社会学

『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』読書メモ

Brinton, Mary C.(2008):池村千秋訳『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』、NTT出版、2008。

・日本の若者の中で最も就職状況が厳しいのは普通高校低偏差値校であることを実証した本。アメリカでは職探しの際「ウィークタイズ」(グラノベッター)が強いが、日本では「ストロングタイズ」によって探すことが多い。
・高校の就職先あっせんのシステムが動かなくなり(普通高校。工業高校や商業高校はまだ口が見つかりやすい)、自ら高校生が動く必要が出て来る。

・かつては「場」が物をいった日本社会だが、だんだん場が衰退しており、アメリカ同様「資格」中心に動くようになってきた(95)。かつては学校や会社が「場」(男性の場合。女性は家庭であるという)の働きを持ち、なんらかの安定した場の一員であることが決定的に重要な意味を持っていた。「しかし今日の若者にとって、そうした「場」は減りはじめている。社会におけるアイデンティティーを学校と職場から得られない若者が増えているのだ」(99)。
 「正社員にならない若者が増えていることに関して日本の政府とマスコミは若者の姿勢を批判するが、重要なことを見落としがちだ。その重要な側面とは、この章で指摘してきたように、高校の序列がはっきりわかれていて、求人の数に高校によって大きな格差があるという現実である」(143)。
 「かつて日本人にとって、幸福や安心の源泉であった、企業や学校という場に所属する機会は、ロスジェネにとって、大きく失われてしまった。なかでも、偏差値レベルのそう高くない高校を卒業した後、大学に進学しなかった男性ほど、「場」を失って彷徨い続けているのだ」(240頁の玄田有史の解説)。

ウォーラーステインとイリイチ。

 ウォーラーステイン(19883)の『史的システムとしての資本主義』(岩波現代選書)を読んだが、イリイチのシャドウ・ワーク論に通じる指摘が多かった。

「資本蓄積者が政治的救命ネットとしてあてにしてきたのが、労働のうち金銭で測られてきた部分はほんの一握りにすぎないという事実である」(131)

 イリイチの『脱学校の社会』のハイライトにつながる「プロメテウス」的人間への批判も、本書103頁で述べられている。
 
 なぜ、ウォーラーステインの本書とイリイチの発想は繋がり合う点が多いのか? それはいずれもマルクス思想を土台にするという、米ソ冷戦下の思想体系の元に出てきた思想であるためである。この部分の理解が自分には甘いので、マルクス思想を再び学び直そうと思う。

子どもを子ども扱いする社会への批判。

 私は既存の教育学が子どもを「他者」として認識していない点に疑問を感じている。メーハンのIREではないが、教育的眼差しは子どもに「評価」の眼差しをおく。しかし、我々は友人に対して時間を聞いて「ありがとう」と言わず評価のみをすることは全くないはずだ。教育的関係においてのみ、子どもたちは「よくできました」と教育的眼差しで見られる。
 共同体社会の時代から共同体維持の成員育成が「教育」で行われてきたわけであるが、その教育自体の持つ「社会維持」の機能についてはあまり批判がなされていない。「子どものため」の「よい」教育であっても、子どもをまさに「子ども」扱いする。幼児段階はそれでいいが、小・中学生や高校生、はては大学生を同じ眼差しでみてもいいものなのであろうか。当然、「教える」エートスが求められるのは現在の社会(後期近代の社会である)そういった姿勢を要求するためである。
 その辺りを考察すると、教育的な眼差しをもって子どもを見ることが「気持ち悪い」と思ってくる。教育行為をどんなに奇麗な言葉で飾ったとしても、要は現在の社会の構成員になってもらいたい、あるいは構成員にさせる行為にすぎない。人々がそれに自覚的でないだけである。そのため、子どもに敬語を使ったり、逆に偉そうに振る舞う親や教員・大人たちをみると、その人々が「子どものため」と信じて行っていればあるほど、教育の共同体維持機能を無視しているように見えてしまい、「気持ち悪さ」を感じてしまうのだ。
 だからあえて私は考える。思いっきり、「大人げない」態度を子どもに行ってはどうか。無論、ピアジェ的には発達段階論で「大人げない」眼差しへの批判がアルであろう。しかし考えるべきは、我々大人は親しい関係にはまさに「大人げない」態度で関わっているのではないか。嘘をつけば、ネタとして友人を「いじる」。それはまさに汝−我関係という対等の立場に存在しているからである。しかし、子どもに対してはどんなに親しくなっても汝―我関係を成立させることはまれである。
 そんな理由から私は既存の教育学を根本から批判する脱学校論(非学校論)や半教育学が好きなのだが、あまり共感がなされないのが現状である。

シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察

シャドウ・ワーク概念の教育への適用についての一考察

0、目次

 本稿は以下のように構成されている。

1、はじめに
2、シャドウ・ワークとは何か 
(1)教育におけるシャドウ・ワーク性
(2)学習行為のシャドウ・ワーク性
(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い
(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク
3、シャドウ・ワーク概念への批判
(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ
(2)教育の否定
4、教育への展望
(1) 「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育
(2) CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観
(3) CIDOCでの実践の評価
5、終わりに
6、今後の課題
7、参考文献

1、はじめに

 オーストリアの思想家イバン・イリイチ(Ivan Illich 1926-2002)は「シャドウ・ワーク 」(shadow-work)という概念を提唱している。これは当初ジェンダー 論の文脈で用いられたものであり、今まで自明視されていた主婦業を影の経済・苦界の経済として概念化したという意義がある。現在では一般用語として使用される機会も増えている(例えば関 2002、大西2002)。
 イリイチは著作の中において、教育に対してもシャドウ・ワーク概念が適合されると示唆する。「賃労働を補完するこの労働を、私は〈シャドウ・ワーク〉と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる」(Illich 1981:207-208)。学校の試験が生徒の自宅での勉強という労働によって補完されていることが示されているわけだ。
 イリイチはシャドウ・ワーク概念が教育に関しても当てはまるということを指摘している。しかし、具体的に教育のどの側面がシャドウ・ワークに当たるかを提示してはいない。シャドウ・ワーク概念の教育への適用については山本(1983、2009a)の研究があるが、山本は適用について語るのみであり、そもそもなぜシャドウ・ワーク概念をイリイチが教育に対し当てはめようとしたのかの検討はなされていない。そのため、本稿の狙いはこの解決にある。
 近年に入り、『生きる意味』や『生きる希望』といったイリイチ最晩年の著書が刊行・翻訳された。それにより、イリイチ思想を彼の著作全体から探ることが可能になった。そのため、本稿では、晩年のイリイチの著作も参照しつつ、教育におけるシャドウ・ワーク概念の教育への適用可能性について考察する。
 なおイリイチの著作の邦訳名は、研究者によって多様なものが使用されている。例えば山本(2009b)はイリイチの“Dischooling Society”を『脱学校の社会』でなく「学校のない社会」と訳す。同様に山本は『脱病院化社会』も「医療ネメシス」と訳している。本稿では混乱を避けるため邦訳の表題をそのまま使用している。

2、シャドウ・ワークとは何か

 ここではイリイチのシャドウ・ワーク概念の整理と、その教育への適用可能性を見ていく。

(1)教育におけるシャドウ・ワーク性

 まず、シャドウ・ワーク についてのイリイチの定義からみていく。本概念はイリイチ自身が様々に意味を拡大/拡散させながら使用しているので、『ジェンダー』でのシャドウ・ワーク概念の整理から論をすすめていく。
 シャドウ・ワークとは「財やサーヴィスの生産とちがって、商品の消費者によって、とくに消費的な世帯でなされるもの」(Illich 1982:94)であり、「消費者が、買い入れた商品を使用可能な財に転換する労働」(同)を意味する。「買い入れた商品に、それが使用に適するようになる価値を付加するために支出されねばならぬ時間、煩労、努力を、シャドウ・ワークと名づけるのである」(同)。つまり「シャドウ・ワークとは、人々が商品を媒介に自分たちのニーズをみたそうとすればするほど従事しなければならぬ活動」(同)なのである。それは「ますます孤独で、ますます生気のない、ますます非人格的な、ますます時間濫費的なものとなってきている」(同:95)。
 イリイチは論を教育にも広げて行う。前近代社会において、子どもはヴァナキュラー(土着、あるいは場所ごとに異なった、との意味)な言語と文化を学習していた。みな方言を話し、将来的には自分のいる共同体の一員になることが期待されていたのだ。近代社会になり、その共同体に学校「教育」が入り込む。近代学校制度はヴァナキュラーな言語でなく、標準語化された「国語」が習得されるシステムである。また近代社会の構成員を作り出すプロセスでもある。近代社会が産業社会である以上、近代国民化される子どもたちは、「労働力が資本化されるプロセス」(同:100)に巻き込まれ、近代社会を構成する国民に社会化されていく。
 この近代教育の結果、保護者も学校教育に協力的であることが要請されるようになる。イリイチの言う、「教育制度の枠内で教師の助手となっている」(同)状況が現出するのだ。早く子どもが「国民」や労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス(経済人間)」に社会化されるよう、家庭にも学校的あり方が要請されるのである 。
 つまり、教育におけるシャドウ・ワークとは、国家の要請する「国民」と、労働主体・消費主体たる「ホモ・エコノミクス」とに子どもを形成するプロセスそれ自体を意味する。後に労働主体・消費主体になるよう、また「国民」になるよう、子どもたちが働きかけられる営みをシャドウ・ワークというのである。『脱学校の社会』を書いたイリイチの問題意識は本概念にもつながっており、近代教育の否定ないし教育行為の否定を訴えたのがシャドウ・ワークなのである。
 イリイチはコンピュータ技術が進んだ社会ではシャドウ・ワークという「新型経済活動」(同:96)が「生産的労働よりも経済的にもっと根本的なもの」になると指摘をしている。教育は近代社会の構成員を作り出す故に、教育におけるシャドウ・ワーク性が社会を支えることになる。まして、後期近代と言われる現代は、前期近代に比べ情報化・再帰性が飛躍的に高まった。前期近代の学校には要請されることのなかった「キャリア教育」や「総合学習」などが学校に求められるようになったことはその表れである。

