ishidahajime

内田樹『狼少年のパラドクス』より

 研究者に必要な資質とは何か、ということをときどき進学志望の学生さんに訊ねられる。
 お答えしよう。それは「非人情」である。それについてちょっとお話ししたい。
 大学院に在籍していたり、オーバードクターであったり、任期制の助手であったり、非常勤のかけもちで暮らしていたりする「不安定さ」を「まるで気にしないで笑って暮らせる」能力である。(…)
 あえてこの道を選ぶ以上、それは「生涯定職なし、四畳半暮らし、主食はカップ麺」というようなライフスタイルであっても「ま、いいすよ。おれ、勉強好きだし。好きなだけ本読んで、原稿書いていられるなら」と笑えるような精神の持ち主であることが必要である。(…)
「非人情」の人間の場合、「私はこうしたい、これが知りたい、これを語りたい」という強烈な欲望だけがあって、他の人が自分に何を期待しているか、その結果を他人がどう評価するか、自分の言動が他の人にどういう影響を与えるか、というようなことはほとんど念頭にのぼらない。(…)
 で、私が思うに、研究者に限らず、独りで何かをやろうとする人に必要な資質はこの「非人情」である。(…)
 非人情でなければ「不条理」に耐えてなおかつハッピーに生きて行くことはできない。四畳半でカップ麺を啜りながら、自分の原稿を読み返して「おいおい、おれって天才か。勘弁してくれよ。そういえば、心なしかおいらを祝福するように空がやけに青いぜ」と温かい笑みを浮かべることができるようなタイプの人間だけが、いまの時代に幸福に生きることができる研究者だろうと私は思う。
 大学院進学を予定している学生さんたちは自制して、自分がどれほど「非人情」であるかをよくよくチェックすることをお薦めしたい。(pp178~181)

→「生涯定職なし、四畳半暮らし、主食はカップ麺」とあった。梅田望夫の『ウェブ時代をゆく』にも〈ジャンクフードしか食えないけれど、プログラムを組んでて幸福〉という若者像が描かれる。
→私も結構「非人情」かも。下の投稿みたいに〈誰にも頼まれていない原稿〉を書いて読み返すのが好きだし。

頼まれていない原稿を書く。

ブログを書く。定期的に。

このことで私はいろんな発想(それこそブログを書く行為をしなかったら決して出てこなかった発想)を得ることができる。

不思議なことだが、「話さなければならない」「書かなければならない」状況に追い込まれた時、人は何かを語り、何かを書くことができる。平常時なら思いつかなかったことも、何故か出てくる。

 




 

古来、知識人はよく手紙を書いた。ベートーヴェンの書いた手紙も、ネルーが娘に書き送った手紙も、〈名著〉として今も残っている(ちなみに『ベートーヴェンの手紙』と『娘に語る世界史』である)。手紙を書くとき、無意味なことを書けない。ひょっとすると、あえて手紙を書くことで何らかの発想を得ようとしたのではないか。

私は〈知識人とは、出版社の原稿依頼を受け、それから発想する人〉だとイメージしていた。子どもの考える漫画家像そのままである(これに編集者から如何に逃れるかという展開がついてくると、完全に手塚マンガの世界だ)。けれど、おそらくは原稿依頼がなくても何がしかの原稿を書いているのが真の知識人なのではないか。

日々、誰に言われなくてもブログを書くとき、〈頼まれていない原稿〉を書いていることになる。人間は自由すぎると何もしない。だからこそ「毎日、何かをブログに書かないといけない」状況に意図的に自分を追い込んでいれば、日々何かを発想できるのではないだろうか。

 

 

 




追記
思えば私はこうした〈頼まれていない原稿〉を結構書いてきた気がする。小三のときの係決め。黒板に書かれた〈係リスト〉には無かった壁新聞係を発案した。結果、初代新聞係に就任。題字・アンケート企画・記事・四コマ漫画、全て自分一人で書く。好評ではあったが、マンネリのため一学期のみの発行に終った。
高校。寮の中で清掃委員長になる。頼まれてもいない〈清掃委員マニュアル〉を勝手に作り、清掃委員に代々伝わるようにしようと努力。最近寮生に聞いたらまだ私の文章が残っているらしい。赤面。学校で生徒会長をしていた時も、やたら議論を書き残そうと一人パソコンに向かい文章化。「議論の見える生徒会」がテーマだったが、結局パソコンの小さな字を誰も読まなかった(それよりも、生徒会の活動に誰も興味を示さず、読む気もしなかったというのが事実かもしれない)。
大学。サークルの集まりの際、『めもらんだむ』というミニ新聞を作って配っていた。書評や自分のエッセイなどが書かれていた。
別のサークルでは年に2回、講演会を企画。その際に配る言論誌には毎回必ず原稿を書いた(たぶん今年も書く。めざせコンプリート)。昨秋の言論誌作成ではちょっとした波紋を起こす。「書いてくれ」と言われていないけれど、私は原稿を8本書いた。他の人は1本がやっと。とうとう原稿を書かなかった人もいた。結果、採用されたのが3本。クオリティはけっこう良かったのに。それだけで終らず、「お前が原稿を書けるのは分かった。けれど、その分の努力を1年生が書けるよう手助けしてあげるべきではなかったのか」と怒られてしまう始末。「確かにそうなんですけど…」と不満が残った。批判は〈原稿も書かず、1年生の手助けもしなかった上級生〉にこそしてほしかった(それに私は1年生が原稿を書けるようにネタを教えてあげたり、レポートで1年生が書いたものを原稿化できるようアドバイスもしたんですよ)。
O先生のゼミでは毎回書評を書いて持っていった(ほとんどの人は持ってこないのに。私はKYな奴である)。
概観すると、私は書くことが大好きな人間なんだと思う。それも〈誰にも頼まれていない原稿〉を書くことが。結果的に他人に悪く言われることも多い。おお、不運。
教訓。〈誰にも頼まれていない原稿〉は需要がない分、無駄に終るか、他人に評価されないで終るか、キレられてしまうかというマイナスの結果をもたらすことが多い(ますます不運)。
でも、書いてしまうのが俺なんだよな…。ブログがあって、本当に良かった。ブログを書いても、誰からもキレられないで済むからだ。

