もうすぐ、私がボランティアをしているもう一つの組織の活動が始まる。中学・高校の寮のボランティアである。夏休みが終わり、新学期が始まるからだ。寮生の安全確保や見回りなどが仕事の内容。後は寮生と語り合って有意義な時間を過ごしている。
2009年 8月 の投稿一覧
教育政策ネットワーク サイトに感じた違和感。
私はフリースクールでボランティアを週一の頻度で行っている者です。
貴団体の教育の政策提言なのですが、すべて「学校」での教育のみに片寄っているように感じられてなりません。 日本の教育をよくするならば、学校を変えるだけでよくなることはないはずです。学校が合わないと訴える不登校の子どものための教育政策が必要だと思います。その教育政策は〈再び学校に行けるよう、学校を魅力的にする〉だけでは意味がありません。学校という存在それ自体が合わないと考える子どもは、現に存在しているからです。学校とは違う教育機関をも対象に入れた教育政策の提言が必要であると考えます。 いま、フリースクールに通う子ども達には、通学定期券以外、ほとんど行政からの支援をうけることができません。やろうと思えば、政策提言にあった奨学金制度の拡充をフリースクールに通う子どもも対象に入れることが可能だと思います。そのような「フリースクール等の学校外教育機関に通う子ども達」の利益も考えた教育政策こそが、いまの時代に必要であると考える次第です。 昨日、フリースクールに通う子ども達が中心になって「不登校の子どもの権利宣言」が発表・採択されました(「2009不登校を考える全国合宿」)。その中に、「不登校をしている私たちの生き方の権利」というものがあります。「おとなは、不登校をしている私たちの生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せはうまれない」と書かれています。不登校の子ども達へのまなざしを忘れない教育政策が必要であると考える次第であります。
「2009不登校を考える 第20回全国大会」と「不登校の子どもの権利宣言」
昨日、「2009不登校を考える 第20回全国大会」が終了した(8月22日~23日)。この大会は保護者の部門と子どもの部門に分かれて開催された。
前文私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。
個への対処と、全体の変革の矛盾。
不登校という「個」への対応を、フリースクールは行っている。
大島七々三『社会起業家になる方法』(アスペクト、2009年)
最近、心ある友人/先輩が「社会起業家」という言葉を発するのを聞くようになってきた。「社会起業家とは、社会が抱えるさまざまな課題の解決のために、事業として取り組んでいる人たちのことです」(6頁)と、筆者はあっさりと説明する。このあと、6名の「社会起業家」を紹介し、読者に「社会起業家」とはどんな職業で、どんな人がその職業を行っているのか伝えていく。この仕事は株式会社だったり、NPOだったり、「週末起業」だったりと、特定の形態のあるものではない。それ故に、「人」に注目した書き方をとっているのだろう。
たとえば、ある社会起業家は、後継者不足で悩む伝統陶芸の窯元に、若者を紹介する事業を立ち上げました。またある人は、増加するひきこもりやニートの人たちが社会から孤立しないよう情報を提供し、社会に復帰するきっかけを作ろうと、ニート専用のインターネットラジオ番組を始めています。(6頁)
さきの引用文の後、筆者はこう続けていた。「社会貢献」を仕事にする社会起業家への温かな眼差しが感じられる(こう書いている自分が気恥ずかしくなる)。
印象的だったのは、田坂広志(シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学大学院教授)のコメントである。田坂は、「社会起業家という人材像は、本来、日本人から見ると古く懐かしい話です」(223頁)と語る。それは、元々日本人は自己の利益のためでなく、社会貢献のために働いてくるというメンタリティーを持っていたためだ。
この国では、町の豆腐屋さんでも、栄養のある美味しい豆腐を作って、地域に健康を届けたいといった志を当たり前のように語ります。世の中に貢献する、という思いは魚屋さんだろうと八百屋さんだろうと、日本人はみんな持っていた。そして、日本では、定年退職した人が、まあまだ元気なうちは世の中のお役に立ちたいと、誰もが素直に言います。この日本人の精神は、まさに、欧米の人たちが言う、社会起業家の精神そのものです。(223頁、田坂の発言より)
日本人はもともと社会起業家の精神を持っていた。それが、グローバリゼーション等の海外からの概念(村上ファンド社長の「金儲けは、悪いことですか?」に代表されるような利益重視の姿勢)のために、いつしか忘れはじめてきた。
「『働く』という言葉は、『傍』(はた)を『楽』(らく)にするという意味」(同)を、忘れないようにすること。これがいまの日本に必要なことなのだと、田坂は語っている。
なお、本書にも紹介されている山本繁(コトバノアトリエ代表)のブログはこちら。
国立東京近代美術館
友人Nのすすめで、国立東京近代美術館に行く(最寄り:東西線竹橋駅)。ゴーギャン展を素通りして(前回来たから)常設展のみ見る。学生130円はバカなくらい安い。行かないのは損である。