(2)学習行為のシャドウ・ワーク性

(1)で見てきた内容が基本的な教育へのシャドウ・ワーク概念の適用だが、イリイチはそれを拡大させて使用していると述べた。(2)においてその具体例として学習行為のシャドウ・ワーク性を見ていく。
シャドウ・ワークは他律の行為だが、自ら進んで行う従属の行為であるという特徴がある。賃労働には給料が発生する。しかし、シャドウ・ワークは無償の行為である。その上、シャドウ・ワークの担い手が逆に金を出すことで経済社会を支えることになる。具体的な例でいえば、消費者は企業の新製品を受動的に受け取るという意味のシャドウ・ワークを行っているといえる。これを学校において言えば、教員の一方的な授業を黙って受け取るという行為がシャドウ・ワークとなる((4)で見ていく「専門家支配」でもある)。

賃労働にとって人は選択されるが、一方〈シャドウ・ワーク〉の場合は、人はそのなかに置かれる。時間、労苦、さらに尊厳の喪失が、支払われることなく強要される。けれども、よりいっそう経済成長をすすめるためには、〈シャドウ・ワーク〉の支払われることのない自己開発が、ますます賃労働よりも重要なものになってくる。(Illich 1981:209)

教員によってなされる教育サービスは、生徒のシャドウ・ワークによって支えられているのだ。山本(2009a)は、次のようにシャドウ・ワークを解説する。

隠れた支払われない労働がある、それはサービス労働の裏側に構成されている、たとえば教師のサービス労働にたいして生徒の消費ワークがある、(中略)これらは「させられている」行為、他律行為の働きかけによってなされている受け身的な消費行動になっている。このインダストリアルなサービス商品を消費していると考えられてきたものを、隠れたシャドウのワークであると切り替えたのだ。つまり、産業的な価値を産み出しているワークである、消費ではなく生産であるという切り替えである。(山本 2009:238頁)

学校での授業は、傍目から見れば教育の受け手である生徒がサービスを受動的に消費しているように見える。本当はそうではなく、教育サービスを受けることはシャドウ・ワークという「生産」を行っていることなのだ。生徒たちは後に「ホモ・エコノミクス」や「国民」になるよう、自らを生産しているのである。他律行為であるシャドウ・ワークは教育によって個人に内面化されるため、この従属は自発的に行われることになる。

(3)大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークの違い

 イリイチは大学生のシャドウ・ワークとそれ以外のシャドウ・ワークとを立て分けている。「現代社会での労働のいくつかの形は、最初は支払われないもののようにみえても、最終的には金銭的評価で高い報酬となる。大学の学習は往々にしてよい例である。(中略)一般には、大学卒業の人間の生涯所得のほうが、卒業しなかった彼の兄弟、姉妹たちの所得よりもはるかに高いだろう」(Illich 1981a:265)。
 この人的資本論的認識のために、大学生は「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者といった本物の〈シャドウ・ワーカーズ〉にあてはまるものではない」(1981a:266)シャドウ・ワーカーとなる。つまり、大学生はいま自分たちが大学で単位獲得のために行うシャドウ・ワークこそが将来「大卒」として得られる所得につながると認識している。その点が、例として挙がった「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちと違う点である。大学生が単位獲得のために行うシャドウ・ワーク(=授業への参加や卒業するための学習)は、将来において給与が支払われることを見越した行為なのである。山本(1983)も大学生たちを指して「彼らは支払われないが、特定の時間拘束され相当のコストがその教育にかけられている。大学生はそれによって社会的な特権ないし収入の価値を自ら高めている」(山本 1983:214)と指摘する。山本の指摘は、現在の大学では就職活動のために各種資格取得を目指す大学生の姿に見て取ることができる。
まとめると、大学生は将来の稼ぎを見越して〈シャドウ・ワーク〉的学習を行う傾向があるというのが、イリイチの述べた「大学生のシャドウ・ワーク」の中身である。

(4)専門家依存としてのシャドウ・ワーク

 では、大学生と違う「専業主婦、中等学校の生徒、パートタイムの通勤者」たちのシャドウ・ワークにはどのような意味が込められているのか。先の引用文の後、スウェーデンにおいて主婦の一部に賃金が支払われるようになったことをイリイチは指摘するが、まさにそのことによって「スウェーデンは、社会的なサーヴィスにおける訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉を雇用する試みに、新しい世界を導いているようだ」(Illich 1981a:267)と皮肉を述べる 。「これは、社会的部門における〈シャドウ・ワーク〉を賃労働より一層早く増加させる計画である」(同)と続けている。
 この部分を理解するには、イリイチ最晩年の著書『生きる希望』に登場する新約聖書「ルカによる福音書」10章25節にある「善きサマリア人」の寓話とイリイチの解説文を持ってくる必要がある。この寓話はイエスが律法学者の悪意ある質問に対し語った物語である。強盗に襲われ、傷ついたユダヤ人が道に倒れている。ユダヤのラビはそれを目にしつつも素通りをしていった。その後に通りかかったのがサマリア人である。ユダヤと敵対関係にあるにも関わらず、そのサマリア人は傷ついたユダヤ人に施しの手を差し伸べた、という内容だ。
 イリイチはこの物語が‘傷つき倒れた人間にはこのように手助けをすべきだ’という画一的な救済のやり方を示すものであると、一般的に解釈されるようになったことを批判する。「寝る場所を必要とする人々に対して、なにがしかの制度、豪勢なホテルでないにしても、特殊な簡易宿泊所があるべきだとするのは栄光に満ちたキリスト教西欧の観念です。こうして、困っている人々すべてに対して開かれた試みが、客人に厚誼を与える気持ちの低下とケアを与える制度によって置き換えられることに帰結するのです」(Illich 2005:108)。 
初期のキリスト教において、困窮者の救済は「我と汝」の関係で行われていた。個々の他者に応じた対応の仕方であり、吉本隆明のいう「対幻想 」の段階である。共同幻想的に画一的な発想で他者に対するのでなく、対幻想的に個々の他者に応じた対応の仕方をこそ、イリイチは主張したのであった。「人間の関係は、二人の人間の間でなされる自由な創造としてしかありえません」(Illich 2005:102頁)。それが「困っている人々すべて」という抽象化および制度化をした結果、他者性が薄れ、個々人への救済という意味合いが弱まってしまう。結果的に、「共同幻想」として他者への画一的救済を目指すようになったのだ。画一的という意味合いで、山本哲士はサービス批判を行う(山本 2008)が、個々の他者に応じた関係、つまり「我と汝」関係に当てはまるものが山本のいうホスピタリティにあたるのである。
まとめると、「善きサマリア人」の寓話からイリイチが述べたのは個別性が失われ、画一的サービスが行われるようになることへの指摘であった。専業主婦の家事労働に政府が賃金を出す。これは社会サービスの一部に専業主婦が吸収されたことでもある。行政の社会サービスの代理人として「訓練された〈シャドウ・ワーカーズ(奉仕家)〉」が要求されるゆえんなのだ。専門家たちが作った制度に人々が従わされる「価値の制度化」の状態において、人々は専門家のいうがままに行為を行うようになる。「素人、言い換えると客を自分たち(藤本注 ここでは専門家のこと)の監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」(同:12)のだ。
 山本(1983)はここでいったような「家事に支払いをする」ことや「通勤時間を労働力の拘束において定義し、交通費のほかに賃金をうけとっている」(山本 1983:214)ことを指摘したのち、賃労働体制が転換してきたことを「労働組合や社会革命がすでに忘れてしまっているのも、この「シャドウ・ワーク」が編制してきた生活世界のためである」(同:215)と述べている。
 先に大学生のシャドウ・ワークを見てきたが、大学生でない人びとのシャドウ・ワークは専門家の作り出す制度につき従わされるということも意味している。つまり、「専門家支配」(Illich 1978)が行われ、自助としてのシャドウ・ワークを行わされるのである。
イリイチの『専門家時代の幻想』において、専門家と呼ばれる存在への批判が行われた。本来、人々が自分たちで行っていた領域に「専門家」が入り込み、専門家支配に従属してしまうことを批判するのである。『脱病院化社会』においては医者が健康・不健康を定める権力を手に入れたことをイリイチは指摘する(Illich 1975)。同様に、『脱学校の社会』でも「学校化」とは「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と認識することだ、と指摘している(Illich 1971)。教育専門家による教授/教育活動の独占(「根元的独占」あるいはラディカル独占)を否定し、自主・自律的な学びを志向するのがイリイチである。教育専門家への依存も、教育のシャドウ・ワーク性である。この専門家の存在があるからこそ、学校制度に頼らず自分たちで学ぶということが危険なことであると非難されることになる。フリースクールの実践も、学校制度という専門家支配の構造を揺るがす存在であるため批判され続けてきた経緯がある。奥地(2005)も、フリースクールを東京で作った際、教育委員会やマスコミなどによる批判が集まったことを述べている。
 まとめると、シャドウ・ワークを成立させる背景には専門家依存が挙げられる。この専門家依存は近代社会・産業社会が要請するものである。シャドウ・ワーク概念は近代社会批判につながると述べたが、専門家依存への批判という点からも近代社会への批判を行っているということができる。
 イリイチは大学生のシャドウ・ワークのみを他と区別したが、大学教育がユニバーサル化した現在の状況を見ると、大学生のシャドウ・ワークとその他を分ける必要性は下がってきているように考えられる。大学生に対しても「それ以外のシャドウ・ワーク」と同じ専門家支配が当てはまっているのである。例えば、現代社会では一コンピュータ企業の作り出す「ワード」や「エクセル」・「パワーポイント」等のソフトの操作法を学校でもパソコン教室でも学習させられる状況がある。人々は「ワード」・「エクセル」・「パワーポイント」を自在に活用できるようになることを期待されるのだ。企業にとっては顧客を会社の活動を支える助手であるかのように動かすことができる。その意味で「自助」としてのシャドウ・ワークを行っていると認識することができる。また「専門家支配」を行うことも可能になる。
 