再記
頼まれない原稿を書くと、なぜマイナス要素が発生するのだろうか? それはまさに〈頼まれていない〉からだ。
需要の無いところに供給をしても反発をされるだけだ。
ブログは将来の需要を見越して先に供給されている(だってGoogleで検索すればすぐ出るからね)。

さらに追記。
●ルターやホセ=リサールが迫害を受けたのも〈頼まれていない原稿〉を書いたからではないか。往々において、〈頼まれていない原稿〉は現体制に批判的であったりする(だって誰も依頼しないからね)。

大学生なら授業は潜れ。

授業は潜った方がいい。たとえ正式な学び方でなくても。

単位のために勉強するなんて、バカらしくないですか?

重要なのは大学で何を学んだかであって、何を教えてもらったかではない。それはイリイチが口を酸っぱくして人びとに伝えてきたことである。教えられるのを待っていると、そのうち〈教えてもらう〉ことだけに価値があると考えるようになる。

「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習することを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる。彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。(『脱学校の社会』13頁)

大学生って、何かを学んでいる人のことだと思う。単位のためとか就職のためとかを気にせず、自分が「学びたい!」という熱意に突き動かされてしまう人。それも自分と同年代の若者が週に40時間労働しているなら、「同じくらいは学んでやろうじゃないか!」という人。現代では少数になった「変人」。それこそ大学生だろう。

私はここに書いたような大学生ではない(念のため)。まあ、目指してはいるんだけどね。単位申請していない授業に出る際(つまり潜るということです)、ちょっとかもしれないけれど理想の「大学生」気分に浸ることができるのだ。

ちなみに今年は潜り率50%です。

アメリカと日本のフリースクール設立の背景についての研究。

テーマ:フリースクール設立の背景である、教育課題について、事例を元に比較する。比較を行うのは、日本とアメリカである。

本稿の構成:下記のとおりとする。

A,フリースクールの定義
B,アメリカにおけるフリースクール設立の背景

参考文献
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
A,フリースクールの定義

 本稿では、『教職基本用語辞典』でのフリースクールの定義を用いるものとする。

フリースクールとは、従来の学校にあるような管理と強制から開放されて子どもの自由と自治が尊重される中で教育活動が展開される「自由学校」のことを意味する。(中略)我が国では、1985年(昭和60年)に奥地圭子により不登校の生徒を集めて開かれた「東京シューレ」や1992年(平成4年)に和歌山県に堀慎一郎によって設立された「きのくに子どもの村学園」などがある。

 日米のフリースクールを比較するにあたり、事例を元に見ていく。アメリカはクロンララスクールの事例を参考にし、日本は東京シューレの事例を参考にしていく。両者は、日米それぞれでフリースクール運動で中心的存在であったからだ。
 クロンララスクールは後述するように、アメリカでフリースクール設立が相次いだ1960年代後半に成立したフリースクールである。そして「1978年にクロンララスクールを中心に全米のフリースクールのネットワークを立ち上げ、年に1回、子どもとスタッフ、親が集まる大会の開催、経験の共有、スタッフ養成をはじめとする様々な連携活動をおこなってきている」 。このことから、アメリカのフリースクールのうちで、中心的存在であると考える。
 NPO法人東京シューレを日本のフリースクールの事例として提示するのは、2つの理由からである。1つは、先の『教職基本用語辞典』の「フリースクール」の欄に名前の挙がるほど、知名度の高いフリースクールであるからである。2つ目は、特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワークの代表理事を、NPO法人東京シューレ代表の奥地圭子が兼任していることからである。特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワークとは、2001年に「日本全国の、子どもの立場に立ち活動するフリースクールをつなぐネットワーク団体」 として設立されたものである。この2点の理由から、東京シューレを日本のフリースクールの中心的存在であると考える。

 参考として、次に両者の基本情報を示す。

 クロンララスクール(Clonlara School)
所在地:アメリカ合衆国
対象年齢:5歳から18歳
学校種:幼稚園~高校
設立:1967年
子どもの人数:50人

 NPO法人東京シューレ
設立:1985年6月24日(1999年11月NPO法人認証)
代表:奥地圭子
フリースクール東京シューレ
会員数:150名
子ども担当スタッフ数(常勤):9名

