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劇団てあとろ50’『last gasp』

 シンクロニシティーという言葉がある。同時性という意味だ。今日『last gasp』という演劇を観て、それを感じている。

 最近、サークルの先輩と飲んだ。その際、家族論について話をした。なんでも、家族論的には家族は外部の「サービス」で代行できるらしい。ベビーシッター、家政婦さん、究極的には教師や塾講師…。家事業も、教育もすべてに外部の「サービス」が存在する。ではサービスで代行できる現在において、「家族」の「家族性」、つまり「家族」たる由縁はどこにあるのか? そんな疑問を持っていた。
 てあとろ50’sの演劇のテーマは、私が疑問に思っていた点と同じだった(ような気がする)。主人公・神谷和人(かみたに・わひと)の妹・仁香(じんか)は昔すごした家族5人(父・母・兄・弟)との生活を夢見ている。「5人」にこだわり、細かな所に妥協しない。家を出て行った母から「家に戻ってもいい?」との電話があっても、黙って切ってしまう。結局、引きこもりの兄・和人とともに2人で生活をしている。父も弟である三治郎も出て行ったままだ。
 そんな折、弟・三治郎が「結婚するんだ」と山崎蘭をつれてくる。そのやり取りの中で妹はgaspをする。gaspとは、はっと息をのむこと(すべて『ジーニアス英和』の受け売り)らしい。そして泣き叫び、しばらく入院をすることに。不思議と、妹のgaspが新たな家族構築につながっていく。母・弟・義理の妹という4人の生活に。兄は入院中にどこかへ出てしまったが、《やがて戻ってくるだろう》と観客に匂わせるラストであった。
 「家族を演じる」意志のない人は、家族のメンバーになることはできない。そう感じた。「家族を演じる」意志のない人を無理に家族に引き込もうとしても、ストレスが溜まるだけである。家族を演じる意志のない人は抜け、意志のある人・意志が戻ってきた人が再び家族になる。家族の物語は一つではない。それぞれの物語を持つ各人が、「演じる」意志のある間だけ、かろうじて家族になれるのだ。
 シンクロニシティーを感じたのは、家族論を演劇でやっていたことによる。偶然だが私のカバンには『子どもと出会い 別れるまで 〜希望の家族学〜』(石川憲彦)が入っていた。この本では、「思い」や「感情」をぶつけるとき、はじめて家族の再生があることを描いている。人々がgaspをし、「思い」や「感情」を伝える努力をする際、新たな家族を構築することにつながるのだ。
 余談だが、演劇の舞台上、ほぼ全ての間、人間二人が座っていた。和人と仁香の家の猫2匹の役だ。人間たちのやりとりを、この2匹は絶えず見つめている。実はこの家は兄と妹の2人家族でなく、ペットも入れた4人家族であったような気がしてならない。敬愛するO先生が「ペットも家族」と言っていたし…。

フルートを始める。

 本日15時。無事、卒業論文を学部事務所に提出することができた。ようやく私も「学士様」。いまはものすごく多い学歴なので、明治期のような輝かしさはないが。

 
 何かが終るとき、新たな決意をしなければ「落ちて」しまうのが私である。一念発起して、楽器の街・大久保に行ってきた。笛を始めるためである。
 昔から、何か一つでもいいから楽器が出来るようになりたいと考えていた。なかなか始めるチャンスがない。なんだかんだ大学4年生になってしまった。卒論の終った今、新たに始めるのに最適な時期だ。
 中古の楽器屋で2万円でフルートを購入。新品を買うと6万円はかかる。「楽器」という文化は恐ろしい。
 内田樹の言葉だったか忘れたが、「人間は異物ともコミュニケーションが出来る」というものがある。「なんだかよくわからないもの」、つまり「異物」であっても人間は意思疎通が可能となるのだ、という文章である。
 今日、フルートを口に当ててみたがびっくりするほど音が何も出ない。「不良品か?」と焦るくらいである。私にとって、このフルートは完全な「異物」だ。さっぱり音を出すことができない。you tubeでは、あんなに美しい音を奏でる人がいるのに…。
 おそらく、演奏家にとっても始めのうち、フルートは「異物」であったのだろう。それを日々接し、少しずつ「異物」との関わり方を練習するうちに、自らの身体同様にフルートを活用できるようになったのだ。
 今日、フルートという「異物」に関わり、久しぶりにコミュニケーションが取れないことのもどかしさを経験した。「異物」に出会うとき、人は謙虚になるものだ。少しずつこのフルートとコミュニケート出来るようになりたいと考えている。

