16年間の「学校」教育。
気づけば、私も大学生になっていた。早いものでもう4年目である。ここまで、義務教育9年+高校3年+大学4年=16年間も、「学校」で教育を受けてきたことになる。長いものだ。
ところで、「学校」で学んできたものの総量と、「学校」外で学んできたものの総量とでは、どちらが多いだろうか。学校制度は「教育」政策の根幹をなすものである。本来は学校という場において「学ぶ」という作業は行われているはず。しかし私は日本語運用能力も、コミュニケーションの技術も学校の外でほとんどを学んできた記憶がある。学術的知識という、学校が本来担っている部分ですら、大部分は自分で本を読んで学んだことだ。
では、学校という存在は本当に役立っているといえるのか? 学校は何のためにあるのか。
寺子屋をつぶして、「学校」へ。
江戸時代の日本には寺子屋という教育機関があった。人口4000万人の時代に、約2万校存在したとされる。これは江戸幕府や藩が設立したのではない。自然発生的に、民間の有志が作ったものである。
この寺子屋では「子どものため」の教育が行われていた。社会で生きるのに必要な「読み・書き・そろばん」の技術を習得する場所であった。必要がなくなればいつでも卒業できた。学習内容も、子どもとその親の要望によって変わった。大工の子どもには「大工往来」という、大工になるのに必要な知識を詰め込んだ教科書が使われた。商人の子にも、やはりそれに応じた教材が使われていた。現存するだけでも、寺子屋で使われた教科書は1万種類を超えている。寺子屋では子どもの要望に対応した教育が行われていたのである。おまけに、寺子屋は必要ないと判断すれば、「行かない」ことすら選択できたのである。
先ほど、「学校は何のためにあるのか」という疑問を述べた。教育学的に見ると、「学校」の使命は単純明快。それは「国民」の形成である。
江戸時代が終わったとき、日本にいわゆる「日本人」はいなかった。何故か? 全国各地がいくつもの国に分かれていたからである。当時日本は大小多くの藩にわかれており、それが国としての役割を果たしていた。そして薩摩の国・長州の国など、それぞれの国を大名が治め、その大名を江戸幕府が統括していたのだ(故郷を聞く際、「クニはどこだ?」と言うのはその名残である)。薩摩の国に住む人は、自分のことを「日本人」と捉えず「薩摩の国に住む者だ」と認識していた。
それぞれの国どうしは話す言葉もちがっており、方言は相互に理解不能なほど複雑なものだった。参勤交代で江戸に来た大名たちも、お互いの意思疎通には筆談を使っていたといわれている。
要するに、明治時代に入るまで日本には「日本人」はいなかったのである。これでは明治政府は困ってしまう。「日本」という抽象的概念の元に国をまとめなければ、国内が混乱してしまう。前近代であった江戸時代、たくさんの国に分かれていたことはすでに述べた。国自体がバラバラであったわけだ。国内がバラバラであれば、その混乱に乗じて外国が日本を攻めてくる可能性がある。すでに同時代のアジアでは欧米諸国によるアジア侵略が始まりつつあった。「日本も欧米に侵略されるかもしれない」。こんな危機感が政府の中にあった。そのため、「日本人」という認識を人々にもたせ、国民の精神の統一を図ろうとしたのである。
そこで明治政府は2つのものを利用した。それは「学校」と天皇である。
全国各地に昔からあった寺子屋を廃止し、「学校」をつくる。「学校」では方言ではない標準語で授業をした。「日本人」という意識を持たせるため、日本史や日本の地理の学習をさせた。同時にトドメとして、天皇を用いた。〈日本国民は天皇の赤子である〉という教育を行い、精神的な意味での「日本人」意識を持たせたのである。
つまり、「学校」なんてものは本来、私たち個々の人間のために作られたのではなかったのだ。国家のために働く「日本人」を育成するためだけに、「学校」がつくられた。その証拠に、「学校」をつくるとき、明治政府はわざわざ寺子屋をつぶしてしまった。
「子どものため」に作られた寺子屋を壊すところから始まった、明治の「学校」教育。現在もまだ、明治の制度を引きずっている。
ここら辺で、一度「本当に《学校》教育は必要なのであろうか」と、探ってみることも必要なのではないだろうか。
強制的・制度的な勉強は有効か? Hさんの事例より。
私の友人に、Hさんがいる。現在20歳の彼は小学1年のときに不登校になり、13歳くらいからフリースクールに通うようになったそうである。なお、フリースクールというものは日本では「不登校の子のための学び舎」という意味が一般的だ。無理に子どもを勉強させるのではなく、自由に過ごすことのできる場所。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。来ないという選択肢もある。カリキュラムは一応決まってはいるが、基本的には子どもがやりたいと思うことを自由に行えるところだ。以前私が「東京シューレ」というフリースクールに見学に行った際、6歳の子どもと16歳の子どもが一緒にテレビゲームに興じていた。キャッチボールをしている子どもも、『名探偵コナン』を読んでいる子どももいた。
Hさんは「東京シューレ」に、8年間通った。今年の春にシューレを辞め、会社で働きはじめた。彼は18歳まで、文字を読むことができても、ひらがなを書くことができなかったとそうだ。いまでは習得し、書けるようになった。会社でも普通に文字を書いて働いている。
Hさんの話を居酒屋で聞いていて、自分の「教育」に対する思い込みが晴れていくように思えた。今まで私は「文字の読み書きくらいは、無理やりでも子どもに学ばせなければならない」と考えていた。そうしなければ、個人の不利益になるからだ。けれどHさんの話を聞いて以来、「無理やりでも学ばせる」ということの必要性を疑うようになる。話を聞いていて、思わず焼き鳥の串を落としていた。
現状の教育制度ではHさんのような存在が「あってはならない」ものだと考えられている。文字の読み書きが出来ないと、人は不幸になる。だから、無理やりでも教えなければならない。普通はこう考えられている。けれど、本当にそうだろうか。彼は「ひらがなを長い間書けなかったけど、そんなに困らなかったよ」と語っていた。「無理やりでも学ばせないといけない」と教育関係者は躍起になっているが、案外Hさんの言うようなものかもしれない。