3、シャドウ・ワーク概念への批判

 イリイチのシャドウ・ワーク概念を見てきたが、疑問も生じる。本節では2点にわけてイリイチのシャドウ・ワーク概念への批判を行っていく。

(1)近代否定・中世回帰志向のイリイチ

イリイチはシャドウ・ワークの対概念には「生活の自立・自存の仕事」(Illich 1981:51)、すなわちコンヴィヴィアリティ (conviviality)があると述べる。このコンヴィヴィアリティは「自立共生」ないし「相互親和」と訳され、主として共同体内での助け合いを描いた概念である。コンヴィヴィアリティのある社会こそ、イリイチが思い描いた理想社会である。このコンヴィヴィアリティが成立していた時期・成立する時期の「助け合い」を、イリイチはシャドウ・ワークであるとは述べていない。確かにここまで見てきたように、シャドウ・ワーク概念は近代社会・産業社会批判のための概念であった。しかし、シャドウ・ワーク概念の中身を検討すると、共同体社会・中世社会にもシャドウ・ワークが存在するのではないかと述べることができる。近代の社会におけるホモ・エコノミクス化が「シャドウ・ワーク」ならば、共同体のための教育もまた「シャドウ・ワーク」となるのではないかと考えられるのである。
コンヴィヴィアリティ概念では、他者性を担保し他者とともに生きる姿勢が述べられている。そうであれば、必然的に他者同士の協力関係を想定においていることになる。これら無償による共同体内の「助け合い」行為は、確かにイリイチのいうような産業社会の手段にはなっていない。しかし、この助け合いを共同体維持のためのシャドウ・ワークであると言うことも可能なはずである。この部分の詳細は次の「教育の否定」で見ていく。

(2)教育の否定

 第2の批判点として、ジェンダー役割的に母親が子育てをおこなう家庭教育の無給性とシャドウ・ワークの関係を取り上げる。イリイチは「現在ある部分の婦人運動者が、母親たちを無給の教育業務に携わらせることに批判を向けていますが、これは、工業化社会体制に対する今日可能な最も根本的批判の好例でありましょう」(Illich 1980:176)と述べている。理由は「今日、無給労働力が(男も女も)、せっせと教育を受けており、それはますます多くの人間を彼らの自立自存から引き離し、僅かばかりの賃労働と、広範囲のシャドウ・ワークをするための教育なのです」を挙げている。彼が「無給の教育」を批判するのは、子どもが産業社会システムに取り入れられること、すなわち消費主体化・労働者化することを進めてしまうからである。
 イリイチは次のようなアジテーションを雑誌上で行っている。「教育への対案は、このような意味で、共同体の側からのフォーラム(集会)要求です。断乎として、消費欲求とともに教育を解消して、自立自存を築き上げることを求め続けましょう」(Illich 1980:176)。この主張に対し、まずは自立自存(=コンヴィヴィアル)を成立させるのは一人ひとりの構成員であることを考える必要がある。この共同体の構成員の育成は、まさに教育によるのではないのか。パーソンズのAGIL図式でいう「統合機能」や「パターン維持・緊張緩和」作用たる教育行為がなければ社会システムは維持されない。確かに、言葉上で「教える」・「教育」という概念のない社会は存在する。原(1979)がヘアー・インディアンの社会に「教える」を意味する単語がない点を指摘しているからだ。しかし、そのことは教育作用が当該社会に存在しないことを意味するわけではない。部族内の人間が「教える」行為や「教育」行為だと認識しないだけであり、部外者である原はヘアー・インディアン社会に「教える」や「教育」に当てはまる行為を見いだしているからだ。言葉としての「教育」を無くすことは可能であっても、社会システム維持にかならず構成員の再生産機能が必要である以上、イリイチの主張をそのまま認めるわけにはいかない。つまり、学校「教育」を行う必然性はないが、教育なしで構成員の育成が可能であるわけではないのである。少なくとも、残存する社会システムには何らかの教育機能があったゆえに存在し続けていることを考える必要がある。
イリイチが理想とする、共同体の構成員となるための教育活動は中世においてもおこなわれてきた。まさに個人の意志など関係なく、その「場所」の構成員になるための教育活動が「学校」制度を使わなくとも成立していたのだ。そうでなければ後継者を欠き、当該社会は消滅している。この構成員になるために行われる教育行為はシャドウ・ワークではないのか。シャドウ・ワーク自体が産業社会のみを批判するのであるならば成立するが、イリイチの著書群を見通すと近代社会・産業社会におけるシャドウ・ワークの状況へ批判と、コンヴィヴィアルな共同体での人々の暮らしについてのイリイチの説明はほぼ同様の内容となっている側面がある。
 イリイチは、ソーシャル なものを排し、場所のパブリックに生きる姿勢の提唱をした。つまりイリイチにとって国家や近代社会(=ソーシャル)の体制維持は想定にないのである。それゆえに“Anarchist Studies”(『アナーキスト研究』)にイリイチの名前が載ることになったのだ。近代社会が必要とする人材にならないこと/なるのを拒否することが、究極のところでのシャドウ・ワーク性を排した教育の実現と言うことになる。しかし、これでは現状の社会体制の中では何も言ったことにならない。近代国家というソーシャルなものをなくしたあり方は、前近代、つまり中世の復興を意図しているということである。イリイチの想定にそもそも近代社会の維持はない。また、イリイチの教育批判の文脈を見ると、仮に中世社会への回帰を図ることができたとしても、当該社会の維持を行うことは不可能だと言わざるを得なくなる。つまり、イリイチの主張を検討すると社会の破壊を意図していると言わざるをえない。なお、イリイチは『脱学校の社会』以後、教育へ否定的まなざしを持つようになり、『対話・教育を超えて』において教育を否定するようになった(Illich/Freire 1980)。
 要するに、共同体内に教育作用が存在したことをイリイチは見落としているのである。中世回帰がイリイチ思想の特徴である以上、イリイチの主張をそのまま受け入れることは近代社会の破壊を意味する。必要に応じてイリイチの主張を整理して受け入れていく必要がある所以である。
 イリイチの発想にはコンヴィヴィアルな社会(convivial society)という理想の共同体社会が描かれているが、ユートピアは実現不可能な故にユートピアであることを思い返さねばならない。教育を否定してユートピアに生きるよう人を煽動するイリイチには、ユートピアを成立させる構成員の教育には無頓着なのである。

4、教育への展望 

 ここまで、シャドウ・ワーク概念の整理とその批判を見てきた。シャドウ・ワーク概念は近代社会だけでなく、そもそも人が共同体をつくっていた頃の「教育」行為すら批判する働きがある。しかし、その射程を近代教育への批判のみに向けて使用した際、現在の教育実践へのパースペクティブとして使用できる箇所が見いだせると考えられる。
 そのため、ここでは近代教育批判として、自由な学びを志向する立場からイリイチを読み返していく。

(1)「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育

 イリイチは、シャドウ・ワークから「開発を逆転させること、消費財をその人自身の行動におきかえること、産業的な道具を生き生きとした共生の道具に変えること」(Illich 1981a:51)によってコンヴィヴィアリティが達成され、「賃労働と〈シャドウ・ワーク〉はそれこそ影をひそめるだろう」(同)と述べている。何故なら「従順な消費として評価されるよりも、むしろ主として、創意に富んだ活動のための手段として評価されるからである」(同:52)。象徴的な例として「レコードよりもギターが、教室よりも図書館が、スーパーマーケットで選んだものよりは裏庭でとれたもののほうが、価値があるものとされる」(同)ようになるとまとめている。
 イリイチはこの状態に達するための条件として「労働者が道具および資源の自由な消費者となる場合に限る」(同)と指摘している。「道具 」(tool)というのはイリイチ思想において独自の位置を持つ。「道具とは、ある目的を達成するために設計された装置」(Illich 1992:161)を意味する言葉である。「一定の強度を超えて発達する場合、道具というものはいかに不可避的に集団から目的へと転じてしまい、目的達成の可能性を阻むことになってしまう」(同)という「逆生産性」(couterproductivity)が発生することとなる。この状態をもたらす制度を「操作的制度」(manipulative institution)と呼ぶ。「一定の強度を上回って生長するとき、不可避的に、その利点を享受しうる人びとよりも多数の人びとを、その道具がつくられた目的から遠ざけてしまうという事実をあらわすのが、この概念」(Illich 1992:163-164)である。
結論的には、人間の自立・自存的な生き方をもたらすために必要だと指摘するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)である。人間が機械や制度に使われるのでなく、「創意に富んだ活動」を主体的に行う教育のあり方が、シャドウ・ワークではない教育を行うための条件となるであろう。注目すべきは「道具」を用意することである。これは学びを誘発させる環境であると言ってもよい。『脱学校の社会』での「脱学校」(deschool)の実現例として、町のなかに例えば工場の仕組みを解説するコーナーを設置するといったプランや、「学習のためのネットワーク」(learning webs)として教えたい人間と学びたい人間を引き合わせる条件整備を挙げている。