 東京シューレは、王子スペース、新宿スペース、柏の葉スペースの3つに分かれている。このフリースクールとしての東京シューレとは別に、ホームシューレ事業、シューレ大学事業なども行っている。

B,アメリカにおけるフリースクール設立の背景

 アメリカにおいては、主として第二次世界大戦後の1960年代後半からフリースクールが作られるようになった。

戦後の先進諸国における義務教育年限の延長、発展途上国における義務教育制度の導入等により、公教育制度の整備が一段落した一九五〇年代末から六〇年年代にかけては、科学技術の革新に伴うカリキュラム改革が各国で盛んに行われた。しかし、六〇年代の後半になると、社会制度としての学校のあり方そのものを、根底から考えなおすような動きが現れてきた。

 この一連の流れの中で誕生したのが、公教育の枠外におかれるフリースクールである。「A,フリースクールの定義」で引用した『教職基本用語辞典』の中略箇所を見てみる。

1960年代後半、ヴェトナム反戦運動と結びついてアメリカで活発化した人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革として広がったオルタナティブ・スクール運動の一つとしてフリー・スクールが位置づけられた。その際、モデルとされたのは、1925年にニールが創設した「サマーヒル学園」、フランスのフレネ学校、ドイツのシュタイナー学校などである。

 アメリカにおいては、主として1960年代後半にフリースクールが作られてきた、といえる。この時期にフリースクールの設立は、『教職基本用語辞典』の「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」以外の理由がある。1957年のスプートニクショックを受けてのアメリカ連邦政府の政策も理由の一つである。「科学技術の教育振興法」たる「国家防衛教育法(National Defense Education Act of 1958)の制定」は「アメリカにおける人的資源培養のための法律であ」り、「連邦政府の教育に関する関与が一層強まることとなった」 。この流れも汲んでいる。クロンララスクール設立にあたっての記述を元に、見てみる。

 設立者のパット・モンゴメリーさんは小学校で教師をしていたが、米ソ冷戦下の60年代のアメリカでスプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れが強くなり、そのような学校に自分の子どもを通わせられない、との思いから自ら設立したのがクロンララスクールである。子どもの気持ちを尊重した教育とはどのようなものなのかを改めて考え、自らの教師時代に考えたことのみならず、イギリスのサマーヒル学園を訪ね、設立者のA.S.ニイルの話も聞いて構想した。

Bのまとめ…アメリカのフリースクールは、主として60年代後半、「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」として、設立された。他に「スプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れ」に対抗するものとして、設立されたという背景もある。

C,日本のフリースクール設立の背景

 ここでは、NPO法人東京シューレのケースを元に見ていく。なお、文章中の奥地とは、東京シューレ設立者であり、代表の奥地圭子のことである。

代表者の奥地は、1978年ごろ、わが子の登校拒否を経験したが、それは教育の在り方や、当然と思われている社会通念、親の意識などを問い直される貴重な学びとなった。わが国の不登校は1975年より激増し続けるが、当時、教員であった奥地は、早朝から夜中まで、現在よりはるかに悲惨で苦しい状況にあった親や子どもの相談にのりながら、何ができるかと悩んだ。最も大事なのは、子どもにとっては親の理解だと考え、84年より「登校拒否を考える会」という親の会を始めた。

 東京シューレの設立者・奥地圭子は、東京シューレの設立時の様子を次のように書いている。

 一九八五年三月、私は、二二年間の教員生活に終止符を打ち、東京都北区東十条の駅近くに小さい雑居ビルの一室を借り、六月にやりたいことに踏み出しました。
 やりたいこととは、子ども達が自由に通ってくる学校外の学びと交流の場づくりでした。
 よくある、学校がひけてから行く学習塾ではなく、学校のある時間帯に並行して開室していて、学校に行っていない子が居場所・成長の場として活用できるところ、というイメージです。それを、子どもと共に作り出したい、と思って踏み出したのでした。
 それが「東京シューレ」、今でいうフリースクールです。
 今でこそ、フリースクールは珍しくありませんが、コロンブスの卵であって、当時、学校のある時間に、学校ではないところに勝手に通うなど常識外でした。

 東京シューレ設立当時、日本社会では「教育荒廃」が叫ばれていた。そして現場の学校では様々な問題が起こっていた。

1970年代以降大きな社会問題となっている「教育荒廃」とは何か(中略)。「教育荒廃」という言葉は、1961(昭和36)年の文部省「全国一斉学力テスト」による点数競争主義の広がりの中で使われだしたものである。主に、教育機関としての学校現場に停滞や退廃が生じていると考えられる。(中略)今日の教育の危機は、子どもたちの発達の危機として、不登校・いじめ・自殺・学級崩壊・閉じこもり・高校中退・校内暴力等の非行・少年事件などに顕れている。これは、高度経済成長を通じて進められた大量生産・大量消費・大量放棄を伴う工業化による社会変貌がもたらした「負の遺産」と言いうる。学校は、経済成長を支える機構として、「有能な人材」を競争的に選び出すという側面を強くもたされ、このため、学校は「能力主義の徹底」(1963年経済審議会答申)の名のもとに学力・学歴競争の場となり、多く矛盾を生み出した。

