その人にとって見える世界しか、〈世界〉ではない。進学校に通った人間の〈世界〉では、大学に行かない人はアブノーマルなのだ。けれど、中堅高校に通った人の〈世界〉において、大学は「半分くらいの人が行く所」という認識になる。
私(=進学校に行った人)は勝手に、「いま大卒でも仕事が無くなってきており、大学院に行くことが要請されている」と軽々しく言ってしまう(大大学 傾向と対策)。しかしそれはあくまで「私」の見た〈世界〉であり、日本全体を見た話・地球全体を見た話ではない。
知識人やマスメディアの人間は「大卒」ばかり。自然と大卒人間の見た〈世界〉観を維持する報道を行う。けれど〈世界〉はもっと本来豊かなものなのだ。アーレントの他者概念の中にも、そのようなものがあった。
自分の見ている〈世界〉だけが世界ではない。そう考えていくと、異なる他者への理解がおよぶはずだ。自分の〈世界〉がいかに狭いかを知ることが必要だ。それ故にこそ、若者は旅に出るのだろう。自分の知らない〈世界〉と他者を通じて触れ合うことができるからだ。フリースクールに通う子どもたちも、不登校時代に海外放浪旅行や「四国のお遍路」を踏んだ経験を持っている人がしばしばいる(『ボクらの居場所はここにある!』)。それにより、不登校や学校を相対的に見れるようになる。「あ、なんだ不登校でも生きていけるんだ」と気づくのである。