(2)CIDOCの実践に見る、イリイチの学習観

次に、イリイチ自身の実践から、この条件整備としての学習を見ていく。彼はメキシコ・クエルナバカにおいて異文化間資料センター(Center for International Documentation: CIDOC)という「オルターナティブな大学」(Illich 1992:119)の設立に携わった 。協力者には他にパウロ・フレイレ、ジョン・ホルト、ポール・グッドマン、ジョエル・スプリングらがいる。CIDOCは1967年から1976年まで開設していた。「一日に五時間、四ヶ月間続ける」(同:304)スペイン語の集中レッスンの講座 を開き、そこから得られた費用を「元手に、図書館を設立したり」「毎年四、五十人の人びとを、あらゆる社会階層から、そしてメキシコ以外の中南米のあらゆる方面から招待した」りした(同:141)。「ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、北アメリカ、オーストラリアなどからの神父や研究者、学生たちの交流する一種の知的センター」(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)であった。また各種セミナーが行われるなど、通常の大学に近い運営がなされていた。学生も存在しており、山本哲士も学生としてCIDOCに学んでいた(山本 1979)。CIDOC運営の目的についてイリイチはこう述べる。

われわれの目的は、学生を教育することではありませんでした。われわれの招いた客人たちがお互いに、あるいはわたしと、そしてまた、われわれの会話に参加することを希望した学生たちと、話し合うことができるようにすることがわれわれの目的だったのです。(Illich 1992:304)

一方的に教育を行うのではなく、あくまで本人の意思に基づいて学べるよう、学ぶ道具としての条件整備を行うイリイチの姿が見てとれる。客人やイリイチとの会話も、また図書館にある本 も、自発性に基づいて行われる学びのための「道具」であった。
 CIDOCは研究機関でもある。学術誌発行 のほか、『脱学校の社会』等のイリイチの諸著作はCIDOCでの討論が元になって書かれたものである。それゆえCIDOCは「省察の座」と称されることがしばしばあったという(Illich 1981b、玉野井芳郎:173)。
スペイン語の集中レッスンの話は、『脱学校の社会』における「ドリル学習」(drill instruction)の文脈で行われている。イリイチによれば自発的に行うドリル学習の場合、短期間に効率的に学ぶことができる(Illich 1971)。「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる、とフレイレを実例にしてイリイチは自らの非学校化の考えを主張さえした」(山本 1996:174-175)のである。
イリイチは理想の研究手法として「わたしはまた、真理の探究が、講義室ではなく、食卓を囲んだり、一杯のワインを傾けたりというユニークな方法で追求される様を示したかったのです」(Illich 2005:254-255)と述べている。おそらくCIDOCでの研究作業も同様の狙いの下で行われていたと考察できる。大学のなかだけでなく、自由な雰囲気のなかでの対話に基づく学びが重視されたのだ。これはフレイレの文化サークル内での対話による「問題化型学習」と同一の発想である(Freire 1970)。「わたしの考えでは真理の探究はフィリアの成長を前提としているということです」(Illich 2005:260)との言葉は、フィリアつまり友情の深まりによる真理探究、すなわち友人・仲間との対話の中での研究の重要性を説いている。
CIDOCの実践 から言えるのは、コンビビアリティに基づく学習の重要性である。他者との対話による学び、あるいは自発的に行う学習こそが、「教育」および「学校化」の弊害から逃れた教育活動であり、シャドウ・ワークでない学習の形態なのである。また国家や社会のためでない学習のあり方でもある。
 イリイチにとって、学習はあくまで自発的意志に基づいて行うものであった。その教育観はニイルに近いものである 。イリイチの学習観・教育観を支えるものはまさに「創意に富んだ行為」を誘発するための道具の存在である。人間の自立・自存的活動を支えるものとしての「道具」をいかに多くの人びとにもたらすかが、シャドウ・ワーク性を教育から遠ざけるための条件となる。
教育のシャドウ・ワーク性は、制度スペクトルでいうところの「操作的制度」に学習者が置かれている点にある。そこを抜け出す方法としては、「コンヴィヴィアリティのための道具」(tools for conviviality)を学習者が自発的に用い、学びを(広く、あるいは深く)行っていける条件整備を行う点を指摘することができる。『脱学校の社会』では、「コンヴィヴィアリティのための道具」を意味する「相互親和型社会」という概念が提唱されている。これは、イリイチが「制度」の諸類型を直線上に配置した「制度スペクトル」において左端に置かれる制度である。この「相互親和型社会」の例として、電話や郵便 が出されている。これらは「利用することが自分の利益になるのだと制度的に説得される必要なしに人々が使用する制度」(Illich 1971:107)である。
 「制度スペクトル」もう一方の端には「操作的制度」が置かれている。イリイチは例として高速道路を示す。高速道路は車を所持する人が自動車に乗るときにしか利用されえない。使用する母体が限られるにもかかわらず、全国民の税金を用いて行われる点で「偽りの公共事業」である。一方、電話や郵便はすべての人が使用する時だけ料金を払い、使用した分だけ費用を支払えば済む制度である。イリイチの目指す、シャドウ・ワーク性のない教育というものも、電話・郵便と同じ比喩を用いることができる。必要とする人が、必要とする時だけ利用できる制度としての教育である。条件整備を行い、万人に道を開いた学びのあり方を担保するのが「コンヴィヴィアリティのための道具」としての教育である。
 「最良の場合には、図書館は自立共生的な道具の原型である」(Illich 1973:124)との指摘は示唆的である。「私たちはまず、学びたいと欲するならば何が人々に必要なのかという問を発し、それから人々のためにそういう道具を供給するようにしなければならない」(同)。実際にイリイチはラーニングウェッブという形で、実現可能性を説いている。梅田(2007)はこのような自立共生的な学びの道具としてインターネットの利用を説いている。
ここから考察できることは、条件整備としての学習環境の重要性という結論になる。人と人とが出会い、そこから学びを起こしていき、必要に応じて学びを行っていく環境の重要性である。

(3)CIDOCでの実践の評価

 CIDOC期のイリイチらの教育実践については今後の研究が必要だが、CIDOCでの教育/研究実践が、シャドウ・ワーク性を取り除いた教育実践、すなわちコンヴィヴィアルな学びを実現していた可能性があると言ってよいだろう。この実践が実現した背景にはスペイン語習得講座での収入があったため、国家からの援助を受けなかった点がポイントとして指摘できる。近代国家形成の主体となることを拒否し、自由なエートスのもとに研究できたと言う意味で「シャドウ・ワーク」性を排しているのだ。つまり、近代国家の構成員にならないとの思いのもとに成立した束の間の「ユートピア」がCIDOCであったのである。それゆえ、国家の管理から逃れ、財政的に立ち行く状況のみで成立する概念であるのだ。
 なお、CIDOCが存在したのが60年代から70年代であったことも考察していく必要がある。コミューン的あり方が流行したこの時代だからこそ成立し得た可能性があるからだ。

5、終わりに

 シャドウ・ワーク概念はイリイチが随所で述べる内容でありながら、統一的な見解があまり見られないものである。本稿においては主として『シャドウ・ワーク』と『ジェンダー』での記述をもとにシャドウ・ワーク概念を整理し、その解読や批判の手がかりとしてイリイチの諸著作に当たっていった。その結果、本稿が「専門家支配」・「コンヴィヴィアル」などのイリイチの術語のパッチワークとなってしまった感は否めない。しかし、これらイリイチの述べた諸概念は繋がり合ったものであり、これらを用いなければシャドウ・ワーク概念の理解と批判は困難になる。
本稿の成果としては、1点目にイリイチのシャドウ・ワーク概念が近代社会批判・教育批判を狙ったものであるとの整理ができた点があげられる。2点目に、「シャドウ・ワーク」が行われる状況への批判を徹底すれば、前近代社会の共同体すらも破壊する側面があるとの指摘があげられる。3点目に、シャドウ・ワークが行われる状況への批判を近代教育の改善に絞った場合、今後の教育へのヒントとしてイリイチのCIDOCでの実践を用いることができるのではないか、との示唆を行った点が挙げられる。
しかし、課題とすれば本稿においてシャドウ・ワークに関する記述と教育への展望との内容に乖離を感じられるようになってしまった点があげられる。

6、今後の課題

 本稿においてはシャドウ・ワークの教育への適用可能性について考察してきた。しかし、シャドウ・ワーク概念の成立の背景について論を進めることがほとんどできなかった。思想史上の系譜を見ると、「シャドウ・ワーク」概念はフェミニズム運動の流れの上にある。フェミニズムにより主婦業の自明性が疑われるようになった際、独自の立場から「シャドウ・ワーク」との新語をもとに問題提起をしたのがイリイチであったのだ 。そのため、シャドウ・ワークの理論的下地を構築した各種研究を整理することが必要である。
 また、本稿の鍵となるCIDOCでのイリイチの実践には、山本(2009a)以外にまとまった研究が存在しないのが現状である。たとえばCIDOC開始時にいた研究者名については論者によって記述が大きく異なっており、統一した見解が存在していない。コンヴィヴィアリティに基づく学び・研究実践のヒントがCIDOCの実践から得られるのではないかと考えられるため、CIDOC期のイリイチの活動やCIDOCそれ自体の研究も今後の課題としていきたい。