 高度経済成長終焉後、高度成長の招いた問題である「教育荒廃」が教育現場に起こっていた。「不登校・いじめ」、「学級崩壊・閉じこもり・高校中退」という教育問題が発生した。これらの犠牲となった子どもたちはどこへ行けばいいのか。主としては不登校の子どもが対象ではあるが、東京シューレをはじめとするフリースクールはそういった子どもたちを受け入れる場となった。

Cのまとめ…日本のフリースクールは、高度経済成長の負の側面である「教育荒廃」が叫ばれるころ、設立された。「教育荒廃」の犠牲者である「不登校」の子どもなどがを、受け入れる場所として設立された。

D,日米のフリースクールの設立の背景にある、教育課題の比較

 アメリカのフリースクールは、主として60年代後半、「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」として、設立された。他に「スプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れ」に対抗するものとして、設立されたという背景もある。
 対して日本のフリースクールは、高度経済成長の負の側面である「教育荒廃」が叫ばれるころ、設立された。「教育荒廃」の犠牲者である「不登校」の子どもなどがを、受け入れる場所として設立された。
 両者はともに、社会のあり方の変化に対応する形で、設立されている。アメリカは1つ目に、スプートニクショック後の、詰め込み教育の強化への対応として設立された、という側面を持っている。2つ目に、60年代のベトナム反戦運動や黒人の公民権運動など、民衆の側の自由を求める動きに呼応して、起こってきている。
 日本の場合は、1970年を境に、再び不登校の数が増えるなどの「教育荒廃」が主要な理由となっている。

E,考察ならびに終わりに

 フリースクールの設立は、社会の変動期に起こっている。社会のあり方が変化すれば、教育のあり方も変えざるをえない、ということであろうか。本稿のフリースクールのような新たな教育運動が起こるときは、社会システムの変動期である、といえるかもしれない。
 今回、フリースクールの事例からの検討が2例のみとなってしまった。また、深く入り込んだ内容でなく、設立に当たっての背景のみの研究となった。次回は、フリースクールの具体的な実践まで、踏み込んだ研究を行いたいと思う。
 なお、筆者は2007年3月に東京シューレの新宿スペースを訪問している。次回、さらに踏み込んだ内容を研究する際、参考になると思われる文章を引用して、本稿を終える。
 これは筆者が東京シューレ見学の印象を書き残したものである。

フリースクールという言葉を、初めて聞いた人もいるかもしれない。フリースクールは一般の「学校」と違い、自由な教育が行われている。好きなときにやって来て、好きなときに帰ることができる。本やマンガが多く置いてあり、自由に読むことができる。フリースクールに来ている、いろんな年齢の子どもと関わることができる。学びたいときは言えば教えてもらえる、などなど。おそらく、一般の「学校」のイメージとは大きく異なる場所である。筆者も、何度か見学に行ったことがある。東京シューレという団体の行っている、新宿シューレである。都営大江戸線・若松河田駅下車後、徒歩10分弱。早稲田大学からなら、早稲田駅前の夏目坂を延々登ると20分で到着する。道路裏にある、閑静な住宅地にそれはある。
入ってみると、そこは「学校」とはまったく違っていた。いろんな年齢の子(スタッフの大人も含む)が混じって会話を楽しんでいる、料理を作っている。TVゲームに興じている。外でもボール遊びをしている。「学校」や塾といった教育機関というよりも、子どもの居場所といったほうがいい場所であった。ふんわりした感覚のある、ゆるやかな空間だ。
慣れてみれば、「学校」というものをまた違った視点で見ることができるようになった。「学校」のもつ気持ち悪さも見えるようになってきた。狙ったように、同級生のみで構成される友人関係、いやでも毎日行かなければならない教室、はじめから決まっている座席。別にこのような学校文化が不要であるというわけではない。子どもの社会化に、必要なルールとの言もうなずける。しかし、それでも「学校」というものには特有の気持ち悪さがある。

F,参考文献

・柴田義松ほか編『教職基本用語辞典』2004年、学文社、73項
・『子ども中心の教育最前線』作成委員会『子ども中心の教育 最前線』2008年、特定非営利活動法人 東京シューレ
・小澤周三ほか『新版・現代教育学入門』1997年、勁草書房
・大淀昇一「国家防衛教育法」、岩内亮一ほか編『教育学用語辞典』第四版、2006年、学文社
・奥地圭子『不登校という生き方』2005年、日本放送出版協会
・仲田陽一「問題56」、柴田義松・斉藤利彦編『教育学のポイントシリーズ 教育史』2005年、学文社
・クロンララスクール公式WEBサイトhttps://www.clonlara.org/vision
・フリースクール全国ネットワークWEBサイトhttps://www.freeschoolnetwork.jp/history/history.htm
・『p’age』第24号、2007年