「制度」としての「学校」の不可思議さ

 もとから、私の教育学的主張は学校外の学び舎をさらに普及させることである。例えばフリースクール、例えば「子どもの居場所」。それ故、私はフリースクール全国ネットワークというNPO団体のボランティアを週1でやらせていただいている。

 私が教育実習で行った八千代中学校はド田舎の中学校。ヘルメット・タスキをつけ、生徒は自転車で通学する。逸脱する者はあまりいない。生徒をしばる教員の圧力の強い所であった。

 こういうことがあった。男子生徒更衣室から制汗スプレーがみつかり、担任が生徒に「こんなものを持ってきてはいけないだろう」と叱っていた。そのシーンを私は少し離れた所から黙ってみていたのだが、非常に不思議な気持ちになった。その教員の話を聞いていても、「どうして制汗スプレーを持ってきてはいけないのか」という理由の説明にはなっていない。理不尽な叱り方である。おそらく、その教員の側にしてみれば本当に「こんなものを持ってきてはいけない」のであろう。中学生だった頃には存在しないものだったのだから。けれど時代は日々進む。現在、高校や大学で運動をする人たちの間で制汗スプレーをしないことの方が「お前、それはないだろう」と言われることが多い。自分の体臭を気にしないことは《非礼》であると伝わってしまうのだ。

 まさに社会学でいう「権力」関係が働いていたことに気づく。「隠れたカリキュラム」として、中学生は教員権力に従うということを内面化されていくのだ。

 教育実習、気づけば終っていた。「学校」や「教師」という存在が生徒を支配する関係が存在していることに改めて気づき、「ああ、やはり学校外の学び舎がさらに普及することが必要なんだな」という考えに至った。八千代中学校の「不登校」・「教室外登校」の生徒数は、6名(総生徒数208名)である。およそ3%の生徒は「学校があわない」ということを無言のうちに示している。

 「学校」や「教師」が大好きな生徒がいるのと同様に、それらが大嫌いな生徒がいるのは当然である。その子に対し、無理やりでも「学校へ来い」と言い続けるのは酷であろう。学校が「学校」である限り、どれだけ努力をしようとも「学校」を好きになれない生徒は必ずいる。ならば学校外の学び舎(フリースクールなど)をさらに普及させることが必要だ[1]

 しかし、「学校」の持つ「気持ち悪さ」を教育実習のなかで幾つも感じながらも、生徒と触れ合うことはものすごく楽しかった。S君という生徒と、放課後の無人の図書室で日本の歴史のロマンを語り合ったことは未だに鮮明に頭に残っている。

 「学校」という制度のなかで、いかに生徒と人間的つながりを築けるか。これが大切なのではないだろうか。


[1] もう一つの考え方として、ボーイスカウトなどの「ノンフォーマル教育」活動を押し進め、学校外にも子どもが育つ場所を提供するというものがある。私の実習校でも、ボーイスカウトや地域のサッカークラブに参加している生徒が一定数いた。

中谷彰宏(なかたにあきひろ)のDVD

 昔から中谷彰宏の本が好きだった。というよりも、自己啓発本が好きであった。
 初めに自分のお金で買った新書は『知的生産の技術』。次が『超・整理術』。図書館でも、小学生のうちから「効率的なメモの取り方」・「成功する人の仕事術」的本を読み続けていた。私が、なんとか第五志望である早稲田大学教育学部に引っかかったのも、小学生以来の自己啓発本読者であったからだろう。自己啓発本は、「何事にもコツがある」・「勉強にはやり方がある」という認識を持たせてくれるのだ(その弊害は、別のところで語ることにしよう)。