Nの話では「日本の近代絵画の、明治時代から現在までの変遷がわかる」とのことだった。受験用の日本美術史程度の知識しかない私の目には、はっきり言ってあまり絵画の変遷がよくわからなかった。しかしながら黒田清輝など、名前だけ知ってる画家の作品を知ることができた点は大きかった(受験知にも効能があるものだと実感する)。一通り見た後、戦後絵画史上で岡本太郎だけが一種独特な雰囲気をもっているように感じた。
個人的に好きだったのは、2階の田中新太郎の展示。パネルを展示する柱のような作品「偏光」を、私は作品と思わずに跨ごうとした。すぐに背後から係員の「跨がないで下さい」との注意が飛んできた。真鍮で出来たその作品は、作品と言われないと作品には見えない。
会場に田中新太郎のトーク映像が上映されていた。ネオダダの流れを汲む田中の絵画論は、本当に面白かった。
〈私たちは言葉で考える「思考」を行っている。そうではなく、目で考えるという「視考」を行うべきだ。言葉でじっと考えるのでなく、目で視考するのだ。対象に寄り添って共有をするのだ〉
このメッセージを聞き、「臨床の知とは何か」という岩波新書を思い出した。対象の分析ではなく、対象を共有していく態度の重要性を謳った本であった。
このVTRを見るだけでも、竹橋まで来た甲斐があったように思う。
『脱学校化の可能性』「解説」より。
『脱学校化の可能性』「解説」より。
「近代文明と人間に対するラディカルな問いかけ」をする人々が1960年代後半から1970年代初頭に現れてくる。
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「この時期にはまた『脱学校化』を唱える人々と共に,様々な学校批判と改革を主張する一群の人々があらわれた」(197頁)
「このようなラディカルズと呼ばれる人々をデイヴィッド・ハーグリーブズは脱学校論者(Deschooler)と新ロマン主義者(New Romantics)とに分類している」(197頁)
脱学校論者:「教育制度と社会を根本的に批判し、ラディカルな代案の構想を提案している人々」「彼らの主な仕事は、社会の構造の中における教育の構造についてであり、学校の廃止を主張し、教育は特定の教育制度の仕事であることをやめ、かわりに社会の様々な部門に拡散される」
「イヴァン・イリッチ、エヴァレット・ライマー、パウロ・フレイレ、等」
「長期的で幅広い展望」「学校ばかりではなく社会の変革」(分析の焦点)
新ロマン主義者:「現在の教育の実践には非常に批判的ではあるが、学校にかわるラディカルな代案よりも改革を主張する。彼らの主な関心は、カリキュラム内容の再構成や教育の性格の再規定であり、その分析は、ほとんどミクロな社会学的レベルあるいは社会心理学的レベルである」「脱学校論者の学校診断を受け容れているが、教師や学校そのものを攻撃しているのではなく、教育制度内改革を目ざしている」
「ハーバート・コール、ニール・ポーストマン、初期のジョン・ホールト、カール・ロジャース、オンタリオ教育研究所の人々や、さかのぼれば、サマーヒルのニール、フリーデンバーグ、コゾル等」(198頁)
「短期的(展望)」「焦点は教室の中」(分析の焦点)
*ポール・グッドマンは、脱学校論者、新ロマン主義者「双方のグループの父と言われている」(199頁)
プロ論
やる気がない時の対象法を私は知りたい。
やる気は無理に出すものではないが、やる気のないものは大体の場合、やる気のあるものに入れ替えられてしまう。
やる気を出す。これは難しい。
プロは最低のコンディションでも、お金をもらえるくらいのパフォーマンスを出来る人のことを言う。どんなときでも要求される水準以上の働きをしなければ、プロではないのだ。
やる気を出すよりも、「プロになる」ことを考え、修行せよ。やる気がなくても、要求する仕事をするのだ。この自覚を忘れてはならない。
幸せになれないのも芸のうち。
古来より芸術は「ハッピーな人」によって担われてきたわけではない。むしろ逆である。「アヴァンギャルド」とはいい言葉であるが、周囲より「変人」・「風変わり」・「可哀想」と思われてきた側面が強い。今でさえ、アヴァンギャルドつまり前衛芸術家は「アンタたち、そんな変な絵を描いてて何が楽しいの?」という視点に絶えず晒されている。一昔前のアングラ演劇も、全く差別されない芸術だった、といえば嘘になる。
現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。
ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
幸せになれないのも芸のうち。
組織に馴染めないのも一種の才能。
私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。
しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。
飛べないテントウムシ
新聞に「世界初 飛べないテントウムシ」を遺伝子操作でつくり出した、というニュースが載っていた。
テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。
よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか?
残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。
参考:https://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722