イリッチのラーニング・ウェッブの研究 ~ブログ空間はラーニング・ウェッブたりうるか~

1、本稿の狙い
 
梅田望夫・齋藤孝著『私塾のすすめ』を読んでいた。この本のテーマは《ブログは、適塾・松下村塾のような私塾になる可能性がある》ということである。非常に興味深い本であったので、書評も書いた。別紙を参照していただきたい。
さて、『私塾のすすめ』を読み進むうち、一冊の書名が私の脳裏に浮かんできた。イヴァン・イリッチ(1926—2002)の著書『脱学校の社会』である。 
『脱学校の社会』は、脱学校論を説いた点で有名な著書である。「就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえって制約している」(『脱学校の社会』1項)点から、学校を廃止し、新たな教育空間の樹立を提唱している。
この書の第六章に、「学習のためのネットワーク」という箇所がある。イリッチの〈ラーニング・ウェッブ〉というものを端的に説明したところだ。ここで説明している〈ラーニング・ウェッブ〉は、ブログを活用することで実現可能なのではないか。この仮説を検討することが本稿の狙いである。
本稿での私の主張は、あくまで既存の教育制度を維持し、平行する形でのラーニング・ウェッブの成立の可能性を探るものであり、学校制度廃止までを考察したものでないことを付言しておく。
なお、「学習のためのネットワーク」は、原文では「learning webs」と書かれている。本稿では「学習のためのネットワーク」でなく、ラーニング・ウェッブと表記する。それはlearning websを「学習のためのネットワーク」と表記すると、特定の意味が付与されてしまうことを恐れるためである。 

2、仮説の提示

仮説
《イリッチのいう「ラーニング・ウェッブ」は、ブログで実現可能である》

3、『脱学校の社会』の検討

(a)ラーニング・ウェッブの仕組み

 イリッチのラーニング・ウェッブとは、下のような仕組みで行う。

(1)教えたいことがある人が、コンピュータなどに「これを教えたい」と登録する。どうように、学びたいことのある人が「これを学びたい」と登録する。
(2)登録している人どおしを引き合わせる。
(3)教えた分だけ、「教育クーポン」をもらうことができる。また学ぶにあたっては一定量支給されている教育クーポンを使用する。
(4)学校教育にあたる段階においては、この教育クーポンを消費していくことで、教育課程の達成を目指す。
(『脱学校の社会』より)

 本文中において、イリッチは次のように指摘している。

仲間を選び出すネットワークの運営は、簡単であろう。このネットワークの使用者は、氏名と住所および自分が仲間を見つけたいと思っている活動について記述することである。コンピュータは、彼と同じ記述を打ち込んだあらゆる人々の氏名と住所を彼に知らせるであろう。そのように簡単に役立つものが公的に価値があるとされていた活動(藤本注 公立学校制度のこと)のために大規模に用いられていなかったことは、驚くべきことである。(170項)

 イリッチは、要するに学びたい人と教えたい人とを引き合わせ、その小集団で教育を行うことを提唱している。これがラーニング・ウェッブの発想の根底である。

(b)『私塾のすすめ』において、ラーニング・ウェッブと共通点の多い箇所

 梅田望夫(コンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ社長。パシフィカファンド共同代表。(株)はてな取締役。」https://www.mochioumeda.com/より)は『私塾のすすめ』において、次の指摘をしている。ここで語っている「志向性の共同体」は私塾を指し、〈ブログも私塾のようなものにできる可能性がある〉と示している。

梅田:志をもった良き大人、ある志向性を持った大人が、自分はこういう関心をもった人間なんだよ、ということをウェブ上に立ち上げて示していく。科学でも、数学でも、文学でも。そういう「志向性の共同体」がネット上にたくさんできたら、子どもでも、本当に自分の関心のあることをやっている大人たちの集まりに参加することができる。ネットでまずつながり、そしてリアル(藤本注 現実社会のこと)に発展していく。誰もがネット上で、志向性を同じくする若い人を集めて私塾を開くことができるイメージです。それはウェブ時代たる現代ならではのすばらしい可能性だと思うんです。(中略)多くの心ある人が、自分がもっとも大事だと思っている関心事項について、志向性の共同体たる私塾のようなものをネットの上でつくっていくと、さまざまな可能性がひらかれる。
 身近な世界の閉塞感のようなものがあって、時間の使い方もそこで縛られている場合に、良き私塾がもっともっとネットの上にできれば、そこで時間をすごすことができる。ところが、そういうビジョンをネットに関して提示している人が日本にはいない。「ネットというものは怪しげで危ないから子どもを遠ざけよう」という人が圧倒的に多い。今の日本のネットをみて、「怪しげで危ない」と思いたくなるということは僕も否定しないけれど、ネットの可能性を十年、二十年というレンジでみたときに、そうとだけ考えることはマイナスだと思います。
 現実社会でうまくいっている子は別として、そうでない子どもたちは、家に帰っても親との関係だけ、学校に行ってもせいぜい五十人という範囲のなかで、自分とぴったりあった世界をつくれない。今の日本の教育は、そこでうまくいかないとすべて駄目と言われてしまう感じですが、ネットにはそこをひっくり返せる可能性があると思っています。(44〜46項)

 この梅田の指摘は、ラーニング・ウェッブと親和性を持っている。梅田のいっていることは、イリッチが『脱学校の社会』で語っていることに共通点をもっているのだ。(c)以降において、それを詳しくみていく。

(c)ラーニング・ウェッブとブログの共通点について

 ここでは3点に分けて、イリッチの主張するラーニング・ウェッブと、梅田の言う〈ブログによる私塾〉との共通点をみていく。

(共通点1)自主的に学習が進む点

 イリッチが『脱学校の社会』において批判したことの一つに、〈学校制度がある限り、生徒が受動的になってしまうこと〉がある。イリッチは自主的な学びが成立する場としてラーニング・ウェッブを考察したのである。