7、参考文献

Arendt, Hannah(1958):志水速雄訳『人間の条件』、ちくま学芸文庫、1994。
Freire, Paulo(1970):小沢有作ほか訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Holt, John(1976):田中良太訳『21世紀の教育よ こんにちは』、学陽書房、1980。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』、日本エディタースクール出版部、1989。
Illich, Ivan(1975):金子嗣郎訳『脱病院化社会』、晶文社、1979。
Illich, Ivan(1978):尾崎浩訳『専門家時代の幻想』、新評論、1984。
Illich, Ivan/Freire, Paulo(1980): 島田裕巳ほか訳『対話・教育を超えて』、野草社。
Illich, Ivan(1981a):玉野井芳郎・栗原涁訳『シャドウ・ワーク』、岩波現代文庫、2006。
Illich, Ivan(1981b):栗原彬・横山紘一・山本哲士監修・フォーラム・人類の希望編『イリイチ日本で語る 人類の希望』、新評論、1981。
Illich, Ivan(1982):玉野井芳郎訳『ジェンダー』、岩波現代選書、1984。
Illich, Ivan/Sanders, Barry(1988):丸山真人訳『ABC 民衆の知性のアルファベット化』、岩波書店、1991。
Illich, Ivan(1992):D=ケイリー編・高島和哉訳『生きる意味』、藤原書店、2005。
Illich, Ivan(2005):D=ケイリー編・臼井隆一郎訳『生きる希望』、藤原書店、2006。
Kahn, Richard, 2009,“Anarchic epimetheanism”, Amster, Randall ed., Anarchist Studies, Routledge, pp. 125-135.
一條和生/徳岡晃一郎(2007):『シャドーワーク』、東洋経済新報社。
梅田望夫(2007):『ウェブ時代をゆく』、ちくま新書。
大西廣(2002):「シャドウ・ワークの風景」、『季刊 本とコンピュータ』、2002年春号、大日本印刷株式会社ICC本部、63-65頁。
奥地恵子(2005):『不登校という生き方』、NHKブックス。
萩原弘子(1988):『解放への迷路 イヴァン・イリッチとはなにものか』、インパクト出版会。
栗林涁(2010):「隠された労働」、井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』、世界思想社。
関礼子(2002):「佐々木看護婦という存在 『瘋癲老人日記』におけるシャドウワークの領域」、『日本文学』2002年2月号、日本文学協会、72-76頁。
鶴見和子(1980):「工業化社会に警告」、朝日新聞1980年12月23日朝刊。
徳岡晃一郎(2006):「シャドーワークが価値を生み出す」、『人材教育』2006年4月号、日本能率協会、16-22頁。
原ひろ子(1979):『子どもの文化人類学』、晶文社。
宮台真司・藤井誠二(1998):『学校的日常を生き抜け』、教育史料出版会。
山本哲士(1979):「イバン・イリイチの「自律共働性」と「非学校化」に関するノート<自律的学習>の甦生のために : CIDOCからの帰国報告」、『人文学報 教育学』14, 41-65, 1979-03-31 、東京都立大学。
山本哲士(1983):『消費のメタファー』、冬樹社。
山本哲士(2008):『新版 ホスピタリティ原論』、EHESC出版局。
山本哲士(2009a):『イバン・イリイチ』、文化科学高等研究院出版局。
山本哲士(2009b):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
吉本孝明(1968):『共同幻想論』、角川文庫、1982。     (総文字数:17581字)

異界との出会いとカイヨワ

 異界に出会うことで、生の豊穣さに気づくことができる。映画『となりのトトロ』の面白さは「子どものときにだけ/あなたに訪れる/素敵」な異界(=トトロ、ネコバスetc.)との「出会い」を再度おこなえる点にある。純粋に考えれば、メイ・サツキ姉妹とトトロたちの間に言語的コミュニケーションは成立してはいない(そもそも「トトロ」という名付けはメイによって恣意的になされたものであり、トトロ自体は一度も名乗りをしていない)。言語における相互行為のできない「他者」である。けれど、明らかに人間ではない(=文字通りの「異者」)存在と非言語的コミュニケーションが映画においては成立している様を観客は目にしている(空を飛ぶこと、ネコバスに乗ることを示唆することetc.)。ここから、子どもの自己形成空間(あるいは時間)において異界(あるいは他者との出会い)が重要な意義をもっている点を読み取ることができる。
 異界との出会いは常に日常性を超えた非日常の文脈で語られる。これはハレ―ケ(あるいは聖—俗)の二項図式を超えた、「聖—俗—遊」というR・カイヨワの図式と重なる。子どもが非日常性あふれる異界と出会うのは「遊」の文脈なのである(実際、『となりのトトロ』ではトトロたちと姉妹は何度も遊びを行う)。生産性や効率性を度外視し、遊びたいが故に遊ぶ子どもの姿。ここに神(あるいは仏)を見たのが『梁塵秘抄』の編者や江戸の歌人・良寛であった。「遊」は「聖」に通じるのだ。まさにホモ=ルーデンスたる子どもの面目躍如である。
 カイヨワの図式にある「遊」については、浅田彰などによってスキゾ・キッズ的生を肯定するものとして描かれた。当時、無限に拡散し直線的成長・拡大モデルを拒否するリゾーム構造に基づくスキゾフレニー(元は分裂病との意味)型の生がもてはやされたのだ。これらは80年代の消費社会論やバブルの終焉とともに忘れ去られていった。しかし、現象学的知見にはスキゾ・キッズの生き方を再肯定する可能性が込められているように見える。

映画『シングルマン』(2009)〜『こころ』との対比、あるいは死の贈与論〜

 夏目漱石の『こころ』を同性愛小説として読むよみ方がある。まず「私」と「先生」が出会う場面は鎌倉の海水浴場。「私」は「先生」の泳ぐ姿に着目し、「先生」が着替えるところを絶えず見つめている。個人的に私淑する「私」は「先生」の家に行き、恋愛論等を尋ねていく。始めは戸惑っている「先生」も、ついには自分の生き様を手紙の形で克明に描いて「私」に送り、自殺をするところで本作は終る。矢野智司の『贈与と交換の教育学』にもあるが、「先生」を敬愛する「私」は「先生」の死という贈与を、いわば突然受けたわけだ。「私」は残りの半生において反対給付をする義務を負ってしまう。石原千秋『こころ 大人になれなかった先生』にあるように、「私」は《誰にも見せないでください》「先生」が書き残した手紙の内容を、小説の形で表すことで「先生」を超えること―大人になること―を志向した。これが「私」が「先生」に大して為す反対給付としても見ることができるだろう。

 思わず『こころ』論を書いてしまったが、私が昨日見た『シングルマン』(トム・フォード監督)は『こころ』と同じ構成をとっていることが分かる。『シングルマン』の主人公は大学の文学教授。ゲイのパートナーの突然の事故死から立ち直れない(書きそびれたが、本映画ではこの教授自身がパートナーの死という贈与を受け、その反対給付の仕方に戸惑う姿が描かれている)。ピストルに銃弾を詰め、自殺を志すもいろんな邪魔が入って結局死ねずにいる。ラストの場面で、この教授は教え子である男子学生との束の間の相互作用(これがゲイであることのカミングアウトでもあるが、性行為にいたらないのがミソである)の中で生きる意欲を得る。『こころ』の「先生」は親友Kの自死から立ち直れない(文学論によっては「先生」と「K」との間でも同性愛関係があったのでないか、との指摘もある)。そんな折、自分を私淑する「私」という大学生との出会いが、「先生」の日々に明るさを与える。
 両作で違うのは視点である。『こころ』では教え子(=弟子)の視点(ただし、最終章は「先生」からの視点)で描写されるのに対し『シングルマン』は終止「先生」の側からの描写なのである。
 『シングルマン』のラストは実に切ない。「先生が心配だ」という、自分を心配し必要とする他者の存在に気づいた教授は、家の窓を開ける。フクロウが飛び立つ夜空に満月が浮かぶ。教授の感情描写的に爽快な場面だ。ピストルは引き出しにしまい、硬く鍵をかける。人生の有意味性を教え子から学んだのだ。けれど、突然の心臓発作のせいで教授は死んでしまう。

