インディ・ジョーンズの映画では、基本的に冒険の結果、ジョーンズはヒロインと恋に落ちることになる。これは冒険がメディアとして機能している。1対1のエロス的関係(=対幻想by吉本隆明)のみで、間に何のメディアも挟まない恋愛は長続きしないことを読み取ることができる。
パウロ・フレイレは問題化型教育において〈教材〉をメディアとすることで他者(=学習者)相互を繋ぐ工夫をした。同様に、恋愛においても両者の間にメディアが必要である。
かつて結婚は親が決めた。これも二人のエロス的関係では性愛関係を維持させるのが難しいゆえ、「親」や「家」というメディア(=物語)を使ったのだ。文化人類学的知恵の形態である。この「親」や「家」のような男女間の緩衝剤となるもの、つまり間にある物(=メディア)が必要なのである。
だからカップルは海や遊園地に行き、物語を共有(=メディア)するのである。