会ゆえのブームである。
    ●大学院では学部以上に、自らのテーマがないと何の意味もなくなる。受け身になると、何も学べないのだ。教えてくれるのを待つ姿勢であってはならない。自分で集中して研究する姿勢が大切だ。
    ●研究者になるならば、①自分のやりたいテーマを育て、②語学を1つ極めると、幅が広くなる。
    →私は①はフリースクール、②は英語をやっていきたい。①は毎日ブログに書く形で研究している。しかし②はどうやって勉強しようか? i podに英語教材を入れてそれを聞くくらいしかできていないのだ。
    ●中世から続く「青年団」も、ある意味フリースクールであった。寺子屋もそうであった。自発的に人々が学ぶというサークル活動でもあった。こういう団体ならば世界中にある。
     このような草の根的フリースクール活動は昔からあるが、学校へのカウンターパートとしてのフリースクールは比較的新しい。
    ●フリースクールの起こりは東京シューレにしてもどこにしても、「自分の子どもをあんな学校に入れたくない」という思いから始まっている。
    ●現在、学校への不適応はそのまま「社会への不適応」も意味する。
    ●「学校でなければならない」という思いから外れる人にあわせて創られたのがフリースクールである。
    ●学校を絶対視してはならない。日本の学校はせいぜい130年くらい。それよりも圧倒的に長い期間(「青年団」などを入れると、ということである)、フリースクール的な学びがあった。
    ●商人が自分の職業や礼儀を学ぶために創ったのが実学思考の寺子屋である。これはフリースクールであった(本年1月11日のフリースクール全国ネットワークでの汐見先生の講演も、テーマはここにあった)。
    ●いま、いろんな形でフリースクールはある。それらは何故作られたのであろうか? その背景には受験戦争などの学校の荒廃がある(アメリカではスプートニクショック後の理数重視の教育への反発や公民権運動などで生まれたマイノリティー救済の発想が背景にある)。
     では、何故これらがあったのだろうか? 学校内だけでなく、社会的背景がある。これを踏まえた上でフリースクールを研究するといい。
     その中では、イギリスのサマーヒル、フランスのフレネ、ドイツのシュタイナーについてなど、個々の思想家が考えたフリースクールについても視野に入れていく必要がある。
    ●デモクラシーには2つの側面がある。①草の根のデモクラシーと、②輸入思想としてのデモクラシーである。
     ①は人々の中でじわじわ育っていった発想である。共同体の中でのルールであるなど、デモクラシーという語が使われないことすらある。②は大正デモクラシー期や戦後民主主義導入期など、外からもたらされた思想である。
     よく②のみがデモクラシーと考えられているが、人々の生活の中にも①的なデモクラシーの発現があった。
     ①と②、両方が必要なのである。
     明治の近代化は②のみで達成されたのでなく、①があったからこそ実現できたところがある。
     識字率の低いところで学校は作れない。日本は①的な価値を実現する寺子屋などにより、識字率が高かった。また知識のある人もそれなりにいた。そのため、近代学校を始める際も人的インフラは整備されていたのだ。
     フリースクールもそうだ。「草の根」的発想も「海外思想」を生かした発想も、両方があいまってフリースクールができている。
    ●教育は政治そのものである。中教審も政治の問題に基づき、教育の中身を決めている。教育に政治的中立性はない。そして政治は経済(つまり資本主義)につながっている。
    ●デューイは学校の中だけで教育を考えていた。その点をボウルズやギンテスらが批判している。本来は学校だけでなく、社会全体の変革が必要なのである。
    ●フリースクールの 歴史についてをまとめた研究はまだない。フリースクールの実践は各自細切れなものしかないからだ。年表をつくるだけでも意味がある。