 「自己啓発本」を日本で最も多く出版している人間は、おそらくは中谷彰宏。各種DVDでも「僕は800冊書いてきた」ということをサラッと口にしている。それだけ多く書いたら、どこかでマンネリに陥りそうになるはずだ。けれど、どの本を読んでも新鮮な発見をする私がいる。

 中谷彰宏と、私はずっと「本」で触れてきた。博報堂時代がもとになっているのか、キャッチコピー風の短い文章の集まりを読みつつ、「そんな考え方があるのだな」と学んできた。

 DVDに表れた中谷の姿。非常にインパクトがあった。何と言ったらいいか、「言葉の響き」にすら感動を覚えた。中谷の本に書かれた言葉が、中谷の口を通して語られる。話される内容よりも、話す言葉の「響き」から多くの点が学べたような気がした。

 口から発せられた言葉には、必ずその人の「響き」がある。このことを私は忘れていた。中谷が関西弁でしゃべっていたことも、発見の一つであった。

 プラトン以来、「言葉」「ロゴス」のみを人間は追い求めてきた。「言葉」の中でも、「書き言葉」を重視した。「言葉の響き」よりも。その姿勢がデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」につながり、近代が開かれた。その姿勢は「自分で考える」ことを重視する姿勢であった。「自分で考える」ゆえに、「他者」はあまり登場しない。
 夏目漱石の『行人』(こうじん)には、近代理性の権化ともいうべき人物・長野一郎が登場する。彼は理性や学識は非常に高い。けれど、妻や母親、その他の家族と分かり合えることができず、常に孤独に苛まれている。近代的知識人の持つ「孤独さ」を感じた本であった(余談だが、一郎が友人と神について語る際、突然友人を殴るシーンがある。「君、これでも神を信じるかね?」という言葉に、私は笑ってしまった)。

 プラトン以前、「模倣」(ミメーシス)が重視されていたと聞く。踊りを観たり、演じたり。歌を聴いたり、歌ったり。宗教においても然りであった。「自分で考える」というよりも、模倣を通じて瞬時に「神に至る」道が重視されていたのだ(ちなみにプラトン以前を注目し始めたのはニーチェである)。「模倣」は、一人ではできない。常に他者の存在が必要である。必然的に孤独になることはない。
 イリッチはconvivialという言葉(どうもスペイン語らしい)を重視する。訳者によって「相互依存」と訳したり、「相互親和」と訳したりする、日本語化しにくい言葉だ(辻信一は「共に生きる」と説明する)。これは「孤独」と対比的な言葉である。一人でいるのではなく、誰かと話したり・親しく過ごしたり・共に生活をしたりすることを重視している。

 イリッチの『脱学校の社会』のラストも、convivialを社会にもたらそう(「相互親和型社会」ということ)、と呼びかけるものであった。誰かの美しい詩を引用し、イリッチはそこで唄った。「人が薄暗がりに住んでいて、薄暗がりの中で友を得るなら、薄暗がりも面白いじゃないか」(208頁)と。 convivialと語る時、必ずそこには「他者」が存在する。理解出来る/出来ないにかかわらず、「他者」と「共に生き」ようとする。『行人』の長野一郎も、convivialな生き方をもっと志向すればよかったのではないか。そう思われて仕方ない(小説だと、なんだか自殺しちゃいそうだし)。
 現代人の生きづらさは、「言葉」に執着するところにあるのだろう。「自分で考える」のも大事だが、もっと「模倣」のよさに立ち返ってもよいのではないか。それがconvivialということである。

 中谷の「言葉の響き」をめぐって、よくわからない話になってしまった。けれど、ここで書いた内容は私が数多くの「他者」から「模倣」してきたから、まあいいんじゃないかな。