 両作のポイントは、師弟関係にともなう同性愛的気質である。師匠と弟子が親密な関係性を持っているとき、その関係性は容易にプラトニックな愛、あるいは肉体的な愛に転化する可能性がある。そういう「危険性」を意識しても、どうしても師匠から学びたいという切実さが、師弟関係を支える要因なのである。たとえどうなろうとも、この人から学びたいのだ! そんな「熱い」思いを持つ弟子のみが、師匠から多くを学び、師匠から贈与(むろん、師匠の死だけではない)を受けることができる。だいたいにおいて、師匠は弟子より年長であるため、自殺でなくとも弟子は師匠の「死」という贈与をどこかで受けなければならないのだ。その贈与に対し、弟子はかならずその贈与を受けなければならない。その上で、その贈与に対する反対給付を為す必要がある。でなければ師匠の死は無駄な贈与になってしまう(つまり贈与しようとしても誰も贈与を受けてくれなかったわけだ)。
 『シングルマン』の弟子こと男子学生は、映画中では心臓発作で死んだ教授の死の「贈与」をどのように受け止めたか、全く描かれていない。しかし、想像は容易である。ゲイと噂される教授の家で、男子学生が泊まった。その日、教授が心臓発作。タブロイド紙の記者でなくとも、男子学生が教授の新たなパートナーであると噂されるのは必然であろう(もしくは教授は腹上死したのではないかと勝手に思われる)。この際、男子学生は自分の秘密(=ゲイであるということ)を打ち明ける必要性が出てきてしまう。ゲイであることを否定するのか、それともカミングアウトするのか。どうなるかは分からないが、おそらくは後者の選択をするだろう。映画『シングルマン』自体が、監督(トム・フォード)の生き方をさらけ出すと言うカミングアウト映画という側面を持っている。男子学生が教授の死の贈与に反対給付するための第一歩は、ゲイである自分を認め、周囲にもその理解を求める戦いをすることなのだ。教授の授業シーンでも、マイノリティの迫害について教授が「熱く」語るのが印象的だ。

  https://www.amazon.co.jp/gp/product/B004ELAWZY/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=ishidahajime-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B004ELAWZY

映画『ナイト・トーキョー・デイズ』〜会話分析の手法から見る〜

 外国人が撮った日本の映画は、だいたいは「フシギな日本」を示している。海女がいる『007は二度死ぬ』、沖縄の寿司職人が実は刀鍛冶という『キルビル』(飛行機には刀ホルダーもついてましたね)はじめ、日本人としてみていて逆に面白くなってくる。さいきん新宿武蔵野館でみた本作も、正直な話、そんな感じの日本を描いていると思っていた。映画のオープニング。なんと寿司の女体盛り。日本人と白人の男性集団が寿司を食いつづけている。ああ、やっぱり「フシギな日本」を描いている…と思ったら日本人がこう言うではないか。

上司:〈なんで体温で温まった寿司を食わなきゃいかんのかね〉
部下:〈外国のお客様が描く日本の姿を示せばいいんですよ。接待なんですから、こうやっていい気分にさせておけば商談も上手くいきますよ〉

 サイードの『オリエンタリズム』にも同様の話があった。東洋の観光地に来た西洋人はオリエンタリズム性を見いださなければ満足しないのだ。映画冒頭ではじめからこのオリエンタリズム性の種明かしをしているのだ。この映画の監督は、メタ的手法で「フシギな日本は描かないですよ」と示して見せてくれた。この技法は素晴らしい。冒頭の戦略が功を奏し、映画は「これって、日本映画じゃないのか」と思うほど、自然な出来だった。

 本作のなかで興味深いのは、狂言回しをする「私」という人物である。ヒロイン・リュウの会話を録音し、家で何度も繰り返し聴く変な性癖を持っている。彼は「音」にこだわりをもち(そんな仕事をしている旨も語っていた)、リュウの会話を録音するようになったのも「ラーメンのスープを啜る音が母親によく似ていた」ということだった。…音フェチ、と言えなくもない。
 「私」はリュウとよく会っており、その度ラーメンや居酒屋・おでん屋などで食事をする。リュウとその「恋人」との密会も、ラーメン屋がよく舞台となっている(そういえば内田樹の村上春樹論に、「村上の小説には飲食するシーンが多い」旨が書かれていた)。プラトンの時代から、高尚な会話もそうでない会話も「饗宴」という飲み食いの場で多く語られていた。「私」がスムーズにリュウの会話を録音するためにも、飲食という条件は必要なのである。

 「私」はリュウの録音を聴き続ける。昼も夜も絶えず。その会話ではプライベートなことは何一つも話していないが、なぜか「私」はリュウの実の仕事(殺し屋)や秘密(依頼を受けた暗殺対象者と恋仲になる)をいつの間にか知るようになっている。どうでもいいことのようだが、その点が気になった。
 社会学を学ぶものとして、「私」が実は社会学者であったのではないか、と推測している。社会学の調査手法にも「会話分析」というものがあり、その手法を使う研究者も「私」のように病的に同一の会話テープ(あるいはレコーダー)を聴き続ける。「私」すらやらなかった会話の文章化もする(こうやって作ったものをトランスクリプトという)。なぜ社会学者はこんなマニアックなことをするのか? それは会話の進め方・間の取り方のなかに隠された社会的関係が存在していることがあるためだ。

 「私」は絶えずリュウの声をテープで聴く。「私」の会話をリュウがどのように受けているか分析している。長くそれを続けると、過去のリュウの会話と現在のリュウの会話の違いも分かってくる。何か大きな出来事があったのか、恋人ができたのか等など。人間は言葉を使い思考し、感情を表現する存在である以上、会話には本人の意思以上のものがあらわれる。

 「私」が実は社会学者だと思うと、「私」という中年男性とリュウという若い女性との関係性も見えてくる。「私」はリュウに好意を抱いてはいるが恋愛感情はもっていない。リュウはリュウで〈会話を録音したがる変な男だが、まあ暇だから食事くらいしてあげようか〉くらいの感情をもっているのだろう。「友情」といえるかも微妙な関係であるが、調査者と被調査者の関係だと思うと自然になる。調査者は親しすぎる人にはズバズバ質問しにくいのだ。その点ではグラノベッターのいう「弱い紐帯の強み」に近い。人間は親しい人よりも「あまり知らない」人からの情報を重視するのだ(親しい人とは元になる情報が同じ場合が多く、真新しい情報がなくなってしまう)。ただ、こんな微妙な関係ではあっても「私」とリュウにとって2人で会う時間はお互いに有意義だったのではないか。双方、ベタベタしない付き合いを求めていたようではあるし。

『学校の悲しみ』としてのイリイチの教育観

 ダニエル・ぺナックの自伝的小説に『学校の悲しみ』がある。落ちこぼれとして過ごし、学校に対し深い「悲しみ」を持って過ごす主人公の姿が印象的である(しかし彼は結局は教員になり、ずっと学校にとどまり続けることになるのだが)。

 「落ちこぼれ」へのまなざしは、しばしば小説や映画のテーマとなる。映画『大人は判ってくれない』の主人公の少年の姿から、学校に「不適応」とされることの「悲しみ」を感じ取ることが出来る。この悲しみはブルデューのいう「象徴的暴力」である。

 この「落ちこぼれ」へのまなざしであるが、イバン・イリイチの発想の原点にも存在している点に気付くようになった。彼は脱学校論deschoolingで有名だが、それを主張した理由の一つに皆が「学校化schooled」されることで「学校の悲しみ」を経験するようになる、という点がある。

「人の受けた教育化の分量が多ければ、それだけ中途脱落の体験は気持ちを打ちひしぐものとなる。第七学年で落ちこぼれたものは、第三学年で落ちこぼれたもの以上に、自分の劣等性を強く感じるものだ。第三世界の学校は、かつての教会がやっていたよりもさらに効果的に、特製の阿片を投与している。社会の気持ちが次第に学校化されるにつれ、それを構成する個人も、何とか他人に劣らずに暮らしてゆけるかもしれないという意識を段々と失っていく」(『オルターナティブズ 制度変革の提唱』220頁)

 他の個所でも、第三世界(いわゆる途上国)に学校を建設することは、今までに人々が経験しなくてもよかった「落ちこぼれ」る体験を多くの人びとに与えることとなる。学校から落ちこぼれ、ドロップアウトしてしまうと、精神的に自己否定されるだけでなく、学校に残り続けることのできる一部の人間がより多くの公費で高度の教育を受け、社会の上層に到達するのを黙って見つめなければならない。

「プエルトリコでは一〇人の生徒のうち三人が、第六学年も終わらぬうちに学校から落ちこぼれる。このことは、平均以下の所得の家庭からくる児童の場合、二人のうちわずか一人しか初等教育を修了しないことを意味する。こうして、プエルトリコの両親のうち半分は、もし彼らの子供が大学に入るチャンスが見せかけだけでなく本当にあるのだと信じているとすれば、悲しい幻想にとらわれていることになる」(ibid,173頁)

 ブルデュー等の再生産論者の言を用いるなら、高い文化水準のもとに育つ人々(高ハビトゥスをもつ人)は学校においても好成績を修められる「遺産相続者」(『遺産相続者たち』)である。そのため他の人々よりも高等教育進学の可能性が圧倒的に開かれている(『再生産』)。

 学校制度がなければ、学校由来の「悲しみ」を経験しなくても済んだのだ。学校への違和感から自殺をした小学生・杉本治の遺書にも「学校がなければみな自由だった」(『小さなテツガクシャたち』)と書かれていた点は示唆的である。
 学校制度を確立させることは、ユネスコや国連が早急に途上国に求める政策である。実際、途上国に学校を作るプロジェクトは数多い。私たちはその取り組みを手放しで礼賛する。どこかで「学校の悲しみ」に出会った経験があるはずなのに。学校制度が出来ることは、「学校の悲しみ」をその国民全体が経験させられることを意味するのである。

ネクロフィリア・バイオフィリア論の教育学的可能性 —エーリッヒ・フロム『悪について』の解釈から—

1、本稿のねらい

 エーリッヒ・フロムは社会心理学の立場から現代文明批評を行う研究者である。フロムはネクロフィリア・バイオフィリアの観点から『悪について』を考察したが、本稿ではこのネクロフィリア・バイオフィリア概念の教育学的可能性についての考察をおこなう。それはネクロフィリア=「悪」という図式をフロムは描いているが、現代教育学において「悪」は考察の対象となっており 、その「悪」を巡る議論に一つの方向性を示すことになるからである。

