新渡戸稲造『武士道と修養』実業之日本社 2012。

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「事をなす者、多数の中の有力なものが人の長となり、王となるということになる」(40)

 

「僕の考えでは、「勝つ」というときは比較的で相手の存在を必要とし、それを打ち倒すことを意味する。一方、「克つ」は絶対的で敵の有無を問わない。むしろ敵の有無は二の次で、自分に敵対する者があればそれを破るが、敵対する者がいなければ、その力を自己の発展、己を磨くことに転用する」(41)

 

「僕は札幌農学校で教えていたころ、学生が気にさわるようなことをしても決して怒るまいと決心した。そこで教室に入るとき、扉のノブをつかみ、

「生徒は大切である。たとえ無礼なことがあったり気に入らないことがあっても、必ず親切に導かなければならない」と自分に言い聞かせ、なるべく怒らないよう心がけた」(51)

 

「小さなことに注意を払い、何度も繰り返し反省することで、他日、同じことが起こったときに迷うことがない。日々、己に克つことで、大きなことに身を捧げることができるのだ。英雄豪傑はいざ知らず、凡人は細事を細事とせずに修養するのがよいと思う」(53)

 

「現在していることが小さなことであっても、大きな理想の一部を実行しているのだ、というところまで考えがいかなければならない」(76)

 

「社会から外れても、あるいは社会からつまはじきされても、人間として僕は僕だ、というくらいのところまでいけたら、しめたものだと思う。達磨のように蹴とばされても転ばず、人を怨まず天を恨まず、毀誉褒貶など気にかけず、職業はどうあろうと、一個の人間として天を楽しみ地を楽しんで世を渡るなら、実に満足で愉快な人生ではなかろうか。そこまで行くくらいな考えでやったなら、小さな不平などなくなってしまうはずである」(80)

 

この本を読んで、お茶を習いたくなった。

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