本日19時から21時まで、若松河田のシューレ大学で「学生ゼミ」が行われた。今回、有り難くも私が卒論を発表させていただいた。テーマはイリイチの『脱学校の社会』。周りはフリースクール関係者がほとんど。相手がすでによく知りすぎていることを、話してしまわないか、という不安が襲った。けれど、何とか形になってよかったと、と思う。
卒論
イリイチ『生きる思想』「レイ・リテラシー」の章より、脱学校(非学校)について。
『生きる思想』の「レイ・リテラシー」の部分で、イリイチは《自分自身が『脱学校の社会』のなかでとっていた素朴な見解を批判しようと思います》(116頁)と述べている。
原稿は九ヶ月も出版社のところにありましたが、その間わたしはますますその内容に不満をもつようになりました。ところで、ついでながら言うと、その本は、学校の廃止を論じたものでありません。この誤解は、ハーパー出版社の社長、キャス・キャンフィールドのせいです。かれはわたしの乳飲み子の名付け親になったのですが、そうすることで、わたしの考えに誤った表現を与えてしまったのです。この本は、学校の廃止ではなくて、学校の非公立化を主張したものでした。ちょうど教会が、合衆国では非国教化されているようにです。(116〜117頁)
キリスト教の教会で司祭によって公に行われる礼拝の儀式のことである。語源はラテン語のリトゥルギアliturgia。典礼は神を崇(あが)め、人々のために神の祝福と恵みを求めるために行われるが、典礼にあずかる信者が同一の信仰を確認しあい、連帯心を強める効果をももっている。典礼は、カトリック教会、東方正教会、ルター派、改革派教会などによって、それぞれ公認された典礼書の指針にのっとって行われ、典礼書には祈り、賛美歌、聖書朗読の箇所などが記され、司式者と奉仕者のなすべきことが定められている。(…)[ 執筆者:安齋 伸 ]
そうやって、わたしは、学校schoolingという典礼が、近代の事物が社会的に構築されていくうえでどんな役割をはたしているのか、そして、そうした典礼がどの程度、「教育への[依存]欲求」というものを作りだしてきたのか、という点を研究するようになりました。また、学校[という典礼]に参加する人びとの精神のありかたのうえに、学校がどんな痕跡を残すかということにも気づくようになりました。わたしは、学習の理論や学習目標がどれだけ達成されたかといった研究についてはカッコに入れ[判断を控え]、学校における典礼の形態に注意を集中しました。『脱学校の社会』として出版した諸論文のなかで、わたしは、学校の現象学を論じました。
生徒の数は一般に十二人から四十八人、教師は、数年間は、生徒以上にこうした儀式に骨の髄までひたった者でなければなりません。生徒は、一般になんらかの「教育」を受けたとみなされ、また学校だけが、独占的にそうした「教育」を授けることができるとみなされています。(120頁)
そういうことから、わたしは、教育を、必要な財と考えるような社会的現実を、学校という典礼が、どのようにして作り出してきたのかを知ることになりました。二十世紀の最後の二十年のあいだに、このような[教育の必要という]神話を作り出す働きをするものとして、包括的な生涯教育が、学校にとって代わるだろうということについては、当時でも気がついていました。(120頁)
こうして、「教育」とはなんであるかということを私は理解するようになりました。つまり、「教育」とは、学習を生産する手段が稀少であるという仮定のもとでとり行われる学習のことなのです。この点から考えると、「教育」への[依存]欲求とは、いわゆる「社会化」のための手段は稀少である[かぎられている]、とする社会的な信念や合意から生まれる結果であるように思われます。そして、同じ点から考えて気づきはじめたのは、教育という儀式が反映し、強化し、現実に作り出してもいるのは、稀少性という条件のもとで追求される学習への価値への信仰だということです。(122頁)
ポランニー Karl Polanyi
(1886―1964)
ハンガリー生まれの経済学者。主としてアメリカで活躍。ブダペスト大学その他で哲学と法学を学び、第一次世界大戦後ウィーンで雑誌の編集に従事。ナチスに追われてイギリスに移り、オックスフォード大学の課外活動常任委員会の講師その他を経てコロンビア大学客員教授となり、経済史を講義。物資の交換形態として、互酬性、再分配、(市場)交換の3様式を摘出し、交換形態の分析により、近代の市場経済社会と、その他の非市場社会とを同時に扱うのを可能にした。近代西欧の市場経済が人類史上、特殊であることを示し、経済人類学の発展に多大の貢献をした。主著として『大転換』(1944)、『ダホメと奴隷貿易』(1966/邦訳名『経済と文明』)などがある。なお、物理化学者、社会科学者のミヒャエル・ポランニーは弟、化学者のジョン・ポランニー(1986年ノーベル化学賞受賞)は甥(おい)である。