2、『悪について』の執筆動機

 『悪について』(原題:THE HEART OF MAN: Its Genius for Good and Evil)は「私の前著作のうちに提示されている思想をとりあげて、更に発展させようとするものである」(Fromm 1964:1頁)観点から執筆された。直接的には『自由からの逃走』(1941年)で描いた「自由の問題、サディズム、マゾヒズムおよび破壊性」(同)のうち、破壊性について考察する観点からまとめられている。「破壊性とはネクロフィリア(necrophilia)であり、生を愛好するバイオフィリア(biophilia)とは逆に、実際に死を愛好するものである」(同)ため、「悪の本性と、善悪を選択する本性とを論じる」(同:1−2頁)のが本書のテーマとなっている。なお、フロムにおいて「悪」はネクロフィリアによって生じるとされている。
 『悪について』で描かれたテーマは、『愛するということ』(1956年)と「一対をな」(同:2頁)している。
 
3、『悪について』諸概念の整理 

 ここでは、『悪について』で提示された概念を整理する。

(1)サディズムの実態について

 フロムは次のように述べている。

サディズムの目標は人間を物体に、生物を無生物に変えることであると言えばよい。なぜなら完全絶対の統御によって、生物は生の本質である自由を失うからである」(Fromm 1964:31頁)。

 フロムはネクロフィリアの特徴として「破壊性」(Fromm 1964:1頁)を挙げている。彼はシモーヌ・ウェイユ(本文ママ)の定義をひき、「力とは人間を屍体に変貌させる能力である」(同:41頁)であると述べている。「人間を屍体に変貌させる能力」としての「破壊性」がネクロフィリアの本質なのであるが、先の引用文の「生物を無生物に変える」という「サディズムの目標」はネクロフィリアの衝動なのである。
 ここから考察すると、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育』に出てくる「預金型教育 」は生徒を客体(=モノ)として扱っているためサディズムに基づく行為といえる。生徒はあくまで知識を入れられる器になる。その状態からの解放として、フレイレが目指したのが「問題化型教育 」であった。そこでは教師—生徒は教材を通して対等の立場での「対話」によって教育が行われる。

対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教えられると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。(Freire 1979:81頁)

 生徒が「客体」でなく、「主体」として立ち現れる教育において「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」による対話がなされることになる。逆に、「対話」の成り立たない教育現場は「預金型教育」の行われる現場であり、生徒をモノとするサディズム(=ネクロフィリア)が横行する空間となっているといえる。
 なお、本稿ではフレイレの文脈から生徒を「主体」として扱うと述べたが、「主体化とは、アルチュセールによれば、個々の具体的個人がイデオロギー(=知)のなかで特定の社会的主体として立ち現れるメカニズムのことである」(山本 2003:136頁)ため、手放しに肯定すべき事柄であるとは言いがたい点を付記しておく。アルチュセールは「呼びかけ」によってイデオロギーは個人の中に主体を構築すると述べたが(Althusser 1970:87頁)、この「呼びかけ」に応答する行為自体が「対話」であり、教育現場では「問題化型教育」となる。この場合のイデオロギーとは「国家のイデオロギー装置」(AIE)である学校がもたらすものであり、「学校化」(Illich 1971)を人々に要求する産業社会のイデオロギーであろうと考察される。
 そのため、「問題化型教育」を行うことが生徒の「主体化」をもたらす以上、フレイレが忌避した「学校化」の文脈(これはつまり「預金型教育」により一方的に詰込まれる教育現場)から生徒は外れるように見えて、より巧妙に「学校化」されるという結果をもたらす物となる。この更なる考察は本稿の範囲を超えるので以上で筆を置く。

(2)ネクロフィリアとバイオフィリア

ネクロフィリアとは「死を愛好する」(同:40頁)との意味である。ネクロフィリアに基づく人間観について、フロムは次の例をあげている。「スポーツ・カー、テレビ、ラジオのセット、宇宙旅行のほうが、女や恋や自然や食物よりも興味があり、生よりも生のない機械的なものを取扱うことに刺激される男性が、実に多いことは明らかである」・「かれは車を見るような眼で女を見る」(68頁)。フロムはネクロフィリアに基づく見方をする人間のことを「機械的人間」とも示している。現在の日本社会に広がるオタク系の恋愛ゲームやアダルトソフトを好む衝動は、まさにネクロフィリアな態度である。ダイナミックな人間的関係を求めるよりも、関係性が規定されている人間関係(=「機械的人間」)を、ヴァーチャル空間において求める動きがそれにあたる。ルアル空間においても、メイド喫茶や妹喫茶というものが見られるように、きまりきった関係を要求する意味でネクロフィリアな場が広まっている。フレイレを借りるなら、ネクロフィリアは人をモノ化し、「客体化」を施すのである。
ネクロフィリアに対立する概念はバイオフィリアである。「生を愛好する」というのが元の意味である。「《バイオフィリアの倫理》は、それ自身善と悪の原理をもつ。善は生に寄与するものすべてであり、悪は死に寄与するものすべてである。善は生を尊ぶことであり、生、生長、展開を促進するすべてのものをいう。悪は生を窒息させ、矮小にし、寸断するすべてである。喜びは美徳であり、悲しみは罪である」(52頁)。イバン・イリイチは各種著書の中で人間性の回復を訴える図式として「コンヴィヴィアル」という発想を提唱した(『生きる思想』)が、この「人間性の回復」という見方は「善」なのである。
 なお、フリースクールの創始者であるA・S・ニイルの著書にも、ネクロフィリア/バイオフィリアを連想できる要素が書かれている。

人間は多くの願望をもっているが、そのなかでも特別に大きな二つの願望がある。つまり生きたいという願望と死にたいという願望である。死にたいという願望は、道徳教育の結果として生まれたものだ。持って生まれた生命力が、生まれたとたんにねじ曲げられたのだ。生命力がフルに表出を許されたことは一度もない。いつでもだれか大人が人差し指を立てて「いけません。行儀が悪い」というのだ。表出を妨げられた愛情は憎しみに変わる。これとまったく同じように、妨げられた生の願望は死の願望へと変容する。私たちは死ぬことに興味をもっている。その証拠は、新聞を見ればいくらでも見つかる。新聞には、殺人、戦争、動物狩り、スキャンダル、そして大事故などにかんする記事であふれている。新聞の発行部数は、その新聞社が死にどれだけ関心をもっているかに比例する。ここでいう死とは、広い意味で否定、破壊、不幸などといった意味を含んでいる。(Neil 1967:26頁)

 ニイルの「生きたいという願望」がバイオフィリアであり、「死にたいという願望」はネクロフィリアを意味すると考察される。バイオフィリアが道徳教育の結果もたらされるというのはニイルの皮肉である。ニイルはフロイトを引き、道徳教育が性的抑圧をもたらすと指摘しているが、この営みが人々にバイオフィリアを習得させる結果となる。

(3)教育における、バイオフィリアの必要性

 フロムは次のように言う。

子供の場合、生の愛好の発達に最も重要な条件は、その子供が生を愛好する人びとと共に在るということである。生を愛好することは、死を愛好することと同じように伝染しやすい。(Fromm 1964:58頁)

ここから、子どもの教育におけるバイオフィリアの必要性が読み取れる。いきいきとした人間的関係の必要性だ。「人々と共にある」とはイリイチの「コンビビアル 」概念に繋がる。教室が「預金型教育」の場になっているのであれば、それはネクロフィリアの環境になっている。「生を愛好する」バイオフィリアな環境を、教育の中で増やしていく必要性を読み取れる。「フレイレのように、バンキング(知識の銀行預金型)の非対話的教育への厳しい批判をもって、人を愛する対的教育を考えることだ」(山本 2009:207頁)との指摘も、「人を愛する」(=バイオフィリア)教育を行うために「非対話的教育」である「預金型教育」を排斥する必要性に繋がる。
現在、ニンテンドーDSやi-pod/i-padを活用する学習教材が開発されるなど、CAIをめぐる環境は発展を続けている。知識習得型の学びであればCAI機器やテキスト・問題集の自学自習で構わないという言説もあるが(OECD教育研究革新センター 2006などはその典型である)、この学習の仕方はネクロフィリアに基づく教育観である。学習する状況のみを客観的に見れば、美少女ゲームをプレイすることと何ら変わりは無い(そしてこの状況はネクロフィリアである)。
学校という場は多様な他者と交流をする場であるとの考え方があるが(例えば佐藤 2007などに描かれた「学びの共同体」の発想)、この発想はバイオフィリアの場所としての学校再考の姿勢である。

(4)ネクロフィリア・バイオフィリア概念を用いる教育学的意義

 ここまで、ネクロフィリア・バイオフィリア概念について考察を行ってきた。ここではこの概念の教育学的意義を考察する。
 教育者は「人間的関係」や「人間性」といった言葉で現状の公教育批判を行う。ニイルもその例外ではなく、彼の著作には「人間性」言説が頻出している。「人間性」という言葉には高尚な響きがある反面、抽象度が高いため何を意味するか不明瞭な議論となってしまう。「人間性」とは何か、具体的にイメージすることができないためである。
 この「人間性」という言葉を、プラス面・マイナス面の二項対立図式から描くのに機能するのが、フロムのいうネクロフィリア・バイオフィリアの図式である。この図式を用いる場合、教育環境について「人間性」という言葉を使わずに同様の議論を行うことが可能になるという意義がある。