自主・自律

写真は、ある小学校のスローガン。

学校の存在自体が、生徒の自主性を奪うことはあるのではないか。

「学校」という土俵でいくら自主性を発揮する教育ができたとしても、それが社会でも使える「自主性」である必然性はどこにもないのである。

「自分に合った仕事」という幻想

 友人が就職活動を行っている。その際、リクナビやマイナビなどに希望する条件を登録し、そこから送られてくる情報をもとに行動を行っている。

 「自分に合った仕事を探そう」と、最近の就職関連の本には登場する。「自己分析」がやたら騒がれ、「一生の大半は仕事をするのだから、自分に最もあったものを選ばないと不幸になる」とすら語るものもある。

 しかし、本当だろうか? 自分という個が先にあって、その個に合う仕事を探す。このプロセスは真理なのだろうか。

 かつて、仕事は「一人前になる」ために行うものだった。「自分に合った仕事を探す」のではなく、仕事を通じて自分を作り上げる、というプロセスをとっていたのだ。
 
 私の家は、代々職人の家系であったらしい。祖父の代までは建具屋さんをしていた。建具屋とはたんすなどの家具を作る人のことをいう。そのため家の納屋にはカンナや金槌などがたくさん散らばっている。
 木にカンナをかける。なかなかうまく出来ない。力を均等にし、慎重にカンナをかけていく。この作業を繰り返し、きれいにカンナがけができるようになったとき、少し「一人前になる」ことが出来たのであろう。仕事を通しての人間成長があったのだ。
 仕事を通じて、かつては人生における真理を学んでもいた。先のカンナがけ。カンナをかけるだけでなく、「ゆっくりと慎重に行うこと」「練習をすれば必ず技術は習得できるようになるということ」すら学ぶことができていた。表面上は単調にカンナがけをしているようでも、作業を通じて人生の真理を学んでいた。

 いまは個があって、「自分に合った仕事を探す」というプロセスをとっているが、かつてはそうではないのが一般的だった。仕事は何でもいい、けれどその仕事を通じて「自分」を作り上げろ、というメッセージが社会に広まっていた。

 就職活動に行き詰っている友人にこの話をすると、非常に喜ばれたのが印象的だ。いまの就職活動は何か誤っている点があるのではないだろうか。

鈴木雅之のCDを聴きながら。

 最近、鈴木雅之のCDをずっと聴いている。「♫もう涙はいらない…」。名曲である(現在のBGM)。

「もう涙はいらない 僕が側にいるから」(「もう涙はいらない」)

 この一節に鳥肌が立ってくる。
 もう一カ所、彼の別の歌から。

「後悔するよ きっと こんなさよならは
 今日までの二人 どこへ 消えてしまうのか
 追うことさえ 出来なかったのは 俺の方で
 泣くことしか 出来なかったのは 君の方で」(「さよならいとしのBaby blues」)

 この歌詞が、いつぞやの苦い記憶を呼び戻す(ような気がしてならない)。

 ブックオフで買ったのは鈴木の「Best Love Song Album」たる、「MEDIUM SLOW」である。流していて、色々気づく。「あれ、どこかで聴いたな?」。思案した結果、もともと父のカーステレオで聴いたことがあることを発見した。

 幼き日、父のワゴン車の助手席で聴いた曲の数々。サザンオールスターズ、TUBE、そして鈴木雅之…。私が、いわゆる「懐メロ」を愛好する理由には父のカーステの存在が大きい(同じ懐メロでも さだまさしが好きなのは母の影響から)。

 そのためか、鈴木雅之にしても何にしても、「全くの未知」の曲よりも「あ、この曲はカーステで聴いた!」と分かるものの方が私の好みである。

 鈴木雅之の存在は、いろいろYOU TUBEを散策するなかで偶然見つけ、「この歌手、すごいじゃないか!」と発見した。いざCDを買ってくると「あ、この曲はカーステで聴いた!」と改めて認識したのである。

 結局、人間は自分の育った環境から離れることができないのではないか、と気づく。意図的に離れようとしても、油断すると気づけばその環境に戻っている。そういうものである。
 一人で生活していると、あんまり両親の存在を意識することはない。月末にキャッシュカードを使う際、「今月も仕送りがしてある」と事実に感謝するときくらいである。けれど、実は自己の内面の「趣味」「興味」という位相には常に両親が存在している。