パウロ・フレイレというブラジルの教育運動家がいる。フレイレは学校廃止を主張した人物だ。その理由として「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる」(山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』174〜175頁)からであると説明した。いつ文字を学ぶかということも、本人の自由で決めていいのではないか、とHさんの話から思うようになった。
冒頭に、寺子屋の話を書いた。寺子屋は文字の読み書きと、そろばんの技術を学ぶところであるが、「行かない」という選択肢もあった。「学びたくない」と思えば、学ばずにいることもできた。その点が明治期以降の「学校」との違いだ。「学校」は《日本人としての一体性を持たせないといけない》という強迫観念に駆られているため、「無理やりでも学ばせよう」とする。Hさんはそんな学校のあり方に愛想を尽かしたわけだ。代わりにフリースクールで自分の興味に基づいて過ごすうちに、自主的判断から平仮名を学ぶようになった。
「渇き」による学びの重要性
こんな文章がある。
喉が渇いたら、馬は自ら水を探します。そのときは、馬が真剣に、水の匂いを嗅ぎ分け、道を探すのです。
水がいらない馬を、川に引っ張っていくことは、ムダなことであり、自己満足にすぎません。
乾きこそ、モチベーションの源泉です。
他人に与えられるのではなく、自分で感じ取るものです。
生きていれば、必ず渇くときがあります。
他人にモチベーションを上げてもらおうと考えた瞬間に、モチベーションの炎が、あなたの心から消え去ります。(宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』幻冬社、2009年、6~7頁)
フリースクール[1]では、子どもを無理に学ばせようとはしない。
フリースクールは「子ども中心の教育」が行われているところだ。子どもはいつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。休むのも自由であれば、何をするのも自由である。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間はかかるかもしれないが、宋の文章でいう「渇き」が起こるのだろう。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。
日本初のフリースクールを設立した奥地圭子の著書に、『不登校という生き方』がある。この本の中に「進学先を選択する」という項目がある。フリースクールに通う子どもたちのうち、高校・大学への進学を希望する子どもについて書いているところである。奥地は「志望した人のかなりが高校や大学に受かっています。そしてどうやらついていけるようです。もちろん、受験をすると決めたら、少しは、または熱心に本人が勉強しています。しかし、学校に行っていた子と比べ、圧倒的に勉強量の差はある。それでも合格するし、ついていける」(『不登校という生き方』127頁)と述べている。その理由は何であろうか。
これは、「ヒロベン」(広い勉強のこと)をしているからです。何をしていても広い意味で勉強になっています。テレビ、本、マンガ、新聞、ゲームなどでも、知識、認識は広がっています。そういった土台があり、必要な時に勉強をやれば身につくのだと思います。予備校に行く、学習塾に行く、家庭教師に来てもらうなどの方法を取った人もいるし、一人で勉強して合格した人もいます。
ポイントは、本当に進学したいのかどうか、ということでしょう。入りたい目的がはっきりしていることも重要です。やりたいことには、自然にエネルギーが出るからうまくいきます。実際、わが家でも、東京シューレでも、それほど長い期間ではないですが、猛烈に勉強に取り組む姿をみました。感心したのですが、何のことはない、それまでのいっぱい休息し、遊び、充電している子が不登校には多いですから、いざ、本気でやろうという時には、すごいエネルギーが出るわけです。(『不登校という生き方』127〜128頁)
宮台真司の描く自伝的エッセイの中にも、こんな話がある。高校三年生までは遊んでいた生徒の方が受験の直前になると、ずっとコツコツ勉強していた生徒の成績を抜くという話だ(『日本の難点』)。皆さんのまわりでも、そのような例があったのではないだろうか。
重要なのは学ぶ気がないとき(「渇き」がないとき)は無理して学ばせないことである。だからこそ真に水を欲した際(学ぶ気力が湧いてきたとき)、「すごいエネルギーが出る」ことになるのであろう。
さきほどのHさんにしても、「無理やりでも学ばせる」という「学校」のあり方を嫌い、不登校になっていた。Hさんが18歳になってから平仮名を勉強したということも、「渇きによる学び」が発動したからこそ成功したのだろう。それ以前のマンガやゲームといった「ヒロベン」が、「渇きによる学び」が起きた際、有効に機能し始めるのである。
強制的に「学ばせよう」とすることに、それほど意義はないのではないか。それこそ、「無理やりにでも学ばせよう」というのが「学校」の「教育」なら、そんな「教育」なんて無くなってもいいのではないか。「渇きによる学び」さえあれば、「教育」なんてなくてもいいのではないか。
最近の私は、こんな風に思うのである。
参考文献
イリッチ『脱学校の社会』
奥地圭子『不登校という生き方』
宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』
ダニエル・グリーンバーグ『「超」学校』
林隆造『教育なんていらない』
宮台真司『日本の難点』
山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』
山本哲士『教育の政治 子どもの国家』
[1] 日本における「フリースクール」は、主として「不登校の子がいくところ」という認識である。けれど、本来的には「子ども中心の教育」が行われているところ、という意義がフリースクールにはある。強制的に学習させる「学校」ではなく、「自由」に過ごすところであるからこそ「フリースクール」なのである。「フリースクール」の実際例として、1985年に奥地圭子が作った「東京シューレ」やアメリカの「サドベリーバレースクール」などがあげられる。