[ 執筆者:豊田由貴夫 ]
学校の持つ気持ち悪さについて
初めに結論を書くが、学校のもつ「気持ち悪さ」を「貨幣」として支払うことに正当性を感じている人は、「学校が楽しい」と感じるのだと考える。言い換えると、「学校の楽しさを味わうためには、この気持ち悪さを感じるのは仕方のないことだな」と感じる人が「学校が楽しい」と言っているということである。
卒論のリライト
久しぶりの投稿。なんだか緊張する。
シルバーウィーク後半は、長野でフリースクールの「学生ゼミ」合宿に行っていた。フリースクールに関心のある学生が集まっての合宿。3日間ともずっと議論・講義・討論。遊び要素がほとんどない。なんて真面目な合宿なのだと、大学のゼミの合宿を経験した後なので思った。
収穫がいくつか。今回は1点だけあげる。
卒論を、私は6万字で書いた。それを書き直す決意をしたのだ。
当初、私は「学校の持つ気持ち悪さ」をテーマにしていた。そのテーマに戻るのだ。
6万字の文章の方は、結局イリッチの『脱学校の社会』を読み解くだけで終っており、「私」の意見は全く入っていなかった。
卒論はイリッチでなく、「私」が書くものである。「私」の「やりたいこと」をまとめるためにも、再び論文を書くことにしたのだ。
卒論の進み具合。
早稲田大学教育学部教育学科教育学専修の卒論規定文字数は3万2000文字である。
『脱学校化の可能性』「解説」より。
『脱学校化の可能性』「解説」より。
「近代文明と人間に対するラディカルな問いかけ」をする人々が1960年代後半から1970年代初頭に現れてくる。
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「この時期にはまた『脱学校化』を唱える人々と共に,様々な学校批判と改革を主張する一群の人々があらわれた」(197頁)
「このようなラディカルズと呼ばれる人々をデイヴィッド・ハーグリーブズは脱学校論者(Deschooler)と新ロマン主義者(New Romantics)とに分類している」(197頁)
脱学校論者:「教育制度と社会を根本的に批判し、ラディカルな代案の構想を提案している人々」「彼らの主な仕事は、社会の構造の中における教育の構造についてであり、学校の廃止を主張し、教育は特定の教育制度の仕事であることをやめ、かわりに社会の様々な部門に拡散される」
「イヴァン・イリッチ、エヴァレット・ライマー、パウロ・フレイレ、等」
「長期的で幅広い展望」「学校ばかりではなく社会の変革」(分析の焦点)
新ロマン主義者:「現在の教育の実践には非常に批判的ではあるが、学校にかわるラディカルな代案よりも改革を主張する。彼らの主な関心は、カリキュラム内容の再構成や教育の性格の再規定であり、その分析は、ほとんどミクロな社会学的レベルあるいは社会心理学的レベルである」「脱学校論者の学校診断を受け容れているが、教師や学校そのものを攻撃しているのではなく、教育制度内改革を目ざしている」
「ハーバート・コール、ニール・ポーストマン、初期のジョン・ホールト、カール・ロジャース、オンタリオ教育研究所の人々や、さかのぼれば、サマーヒルのニール、フリーデンバーグ、コゾル等」(198頁)
「短期的(展望)」「焦点は教室の中」(分析の焦点)
*ポール・グッドマンは、脱学校論者、新ロマン主義者「双方のグループの父と言われている」(199頁)
卒業論文レイアウト。
何度も変遷しているが、卒論の概要は次のようにしたいと思う。
題目:イリッチ『脱学校の社会』の現代的意義の考察(「学校化」「脱学校」「価値の制度化」「ラーニング・ウェッブ」 の定義の考察)
序論:『脱学校の社会』特有のキーワードを探る。
本論:イリッチ『脱学校の社会』を読み解く。
●イリッチが本書を書いた理由は何か?
ライマー、ホルトなどの影響。
「価値の制度化」への批判
●価値の制度化とは何か?
価値観の転倒する社会
●学校化とは何か?
「学校化」という言葉をめぐる混乱
宮台真司・上野千鶴子の「学校化」とイリッチの「学校化」の違い
学校的価値が吹き出す社会(宮台)
学びが制度化する(イリッチ)
●ラーニングウェッブとは何か?
イリッチの描くラーニングウェッブ像
ブログ空間によって、ラーニングウェッブは構築可能か?
