イリイチ『生きる思想』「レイ・リテラシー」の章より、脱学校(非学校)について。

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 『生きる思想』の「レイ・リテラシー」の部分で、イリイチは《自分自身が『脱学校の社会』のなかでとっていた素朴な見解を批判しようと思います》(116頁)と述べている。

原稿は九ヶ月も出版社のところにありましたが、その間わたしはますますその内容に不満をもつようになりました。ところで、ついでながら言うと、その本は、学校の廃止を論じたものでありません。この誤解は、ハーパー出版社の社長、キャス・キャンフィールドのせいです。かれはわたしの乳飲み子の名付け親になったのですが、そうすることで、わたしの考えに誤った表現を与えてしまったのです。この本は、学校の廃止ではなくて、学校の非公立化を主張したものでした。ちょうど教会が、合衆国では非国教化されているようにです。(116〜117頁)

 イリイチは『脱学校の社会』では費用がかかりすぎるという点からも「非学校化」を提唱したのであった。
 このあと、イリイチは「学校の典礼論」についてを説明していく。「典礼」とはYahoo!百科事典(データ元:『日本大百科事典』(小学館))では次のように説明されていた。要は、礼拝の際の儀式のことをいう。

キリスト教の教会で司祭によって公に行われる礼拝の儀式のことである。語源ラテン語のリトゥルギアliturgia。典礼は神を崇(あが)め、人々のために神の祝福と恵みを求めるために行われるが、典礼にあずかる信者が同一の信仰を確認しあい、連帯心を強める効果をももっている。典礼は、カトリック教会東方正教会、ルター派、改革派教会などによって、それぞれ公認された典礼書の指針にのっとって行われ、典礼書には祈り、賛美歌、聖書朗読の箇所などが記され、司式者と奉仕者のなすべきことが定められている。(…)[ 執筆者:安齋 伸 ]


 《教会学の中でも典礼論は、いつもわたしが好んでいるテーマです》(118頁)と、神学というイリイチの出自に基づいて論を進める。典礼論は《「教会」という現象を作り上げるうえでの礼拝の役割を扱ってい》(同)る。典礼論の研究テーマは《おごそかな身ぶりや聖歌、位階制度や儀式の諸道具が、どのようにして、信仰ばかりでなく、信仰の対象である教会共同体という現実を作り出すのかということ》(同)である。
 《比較典礼論を研究することによって、神話を作り出すのに本質的な儀式と、そうでない非本質的な様式とを区別する目が鋭くなります》(118〜119頁)とイリイチは続ける。このような典礼論研究をもとにして、《学校で行われていることがらを典礼の一部として見る》(119頁)姿勢をイリイチは身につけた。

そうやって、わたしは、学校schoolingという典礼が、近代の事物が社会的に構築されていくうえでどんな役割をはたしているのか、そして、そうした典礼がどの程度、「教育への[依存]欲求」というものを作りだしてきたのか、という点を研究するようになりました。また、学校[という典礼]に参加する人びとの精神のありかたのうえに、学校がどんな痕跡を残すかということにも気づくようになりました。わたしは、学習の理論や学習目標がどれだけ達成されたかといった研究についてはカッコに入れ[判断を控え]、学校における典礼の形態に注意を集中しました。『脱学校の社会』として出版した諸論文のなかで、わたしは、学校の現象学を論じました。

 その「学校における典礼の形態」の例として、次のものをあげる。
《「教師と呼ばれる人間のまわりで、年に二百日、日に三時間から六時間勉強する年齢別に構成された集団》(119頁)
《落第したり、低いランクのコースへ追いやられた者たちが排除されることを年ごとに祝う進級[という儀式]》(同)
《これまでのどんな僧院の典礼にもないほど細分化され入念に選択された学習項目》(119〜120頁)
 

生徒の数は一般に十二人から四十八人、教師は、数年間は、生徒以上にこうした儀式に骨の髄までひたった者でなければなりません。生徒は、一般になんらかの「教育」を受けたとみなされ、また学校だけが、独占的にそうした「教育」を授けることができるとみなされています。(120頁)

そういうことから、わたしは、教育を、必要な財と考えるような社会的現実を、学校という典礼が、どのようにして作り出してきたのかを知ることになりました。二十世紀の最後の二十年のあいだに、このような[教育の必要という]神話を作り出す働きをするものとして、包括的な生涯教育が、学校にとって代わるだろうということについては、当時でも気がついていました。(120頁)

 けれど、イリイチはこう語る。《『脱学校の社会』を書いたとき、わたしの関心の核にあったのは、依然として、教育の社会的影響であり、教育がそもそも歴史のなかでどのようなものとして形成されてきたかということではありませんでした》(121頁)と。このようにイリイチは自己批判をする。
 この文章の後、イリイチは人間を「ホモ・エージュカンドゥス」(教育を要するヒト)の「種に属している」とみる自身の仮説を疑い始める。「稀少性」というキーワードから文明を読み解くイリイチの姿勢が《実は、歴史的につくられたものだということに、カール・ポランニーの本によって気づかされ》(122頁)る。

こうして、「教育」とはなんであるかということを私は理解するようになりました。つまり、「教育」とは、学習を生産する手段が稀少であるという仮定のもとでとり行われる学習のことなのです。この点から考えると、「教育」への[依存]欲求とは、いわゆる「社会化」のための手段は稀少である[かぎられている]、とする社会的な信念や合意から生まれる結果であるように思われます。そして、同じ点から考えて気づきはじめたのは、教育という儀式が反映し、強化し、現実に作り出してもいるのは、稀少性という条件のもとで追求される学習への価値への信仰だということです。(122頁)

※なお、カール・ポランニーについてYahoo!百科事典で調べた結果も引用しておく。

ポランニー Karl Polanyi

(1886―1964)

ハンガリー生まれの経済学者。主としてアメリカで活躍。ブダペスト大学その他で哲学法学を学び、第一次世界大戦後ウィーンで雑誌の編集に従事。ナチスに追われてイギリスに移り、オックスフォード大学の課外活動常任委員会の講師その他を経てコロンビア大学客員教授となり、経済史を講義。物資の交換形態として、互酬性、再分配、(市場)交換の3様式を摘出し、交換形態の分析により、近代の市場経済社会と、その他の非市場社会とを同時に扱うのを可能にした。近代西欧の市場経済が人類史上、特殊であることを示し、経済人類学の発展に多大の貢献をした。主著として『大転換』(1944)、『ダホメと奴隷貿易』(1966/邦訳名『経済と文明』)などがある。なお、物理化学者、社会科学者のミヒャエル・ポランニーは弟、化学者のジョン・ポランニー(1986年ノーベル化学賞受賞)は甥(おい)である。

[ 執筆者:豊田由貴夫 ]

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