    少年法と、中学時代の私。

     一昔前。少年犯罪の凶悪化が叫ばれたことがあった。私がまだ「少年」の定義に入るころである。周りの大人が〈最近の子どもはキレると何をするか分からない〉と子どもを見つめている時、私は子どもであった。
     少年犯罪の厳罰化も、まさにリアルタイムで経験した。「ひとごと」だと思ってはいたが、それでも気にはなった。
     さてさて。もし仮に私が中学時代、新聞に報道されるほどの悪事を働いたとしよう(仮に、ですよ、ほんとに)。周囲の大人たちが「あんな真面目そうな子が…」というコメントがつく(当時は今よりはるかに真面目でした)。家族に多大な迷惑をかけ、家のガラスは投石で割られてしまう。親戚付き合いはなくなる(当然ながらお年玉もない)。
     時間が経過する。
     どんな重大事件でも、〈ほとぼりが冷める〉時は必ず来る。現にいまの高校生に「サカキバラ事件って、知ってるよね?」と聞いても「どんな事件ですか?」と逆に聞かれる。宮崎勤氏の死刑執行があったニュースを聞いても、今の大学生は「それって、何をやった人ですか?」と聞き返す。
     ほとぼりの冷めた後、私は色々あったけれども21歳の誕生日を迎えた。私は「昔は色々あったな…」と遠い目をしてワイングラスを傾ける。回想される記憶。その中にあの少年犯罪が蘇る。けれど私は疑問に思う。「ああ、昔はあんなことがあったな…。ところで、あの事件って、本当に俺がやったのか? 全然覚えていないんだけど」。
     そうなのだ。意識して思い返さないと中学時代の記憶は戻ってこない。忘れ去られた記憶はたくさんある。少年非行/少年犯罪をしていたとしても、忘却している可能性はある。親から「あなたの中学時代はこんなことがあったわね」という話を聞くとき、その話はほぼ100%私の知らない物語である(それだけ私は記憶力が悪い)。中学時代の私は今の私と本当に同じ人物なのだろうか? 
     2003年7月。長崎県で中学一年生の少年(12歳)が4歳の男の子を立体駐車場(7階建て)の屋上から突き落とす、との事件があった。現在、この子は18歳になっているはずだ。さらに2年経ち、20歳になった時、この少年は事件のことを本当に覚えているだろうか? きっと覚えていないんじゃないかな。
     私は大学に入って、ようやく人を呼び捨てで呼べるようになった(遅いけど)。それまでずっと〈ためらい〉があったのだ。人との接し方という面で、現在の私と中学時代の私は違っている。身長・体格だけでなく、発想の仕方もまったく違っている。中学時代の私と現在の私に連続性・一体性は本当にあるのだろうか?
     内田樹がレヴィナスを引いて語るように、過去の「私」は「他者」である。現在の私にとって、中学時代の私はやはり「他者」である。
     少年法が加害者保護の側面が強いのは何故だろう。サカキバラ事件を例にすると、犯行時の14歳の少年Aと現在26歳の少年Aとは全く同じ人物といえるのだろうか、ということである。現在26歳になった少年Aにとって14歳の時の少年Aは「他者」ともいうべき感覚を抱く対象なのではないだろうか。そのため「この犯罪は昔、お前がやったんだ」と言われても、もう一つピンとこない感覚を、加害者が持つことになる。少年期は人の考え方・性格が大きく変わる時期だ。だからこそ少年法は加害者保護の立場が大きいのかもしれない。

    追記
    ●世の「正論」をいう方々は、人間が常に完璧な形で過去の記憶を保っていると確信をしているようである。けれど、事件の被害者も加害者も案外忘れてしまえるところがあると思う(フラッシュバックやPTSD、トラウマとかはもちろんあるが)。少年犯罪ならばなおさらだ。「そんな昔のことは覚えていない」とカサブランカのリックのように答えることはできないのであろうか? 

    ●少年院は《刑の執行を受ける者を収容し、矯正教育を授ける法務省の施設》(明石ほか『教育学用語辞典』131頁)である。ここにある矯正教育は《少年院が在院者を社会生活に適応させるために、その自覚に訴え規律ある生活のもとにおこなう、計画的、組織的な教育活動》(同76頁)である。
     昨年春に榛名女子学園という少年院を訪問した。そこでは自らの犯した罪についてを自覚し、「これからどうしていくのか」を問いかける教育がおこなわれていた(無論、それ以外の学習―例えば通信教育で高校卒業資格などを取る―もなされている)。これは下手をすると忘却してしまう自分の犯罪を記憶に叩き込むためにおこなうものではないだろうか。

    習慣づけ

     腹が立ったとき、あるいは「キレそう」なとき、その場から逃れるのも一つの道徳である。
     自分の癖を見て、〈不注意〉を起こさないための習慣づけ(腹が立ったらその場から離れるなど)を身につけることが必要だ。

     前にO先生の話として道徳について書いた(https://nomad-edu.net/?p=487)。ここにある〈偽物の不幸〉にあわないように自分の癖を見ながら改めていくべきである。
     重要なのは「正義」を正すことでなく、また「納得する」ことではない(時と場合によるけどね)。それよりも次の行動にプラスになることが大切であるはずだ。