自分がスーツ用の鞄を買うようになって、漸く周りのサラリーマンが案外安い鞄を使っていることがわかった。

2000万人

幼稚園から大学までの、幼児・児童・生徒・学生数=2015万人。日本人の6分の1。

席を譲る

電車内、席をお年寄りに譲ることはいわば共通見解だ
しかし電車では、例えば壁面部など「けっこうラクに立てる場所」もある。

そこは譲らなくていいのだろうか?

現在の教育

現在の日本では、はたして「個人の幸福を全く問わない教育」は行われているのだろうか。友人に言われ、気付いた。つい、国家主義的教育が行われているように考えていたからだ。

もっと自由に生きよう。

自分は昔から、「こうでなければならない」といった決まりを、たくさん作りつつ生きてきた気がする。人は絶対、呼び捨てすべきでない、丁寧な言葉遣いをすべきだ、下ネタを話すのは低レベルな話題だ、などなど。

多くは直っては来たが、まだまだいくつかは引きずっている。言語コードを豊かにする、との項でも書いたことである。

自分は多くの決まりを引きずってきている。すべてが善である、と信じて。しかし、善の基準は相手によって、場所によって異なる。友人との親しい関係を作るとき、呼び捨てできないのは大きなハンデとなる。つまり、自分の行動を起こすとき、譲れない「2%」にあたる部分以外は相手のことを考えて行動すべきなのだ。同じ事を伝えるのにも、多くの言い方・あらわし方・動き方がある。譲っていい98%を上手に使って、譲れない2%を伝えていけばいいのだ。

私は、いろいろな顔を見せながら、いろいろな方法・テクも使いつつ、なおかつ「これは死んでも伝えたい、表現したい!」とのやむにやまれぬ熱意を持って、生きていける自分になりたい。まずは、友人を呼び捨てできるようになりたい。より以上の仲の向上のために。

*参考として、原孝『その言い方では、人はついてこない』(PHP文庫)を使用した。

思い、と両立

「思い」「一念」の力は、形式的な「一日、~分を・・・に使おう」ということよりも重要である。「これをやり切るのだ」との熱い、強い決意は、単純な仕事割り振りとは異なる両立を達成できるはずだ。

両立に必要なものは、テクニックなどよりも思いである。「自分は絶対これをやり切るのだ!」との強い決意は、不可能を可能にするほどの力があるはずだ。

手帳はA5にすべきか

私は、ここ数年(中学3年から)ずっと「超・整理手帳」を愛用している。そのため、かなり前から、手帳=A5タテ半分サイズであった。

いま、私のメインのメモノートをA5サイズとした。この際、手帳もA5サイズにしようかと思う。そのほうが一覧性もあがるし、メモとの連動も簡単だ。難点は超整理手帳のよさである、スーツの内ポケットに入るというアドバンテージが使用できなくなることである。これは残念だ。また、リフィル使用時の見えない面が増えるのも難点である。あと、重大にして最大の問題点は、A5サイズのカバーは高い、ということである。これは残念だ。なかなか思い切ることができない。

やすいA5カバーを買って、新たに挑戦してみたい。

自分の振り返り

自分は、行動は出来る。論理だても出来る。私に必要なのは、行動・論理に感情・思い・祈りを込めることである。

「慈なくして詐り親しむ」ことになるからである。

代名詞

「先生」や「先輩」は、相手の名前がわからなくとも使用できる、便利な代名詞なのだとわかった。

コーヒー

急に寒くなった。

温かいコーヒーを買おうとした。

自販機すべてが「つめたーい」 表記であった。