●イリッチのフリースクール観
フリースクールを否定的にみるイリッチ。
「脱学校」とフリースクールはイコールではない。
フリースクール論はニイルに求めよ。
結論:『脱学校の社会』から何が見えてくるか。
●「価値の制度化」が起きていないかを常に確認せよ。
●ウェブ時代におけるイリッチ再考の必要性。
●今後の課題
イリッチの思想の変遷を探る
フレイレとの出会いの前後の変遷。
ニイル思想の研究の必要性。
参考文献
『オートポイエーシスの教育』、または卒論の概要。
山下和也『オートポイエーシスの教育』を読んでいる。ルーマンの社会システム論のキー概念である「オートポイエーシス」理論をもとに、教育を再考するという本である。
将来どの人格を担うにしろ、その社会における社会人人格を最低限担えるだけのコードを前もって習得させておく必要が生じ、そのために特化した教育システムが分化してきました。これがつまり普通教育です。技能教育のネットワーク化を唱えて学校を否定するイリッチが見落としているのがこの点で、何を学ぶべきかが個人個人にわかっていないからこそ、学校による普通教育が必要なのです。独学の困難は学ぶべきことの選別にこそ存するのですから。(pp123~124)
再び確認してみると、イリッチの本文に、技能教育のネットワークを示唆するものがありました。ただ、山下さんの記述にあるような「技能教育のネットワーク」だけをイリッチが説いたわけではありません。
…。おかしいな。イリッチは技能教育を学校で行うことに肯定的だったはずなのに…(というか、学校が役立つのは技能教育と大学だけだ、といっていた)。
卒論の構成
そろそろ、卒論のことを考えていこう。卒論の構成について、次のように考えている(随時更新)。
イリッチが『シャドウ・ワーク』で言いたかったこと
『シャドウ・ワーク』においてイリッチは〈制度に縛られない〉生き方の大事さを何度も主張している。少なくとも、一章と二章を見る限り、そうである。
「学び」という営みも本来、もっと自由なものであったはず。「学校」という制度に頼らなくても、子どもたちが周りの「まね」をのびのび行っているのが本来の「学び」であったはずだ。いま、「まね」ることの出来る環境が無くなりつつあるのと平行して、「学び」が「学校」のみに一元化されようとしている。また宮台の言うように学校的価値が社会にひろまるという意味での「学校化」も起きている。「学び」と「制度」がつながってしまったのだ。「価値の制度化」である。
『シャドウ・ワーク』でイリッチは言う。「もし自分の手で丸太小屋を建てることができるほどのひとならば、そのひとは本当は貧しいとはいえないのだ」(43頁)。丸太小屋という粗末な家をあえて自分でつくることができるのは、金持ちの特権なのである、と。近代成熟期には制度に頼らず「自分で」することは特権階級のすることとなってしまった。制度に頼らない学び、たとえばフリースクールやホーム・エジュケーションに関心を持つのは金持ち層が多い。イリッチの主張はこのような点にも現れている。
追加すると、イリッチは「理想の社会」と一つのことばで表される社会を嫌っているように思える。コミュニティごとに、「理想の社会」は異なるはずだ。文化環境も、思想・信条も、自然環境も違っているのだから。山本哲士は『教育の政治 子どもの国家』において「社会」と「場所」とを対比的に語る。一元的な「社会」ではなく、その場その場の(ヴァナキュラーの)「場所」を重視すべきだと主張している。
経済を基にしていると、経済はすべてを一元化してしまう。『シャドウ・ワーク』の「公的選択の三つの次元」のZ軸の定義として、上限が「経済成長につかえる社会」であると示している。その反対側の下限が「生活は自立と自存を志向する活動のまわりに組織され、それぞれのコミュニティは、成長の要求に懐疑的になることで、コミュニティ独自のライフスタイルをいっそう強化する」というものであった。「経済に基づくコミュニティも多様な選択肢の一つではないか」という意見が聞こえてくることを見越した上での、主張であろう。経済を基にすると、コミュニティの独自性が失われてしまうことをイリッチは嘆いているのだろう。XYZ軸をすべて説明した後に、「当今の政治の概念作用となると、すべてを一次元化してやまない」といっているのは、そのためではないだろうか。
※余談だが、昔読んだリンカーン大統領の伝記を思い出す。サブタイトルは「丸太小屋からホワイトハウスへ」であった。当時の私は丸太小屋、つまりログハウスに住んでいる人は「別荘を持った金持ち」というイメージをもっていた。本来、19世紀初頭における丸太小屋は「貧しさ」の象徴であったのだが、誤解していたのだ。