PがなりたたなければQも成り立たないという関係があるとき、PをQの必要条件という。
→仮定と結論がどうのこうのという、数学の教科書よりわかりやすい定義だ。
PがなりたたなければQも成り立たないという関係があるとき、PをQの必要条件という。
→仮定と結論がどうのこうのという、数学の教科書よりわかりやすい定義だ。
一般に、高学歴の人が成功者になりやすいのは何故だろう。私は学ぶ力があるからだと考える。
お笑い芸人でいまも司会を続けている人は、学ぶ力のある人である。明石家さんまは自分のテレビ番組を全て録画、見て自身の芸を研究していると聞く。島田シンスケも同じだそうだ。
成功者は学ぶ人である、とするなら、高学歴が成功の十分条件だ。高学歴の人は少なくとも、学校の勉強は出来るからだ。
人生の成功も、その人が学べるか否かにかかっていると思う。和田秀樹があえて(高学歴を我が子にあたえなさい)というのも理由がないわけではない。
喫茶店でしかのめないコーヒーがある。サイフォンなどいろいろあるがウィンナコーヒーはその際たるものだ。
しかし不思議だがスタバやドトールなど、大手のチェーンではウィンナコーヒーは飲めない。
もっと安く200円くらいで、飲めないものだろうか?メーカーさん、いいビジネスチャンスだと思うのでご検討ください。いまのだと高くてそう簡単に飲めないのです。
千尋は映画の中で成長した。でも親はそれを知らない。
これは子どもは親の知らないところで成長していることを示しているのではないか。
神隠しは昔からずっとあった。異界を子どもがさ迷う体験である(高橋勝先生の教育人間学だ) 。高橋先生に因ると異界は子どものそばにあるらしい。
かくれんぼで身をひそめるとき、子どもは生きているとも死んでいるとも言えぬ世界に存在する。これが異界だ。またこのゲームの「オニ」というのも、現実にない存在との出会いを意味する。
異界との出会いのなかからも、子どもは育つ。異界との出会いでしか学べないこともある。千と千尋は、このことをとく話かも知れぬ。
千と千尋の神隠し
カオナシは現代人の象徴。個性がなく、ジコチュウ。
このカオナシはゼニーバのところで手芸の手伝いをすることになった。
これは何を意味するか。現代人の救済には、誰かのために行動すること・なにか手に汗して行動することにある、とのメッセージでないか。ゼニーバも「魔法で何でもやると何にもならない」といってるし。
ようやく、人前で青ハンカチを使っても、ツッコミを受けなくなって来た。
自分が勝つと、師はもっと偉大になる。訓練を受けている人間であるならば。戦いの好き嫌い・自信の有無に関係なく、やるしかない。自分が勝つと、先生の勝利を体現できる。
苦しいことがなければ、訓練を受けなければ、人は偉大になれない。最近、「やりたくないことはやらなくていい」という、悪しき自由主義・放任主義がいきわたっている。いまはいいかも知れぬが、人生は長い。残りの生涯、どうすごすのか?
苦しいことがあっても、やりぬく。
ふと足元を見ると、蟻が大量にいて思わず驚く感覚。
当たり前だと感じていたもののあらたな一面を見つけるような感覚だ。旅をするのも、本を読むのも、そういった感覚を味わいたいからの行動であるかもしれない。
ここはセミと都心を走る車の音がミックスした空間である。
都会の真ん中の公園というのもいいものだ。
池を見ていると魚が跳ねているのがみえる。
ここはセミと都心を走る車の音がミックスした空間である。
都会の真ん中の公園というのもいいものだ。