本章で、私は学校についての考え方をひっくり返すことが可能であることを示すつもりである。つまり、次のことを示したいのである。第一には、学生に学ぶための時間や意志をもたせようとして彼らを懐柔したり強制したりする教師を雇う代わりに、学生たちの学習への自主性をあてにすることができることであり、(藤本注 この文の続きは次の引用である)(136項)

 自らの興味がある分野であれば、自主的に学んでいくことができる。ブログにおいても強制されない分、子どもたちは自主的に興味のあるブログを探し出し、学んでいくはずだ。
 
(共通点2)関心の共有が可能である点

 イリッチのラーニング・ウェッブ構想においては、(a)で示したように教えたい者と学びたい者とが小集団で集まることで学習を行っている。この発想を実現させるためには〈何に興味があるか〉という関心事項の共有が行われる必要がある。イリッチは情報センターのようなものを設置することで、実現させようとした。ブログにおいては検索を行うことで可能である。

 さきほどのイリッチの言葉の続きを引用する。

第二は、あらゆる教育の内容を教師を通して学生の頭の中に注入する代わりに、学習者をとりまく世界との新しい結びつきを彼らに与えることができるということである。(136項)

 このイリッチの言葉にあるように、ブログを活用することで「新しい結びつき」を作ることができる。この「新しい結びつき」はブログによって可能である。

(共通点3)比較的、利用が容易である点

 学習するにあたって、教育設備が容易に利用可能であるか否かという点が大きな問題となる。いくらいい教育を行える場所であっても、費用がかさんだり、移動が大変であったりしては、教育を行えないからである。次のイリッチの言葉が示す通りだ。

必要なのは、公衆が容易に利用でき、学習をしたり、教えたりする平等な機会を広げるように考案された新しいネットワークである。(143項)

 イリッチのラーニング・ウェッブ構想では、国立の情報センターのようなものを利用することで学習者と被学習者を引き合わせる。ブログにおいてはインターネットを利用できる環境さえあれば学びを行うことができる。検索し、関心のあるブログにアクセスし、そこにある情報を学んでいくのだ。コメントの記入や直接的にブログ関係者と対面することもあるだろうが、基本はパソコンで出会う形をとる。
 イリッチの構想ではあちこちに情報センターを設ける必要があるが、ブログを活用する場合、設備の準備は特に必要でなく、インターネット利用環境さえあれば事足りる。よって、比較的利用が容易である点は解決されている。

(d)ラーニング・ウェッブの悪用についての、イリッチの指摘

 コンピュータを使用し、人を引き合わせる。その弊害は出会い系サイトのような問題が起きる可能性がある。イリッチはそのことにも気づき、以下のように語っている。

もちろんわれわれは、そのような公的な仲間選びの方法が、電話や郵便がそうであったように、搾取的あるいは不道徳な目的のために乱用される可能性のあることを認めなければならない。それらのネットワークの場合と同様に、何らかの防御策が必要である。私は、他の箇所で、尋ねてくる者の氏名と住所のほかには、適切な、印刷された情報だけが利用されるのを認める仲間選びの制度を提案した。そのような制度は、濫用に対して実質的に完全に守られている。他に別の調整をすれば、さらに本、映画、テレビの番組、あるいは特殊なカタログから引用されたほかの項目などを追加することもできよう。そのような制度のもつ危険性に関心をもつあまり、はるかに大きな利益を見失うようであってはならない。(173項)

 着目すべきは、危険性を意識しつつも「危険性に関心をもつあまり、遥かに大きな利益を見失うようであってはならない」との指摘である。先に引用した梅田の言にも、同様のものがある。「今の日本のネットをみて、『怪しげで危ない』と思いたくなるということは僕も否定しないけれど、ネットの可能性を十年、二十年というレンジでみたときに、そうとだけ考えることはマイナスだと思います」。
 そのため、私は単にラーニング・ウェッブの危険性を指摘するだけでなく、その可能性に目を向けていくことが重要であると考える。

4、結論

 イリッチは理想主義者である、ともよく聞く。しかしイリッチに実現可能性がないとされたのは一昔前の話だ。いまはネット空間が存在する。ブログによって個人が情報発信をしていくことができる時代だ。

私がこれから提案しようとしている教育制度は、今日まだ存在していない社会のものである。(137項)

 イリッチが主張した教育社会は、当時の教育制度を超えたところにあった。しかし、ウェブ空間が発達した今、イリッチのラーニング・ウェッブ構想はやり方次第ですでに実現可能であるといえる。
 『私塾のすすめ』は端的に言えば《ブログが私塾となる可能性を秘めている》ことを示した本である。ここでいう私塾とは〈教えたい者のもとに、学びたい者がやってくる〉場所である。ラーニング・ウェッブとはまさしく私塾のような存在だ。ラーニング・ウェッブという形でイリッチが提唱した教育は、ある程度までブログの活用により実現可能である。ラーニング・ウェッブよりむしろ、イリッチの思想を反映できている、ともいえる。
 ブログによる教育の可能性について、本稿では探ることができた。私自身がさらにブログを活用できるようになりたい、と考えている次第である。