 さて、全く関係ないが昨日「思い」が通じた瞬間があった。「思い」が通じるのは実に嬉しいことだ(恋愛のことのようだが、そうではない、念のため)。

映画 マイケル・ジャクソン『This is it』

 私は今まで色々な映画を見てきたが、観客の拍手で始まり拍手で終る映画は始めてである。まるで昭和の映画館のよう。マイケル・ジャクソン(MJ)のコアなファンの多さを実感した。映画の合間にあがる歓声と拍手。光るブレスを付けた人の多さに驚く。

 映画を見ていて。MJは「変化し続けたかった」のではないか、と思う。顔を白くしたのも整形したのも、すべてその意志の現れではないか。
 「変化する主体」としてのMJ。リハーサルをしながら演出や振り付けを考えていくのも、「変化する主体」ならではではないか。
 変化。人間生命の本質にはこれがあるのではないか。まさに「万物は流転する」。

(・・・)
 映画が終わる瞬間、観客は日常に引き戻される。突然に、それこそ唐突に。新宿バルト9のエスカレーターで新宿の夜景を見るとき、マイケル・ジャクソンの偉大さと共に、自らの日常を思い出すのだ。それは辛い作業だろう。しかし我々は戻らねばならない。MJのいない日常に、そしてありふれた世界へと。
 映画のラスト。「さあ変わろう」。我々もつまらない日常を変えていかなければならない。
 自らが変わることで。

高橋勝『学校のパラダイム転換』(川島書店、1997)

人が何かを〈学ぶ〉ということは、その対象を通して、生活世界に新たな意味を付与していく営みである。自己の生活世界をつねに新たに更新していく営み、それが〈学ぶ〉という行為にほかならない。その行為は、ものへのはたらきかけや他者とのかかわり合いなしには成立しない。〈はたらきかけ〉、〈かかわること〉によってしか、私たちは自己の世界を更新してはゆけないのだから。それは、必要や効用といった功利的原理を超えた、根源的な「生の世界」それ自体の自己蘇生の営みなのだ。(15−16頁)

 私たちの〈学び〉とは、それまでの狭い世界を脱出して、より広い世界を切り拓き、再構成していく行為にほかならない。それはきわめて創造的であり、主体的な営みなのである。(18頁)

〈学び〉とは、〈自己〉の解体と再生の営みなのだ。(18頁)

子どもたちが、多様で異質な文化や人々と出会い、交流する場として、学校を考えたい。同年齢ばかりでなく、異年齢の子どもたち、地域の住民、異国籍の人々、多様な文化的世界、そうした多数の他者と交わることによって、子どもは、一人で学ぶ以上のことが学べるのである。「学ぶたのしみ」を肌で実感できる人々が寄り集まり、〈学びのネットワーク〉を織り上げていく場所、それが、これからの学校なのだ。(28頁)

感想『いよいよローカルの時代』(大月書店)

この本に、次のようにあった。

《ぼくは、スローとはなにかと言われたら、「つながり」と答えることにしています。ローカリゼーションというのは、一度断たれた大切なつながりをとりもどすことですよね》(172ページ、辻)

いま私は一人暮らしをしているが、西早稲田の我が家にはいろんな人が出入りしている。

風呂を借りに来るN君、夜話し合いにくるFさん・Oさん、よく「泊めて」とくるS君、「部屋を貸してください」と急にメールするI君…。ひとりも女性はいないが、たくさんの人がうちを使っている。

人はよく「お人好しが過ぎるんじゃないか」と言うが、私にとってはこの「いろんな人が我が家に来る」生活のほうが好きだ。これこそ「つながり」であり、真の豊かさであると言える気がするからである。

一人暮らしの家に1人で住む。けっこうキツいことだ。 必要以上にプライバシーに配慮していても、孤独さが増すばかりである。

昔の下町長屋にはほとんどプライバシーはなかった。けれどそれと引き換えに「つながり」という豊かさがあったのである。

内田樹も、他人と部屋を共有することの意義を語っている。

大学生がよく欝になるのは、部屋の共有をしないためではないだろうか?