(5)フロムへの批判

(5)—① 教育における「悪」の重要性

 『悪について』において、悲しみは悪であるとフロムは語る(Fromm 1964:53頁など)。それはアランの「悲しくなるような考えは、すべて間違った考えである 」(Alain 1928a:198頁)との哲学に通ずる発想である。しかし、この「悲しみ」を悪として排斥することは本当に可能であろうか。また、「悪」自体、教育には不要な側面であるのだろうか。
 人間にはある程度の「悪」が必要な側面がある。絶望や失望、悲しみなどがその例である。否定的な側面をもつこれらの言葉を、人々はなるべく経験したくはない。しかし、これらを体験するからこそ人間性が深まるという働きも存在する。そうであるならば、一方的に「悪」といって済む問題ではなく、もう一歩考察を深め、人間には悪も必要なのだとの結論に持っていくべきであったと言える。
 この考察に当たり、矢野智司は悪を「通常、悪が論じられているように『善』や『正義』の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような至高の体験を指す」(矢野 2009:164頁)と述べている。
 矢野は映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年、アメリカ。監督:ロブ・ライナー)に描かれた、「死体」を探す旅に出た少年たちの姿について論じている(矢野 2009)。旅の後、少年たちに自己変容が生じるのだが、その理由について「この旅が死に触れる悪の体験」(矢野 2009:171頁)であったためだと説明する。
 この「死体」を求める少年たちの衝動は、文字通り「死体愛好」(=ネクロフィリア)の衝動である。しかし、この矢野がいう構図から見えてくるのは、「悪」(=ネクロフィリア)を子ども集団が共有し、完遂するという行為によってしか得られない教育的価値である。「かつてのイニシエーション(通過儀礼)は、子どもにそのような悪の体験を与える出来事であった」(同)と矢野は語るが、悪を単純にバイオフィリアだとして排斥できない理由はこの点にもある。
 無論、こうした「悪」の教育学的意義の考察の持つ危険性にも意識的である必要がある。

悪の体験をこのように「教育的意義」といった視点から捉えてしまうと、悪の体験は子どもが成長するための「手段」のように見なされ、そのあげく成長のためには悪の体験を周到に用意しなければならないと考え、さらには悪の体験自体を教材化するといった転倒した思考に向かう危険性があるからである。(矢野 2009:170頁)

 あらゆる「教材化」(フレイレ)する欲望や発想から逃れたところに位置すべきなのが「悪」である。そのため「悪」を忌避する側面のあるバイオフィリアの教育を教育現場で行う必要性は認められるが、教育的文脈を超えた位置にある「悪」ないしネクロフィリアの有用性にも自覚的であらねばならない。
 映画『スタンド・バイ・ミー』は、少年の死体を発見し、街に再び戻る所で舞台は現在に切り替わる。少年たちに探し求められる「死体」となった少年(その限りでは「客体」となっている)は、矢野も指摘する通り、「ブルーベリーを摘みに森に出かけて道を迷」(同)い、「死体」となってしまった。この少年も、いわば「悪」を求めた結果、「死体」となってしまったのである。「悪を十分に体験することはそれほど簡単なことではない」(同)、大変リスキーな側面を持っていると言える。逆に危険性を持つからこそ「悪」は自己変容をもたらす経験として子どもに機能するのである。そのため、「悪」を教材化し、安全なものとしてバイオフィリアあふれる学校において教育することは「悪」の悪たる所以(あるいは悪の「悪」性)を失わせる結果となる。
 教育者ないし教員の意図を超えた位相に「悪」は存在する。容易に認識可能であり、対処可能となってしまった「悪」はもはや「悪」ではない。「悪」の教育的可能性について語ることは出来ても、「悪」を子どもに経験させるようしむけることは「悪」のもつダイナミズムを失わせる結果となってしまう。

(5)—② 構造主義の立場から見た、フロムへの批判

 バタイユの『呪われた部分 有用性の限界』には、フロムのネクロフィリア概念を連想させる内容が書かれている。
 古代アステカ文明において、多くの俘虜の犠牲が要求された。俘虜たちは戦争に行った兵士たちが生きて帰ってきた際に捧げられる犠牲であったが、「もしも戦士が勝利して戻るのではなく、戦で倒れたならば、戦の場での死が、俘虜を犠牲にする儀礼と同じ意味をもつことになる」(Bataille 1976:63頁)。それは「戦士は自分の身体で、貪欲な神々に食べ物を奉じることになる」(同:63−64頁)ためである。この戦士の発想を支えるのが生け贄を要求する神官の「祈り」である。「死を望み、死のうちに魅力と甘さをみいだすようにされたまえ。矢も剣も恐れず、むしろこれを花のごとく、甘き糧のごとく心地好いものと感じさせたまえ」(同:65頁)と祈り続ける。また、母親も子どもの臍の緒を切る場面において一連の台詞をわが子に語りかけたが、その中にも「戦の場で死んで、華々しい死を迎えて命を終えるのにふさわしい者とみられることは、お前にとって幸ある定めです」(同:62頁)とのフレーズが存在した。
 ここをみれば、古代アステカの兵士も神官も母親も、ともにネクロフィリアであったことが読みとれる。フロムはネクロフィリアを悪であると言い切るが、これは近代の構造、ないしは近代のエピステーメー(ミシェル・フーコー)の枠組から言えることであったのではないか、との疑問が浮かんでくる。つまり、フロムのいうネクロフィリアを考察する際、〈かつてはバイオフィリア中心であったが、今はネクロフィリアが横行している〉という発想をすることは誤りである。日本においても、例えば与謝野晶子が『君死にたまふことなかれ』において、「末に生れし君なれば/親のなさけはまさりしも、/親は刃(やいば)をにぎらせて/人を殺せとをしへしや、/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや。」と歌ったように、「人を殺して死ねよ」というネクロフィリア言説が横行する時期があったのである。
 無論、「人を殺して死ねよ」という言説の位相と、フロムのいう「死体愛好」との位相には質的な違いがあることは確かであろう。前者は他者を直接に殺すという意味合いのネクロフィリアであり、後者は他者を客体物(=モノ)として扱うネクロフィリアである。しかし、どちらも「生の愛好」であるバイオフィリアの正反対に当てはまる概念であるため、この項目において取り上げている。
 総括すると、教育におけるバイオフィリアの重要性というフロムの発想も、現在という構造内でのエピステーメーが要求する価値観であり、普遍性のある発想であるとは言いがたいのである。現在広まるネクロフィリアの発想も、実は時代がそれを要求する、あるいは次世代のエピステーメーが要求する結果であると考えることも出来る。
 フロムのネクロフィリア・バイオフィリア概念は現在の立場、ないしフロムの執筆した時点でのエピステーメーだったのである。

4、終わりに

 本稿では『悪について』に描かれたネクロフィリア・バイオフィリアの発想と、「悪」の教育的意義について考察する内容となった。
 今後の課題としては、フロムが本書と「一対をなすものである」(Fromm 1964:2頁)『愛するということ』との対照関係を描けなかった点である。また、フロムの著作全体の思想性についても踏まえられていない。教育学における「悪」の意義を考察するためにも、今後『愛するということ』をはじめフロム全著作の検討が課題となるであろう。

5、参考文献

Alain(1928a):齋藤慎子訳『アランの幸福論』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007。
Alain(1928b):神谷幹夫訳『幸福論』、岩波文庫、1998。
Althusser, Louis(1970):柳内孝訳『アルチュセールの〈イデオロギー〉論』、三交社、1993。
Bataille, Gerorges(1976):中山元訳『呪われた部分 有用性の限界』、ちくま学芸文庫、2003。
Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Fromm, Erich(1941):日高六郎訳『自由からの逃走』、東京創元社、1951。
Fromm, Erich(1964):鈴木重吉訳『悪について』、紀伊国屋書店、1965。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989。
Neil, Alexander・S(1967):堀真一郎訳『問題の子ども』ニイル選集①、黎明書房、1995。
OECD教育研究革新センター(2006):岩崎久美子訳『個別化していく教育』明石書店、2007。
里見実(2010):『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』、太郎次郎社。
佐藤学(2007):「学校再生の哲学:「学びの共同体」のヴィジョンと原理と活動システム」、『現代思想』、青土社、2007年4月号。
山本哲士(2009):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
山本雄二(2003):「テクストと主体生成」、森重雄・田中智志編『〈近代教育〉の社会理論』、勁草書房。
矢野智司(2009):「悪:悪の体験と自己変容」、田中智志・今井康雄編『キーワード現代の教育学』、東京大学出版会。 

恋愛メディア論

 インディ・ジョーンズの映画では、基本的に冒険の結果、ジョーンズはヒロインと恋に落ちることになる。これは冒険がメディアとして機能している。1対1のエロス的関係(=対幻想by吉本隆明)のみで、間に何のメディアも挟まない恋愛は長続きしないことを読み取ることができる。
 
 パウロ・フレイレは問題化型教育において〈教材〉をメディアとすることで他者(=学習者)相互を繋ぐ工夫をした。同様に、恋愛においても両者の間にメディアが必要である。

 かつて結婚は親が決めた。これも二人のエロス的関係では性愛関係を維持させるのが難しいゆえ、「親」や「家」というメディア(=物語)を使ったのだ。文化人類学的知恵の形態である。この「親」や「家」のような男女間の緩衝剤となるもの、つまり間にある物(=メディア)が必要なのである。

 だからカップルは海や遊園地に行き、物語を共有(=メディア)するのである。