5、参考文献
イヴァン・イリッチ著 東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(1977年、東京創元社)
齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』(2008年、ちくま新書)

『脱学校の社会』を読む①〈序〉

友人のO君と昼飯を食う。相変わらず彼と話すといろいろ触発を受ける。『脱学校の社会』勉強会を毎週火曜2限の時間にやることを決定する。

さっそく来週からやることとなった。善は急げ、だ。とりあえずレジュメをつくろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『脱学校の社会』序を見てみる。

●「ライマーと私は、就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえって制約していることを認識するに至った」(1頁)
→全員が学校に行くことに対し、イリッチは懐疑的である(追記を参照)。
「学習する権利」について、憲法には次のようにある。

【日本国憲法】
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

●「学校に就学させることによってすべての人に等しい教育を受けさせるということは、できない相談なのである。学校の代わりになる制度をもって試みても、それが現在の学校の様式に基づく限りは、やはりできないであろう」(2頁)
→注解では「学校の代わりになる制度」について「フリー・スクール、オープン・スクールその他の新しい学校作りの試みがなされるようになってきた。しかしその多くは組織形態こそ従来の学校と異なっていても、あくまで学校の論理で考えられている」(6頁)と書かれている。どうやらイリッチはフリースクールに対しても懐疑的なようである。
 「現在の学校の様式に基づく限り」という留保がついている。とすればフリースクールやオープンスクールともまったく違う、ラーニングウェッブ(本文では「学習のためのネットワーク」と訳される)による学び以外でイリッチの理想を実現することはできない、ということか。
→「社会の中での学び」である。イリッチは学校を廃止し、その後にラーニングウェッブを作ることを提唱している。なお、ここでいう「学校」とは〈フルタイムの出席を義務づける学校〉ということである。佐藤学を含め、いろんな学者が誤解している点なのでここで確認しておきたい。
 なお、本定義の仕方はイリッチとライマーとで同じであるようだ(親友のOからの受け売り)。

●「つまり個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育の「ネットワーク」をこそ求めるべきなのである。本書は、教育に関してそのようにものの考え方を逆転させてみるような研究をしている人々―および教育以外においても、確立されたサービス産業の諸制度にとって代わるもの(オルターナティヴズ)を捜し求めている人々―が必要とする概念を提供したいと思う」(2頁)
→「個々人にとって人生の各瞬間を、学習し、知識・技能・経験をわかち合い、世話し合う瞬間に変える可能性を高めるような教育」とは、現在のネット空間をイメージさせる。以前ゼミで書いた(おそらく本投稿の次に張られる予定)〈ブログはラーニングウェッブたりうるか〉を参照。
→この部分のポイントは「概念」という言葉である。〈イリッチは夢物語しか語らない〉という批判をする人が多いが「概念」についてを提供するために本書が書かれたのだからこの批判は当たらない。
●「私は、もしも社会の脱学校化が可能だという仮説を受け入れたならそのときに生じるいくつかの複雑な問題について論じようと思う。たとえば、学校を廃止してしまった後の環境の中で学習に役立つ制度を発展させなければならないが、その制度を見わける際の助けになる基準を捜し求めることとか、「余暇時代」—これはサービス産業によって支配されている経済機構のもとにある時代に対比される―の到来を促進すると思われる一人一人にとっての目標を明確にすることなどである」(pp3~4)
→はじめ私は【「余暇時代」の学びとは生涯学習を指すようだ】と書いていた。けれど原文を見るとこの「余暇時代」はAge of Leisure(schole)と書かれている。schole(スコレ)に着目したい。これは「暇」を意味する言葉であり、だからこそ翻訳者は「余暇」と訳したのだ。学校schoolの語源となった言葉である。
 ギリシャの昔、学問は暇な自由人の「暇つぶし」の対象であった。暇で仕方ないからこそ学問に明け暮れたのだ。
 現在の学校は語源の逆である。「暇つぶし」でなく「いくことに意味がある」場所となっている(価値の制度化だ)。だからこそ、イリッチは学校を排してラーニングウェッブに基づく学び(それは社会の中での教育を意味する)を主張したのだ。本来の学校(スコレとしての)の復権を目指しているのである。
 だから日本語訳の「余暇時代」を見て〈あ、これは生涯学習のことだ〉と早合点してはならないのである(それにしても親友が原典をもってきてくれていて本当によかった)。

全体を見てのコメント
●この「序」では、本書『脱学校の社会』の方向性についてをまとめている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰り道で国際教養学部生の留学生がやたら薄着なのに目を奪われる。
ひょっとすると、海外は日本以上に薄着がスタンダードなのだろうか?

追記
前にOも言っていたが、教育学者は『脱学校の社会』を意図的にか知らぬが誤解している。佐藤学でさえも『脱学校の社会』が〈学校の廃止〉を訴えた本である、と解説しているほどだ。けれど実際には〈全員が学校に行かなければならない〉ことを批判しているのだ。
「解説」の欄を見よう。

イリッチが「脱学校」という場合、すべての学校を廃止したり、あるいは学習のための制度のない社会をめざしているのではなく、むしろ学習や教育を回復するために制度の根本的な再編成を求めているのである。そこでは学校以外に選択の余地がなかったり、全員が就学を義務づけられることがなくなるのである。しかしそれは単に学校をめぐる形式のみの変化にとどまるものではない。もっと深く社会のエートスの変革にかかわることなのである。(221頁)

内田樹『狼少年のパラドクス』抜粋

人間は(少なくとも主観的には)利益のないことはしない。これがすべての社会問題を考えるときの前提である。(18頁)

古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだん通りのこと」ができるかどうかを自己点検した。(中略)状況がじたばたしてきたときに、「ふだん通りのこと」をするためには、状況と一緒にじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。人間は、そのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。「きゃー、たいへんよー!」と言ってじたばたしていると人間の能力はどんどん低下する。(84頁)

追記
ひらがなとカタカナ外来語多用が、内田樹の文章の特徴である気がする。

週刊誌不買と教育社会学

バイト先で『SAPIO』2009年3月11日号を目にする。特集は「渡る世間は偽善ばかり」。表紙を見て教育に関しての記述があることを知り、読んでみた。

久々の週刊誌。何と言うか、ずっと学術系の文章(内田樹くらいしか読んでないが…)しか触れていなかったので「雑だな」と感じた。文章だけでなく、書かせるライターもベスト・セレクションであるとは思えない。教育問題は政治評論家ではなく、教育学者や現役教師に書かせるべきだ。自称〈評論家〉の勝手な文章を雑誌に載せるのなら、それなりの覚悟が必要である。

「もっと学歴差別を推進すべきである」とは評論家・呉智英の記事。首相が漢字を読めない。このことの原因について「そんなの、学歴に決まってるじゃないの」と説明(注 麻生首相の出身は学習院である、念のため)。マスコミ関係者が高学歴であることに触れて、「彼らは皆内心では私と同じことを思っているのに、なんではっきりと言わないんだろう。『学歴差別』と言われるのを避けているんです。偽善的だねえ」と続けている。

この呉氏の文章、非常に面白い。フランスでは政治家になろうとした場合、エリート教育機関であるグランゼコールを出なければならない。麻生首相を「学歴が低いからだめなのだ」と言い切るセンス。思わずニヤッとしてしまう。

けれど、記事の後半部がいけない。呉氏はタイトルにあるように「もっと学歴差別を推進すべきである」との主張を展開する。

学歴は実力を反映していないという批判もあります。しかしそれは学歴主義の不徹底を批判しているのです。だって、実力を正確に反映した学歴社会になればいいわけですから。(中略)学歴差別の歴史的意義、社会的意義を理解せず、因習的な身分差別と同類だとしてしまう。学歴差別はイカンと言えば、良識に合致すると思われているのです。

 この記述はいただけない。少々教育社会学を学んでいればこんな記事は書けるはずがないのだ。
本文の「実力を正確に反映した学歴社会」という言葉。これを社会学者はメリトクラシーと呼ぶ。刈谷剛彦などが編集した『教育の社会学』(有斐閣アルマ)には「より高いメリットを持った人々が、より高い地位につく社会のしくみ」(211頁)と説明されている。なおメリットとはここでは「職業に貢献できるだけの能力や実力」(271頁)を指す。高い能力を持つ者は当然高学歴を持つのだから、学歴をもとに人間の能力を判断すべきだ、という考え方である。

『教育の社会学』の記述を引く。

どれだけがんばろうとするかという意欲や動機づけは、個人がどのような社会環境におかれるかによって違ってくるのではないか。努力し続けようとする性向や、がんばってみようとする動機づけが、どのような家庭環境で育つのかによって違ってくる可能性があるのだ。さらに、努力の習慣ということも、家庭のしつけの問題だとみることができるかもしれない。そうだとすれば、学力の差異には、能力の差異だけではなく、努力の差異を通した出身階層の影響が表れる可能性も否定できない。(pp243~244)

呉氏のいう「実力を正確に反映した学歴社会」メリトクラシーは、東大にいけそうな環境にいる人しか東大には行かないという事実を見過ごしてしまう。前にブログで書いたが(https://nomad-edu.net/?p=520)、〈①大学に行くのが当然視される環境で、②周囲にも大学にいくことの賛同を受けていて、③塾や予備校・参考書代を捻出する経済的余裕があり、④勉強しやすい環境が整備されている、という条件に適う者のみがいわゆる一流大学に合格する〉のである。いくら実力があっても、大学に行かないのが当然とされるような家庭ではまず大学にいくことはない(野口英世は希有な例外だ)。

教育社会学者なら絶対に書かないような文章が載っている週刊誌。今日あらためて週刊誌不買を決意した。

追記
●先の『教育の社会学』には次の記述もある。

学歴社会というと学歴の影響が圧倒的に大きい社会を想像するが、実際には、どのような家庭に生まれるのかも依然として強い影響を残しており、しかも、どのような家庭に生まれるのかが本人の学歴に影響し、それが本人の到達階層に影響するという関係も強化されているのである。(259頁)

やはり学歴は本人の努力のみで決まるものでないことが分かる(その「努力」自体も生まれた環境によってやる/やらないがきまることも本文で述べた)。

あとづけ抜弁天

抜弁天の交差点。あのラーメン屋『なんちゃって志村軒』がある交差点であるといえば近所の人にはわかるだろう。

はじめは【ぬき】だったのを【ぬけ】に切り替えた。

作ったひとも【抜け】ていたのであった。