ishidahajime

幸せになれないのも芸のうち。

 古来より芸術は「ハッピーな人」によって担われてきたわけではない。むしろ逆である。「アヴァンギャルド」とはいい言葉であるが、周囲より「変人」・「風変わり」・「可哀想」と思われてきた側面が強い。今でさえ、アヴァンギャルドつまり前衛芸術家は「アンタたち、そんな変な絵を描いてて何が楽しいの?」という視点に絶えず晒されている。一昔前のアングラ演劇も、全く差別されない芸術だった、といえば嘘になる。
 現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。

 ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
 幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
 ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
 ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
 
 ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
 
 幸せになれないのも芸のうち。
 組織に馴染めないのも一種の才能。

 私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。

 しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。

飛べないテントウムシ

 新聞に「世界初 飛べないテントウムシ」を遺伝子操作でつくり出した、というニュースが載っていた。

 テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。

 よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか? 

 残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
 科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
 教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。

参考:https://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722

山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』

 この本は恐ろしい本である。特に私のようにイリッチを卒論のテーマに掲げた人間にとっては。

 イリッチに師事した人物だからこそのイリッチ論。他のイリッチ論とはあまりに異なっている。

〈学校化〉が明確にされるとは、つまり「産業的生活様式」が明確になることであって、彼を〈脱学校論者〉として紹介や翻訳をするのは少なくとも本筋をはずれています。イリイチに「脱学校(post-schooling)を求めるのは、「イリイチ思想」の水準では確実に誤りです。(212頁)

 山本はイリッチのdeschoolingを「非学校」と呼ぶ。元々イリッチが言っているのは「非学校」であって、「脱学校」論ではない、ということである。私は強烈な誤解をしていた、ということだろうか。
 『教育思想事典』で森重雄は言っている。

脱学校化とは、冠辞がpostではなくdeであるのだから、厳密には「学校解体」と訳さなければならない。ところが1970年代は、社会学・社会科学において「脱工業化社会」(post industrial society)論が華やかなりし時分であったから、教育会もこれにあやかって「脱」と訳出したものと思われる。(88頁)

 要はブームだったから「脱学校」と訳してしまった。結果、イリッチの真意が伝わりにくくなってしまった、ということだ。翻訳者の責任は意外に大きい(けれど森は続けて「脱学校化という訳出は、学校化からの脱出という点で、はからずも正鵠を射た訳語である」と評価している)。

 卒論を書きつつ、山本の本は真剣に読み、論文の不備を直していきたい。

内田樹の、「学び」論

いつも私は内田樹「先生」のブログを拝見している。

ときたま、思わぬ発見がある(結構な確率で「これ、何のこと?」と自分の理解度の低さを嘆くが)。

卒論に使える題材が書かれていたので、コピーしておきたい。
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私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が破壊され尽くしたからである。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、 どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。

内田樹の研究室より。

追記
 諏訪哲二『間違いだらけの教育論』において、内田樹は批判の対象となっている。内田の言う「学び」は「真理」としての教育を説いているが、「真理」としての教育を発動させるにはまず「啓蒙」の教育を行う必要性があるのだ、と。
 「啓蒙」の教育の後、「文化」の教育、「真理」の教育に段々とすすんでいく。肝心なのは、なまみの人間は「学ぶ」必要性を実感しないということである。この「学び」を発動させるための仕組みが「啓蒙」の教育なのだと諏訪は語っているのである。

いろんな「学校化」。

いろんな「学校化schooling」論。

まず山本哲士から。

学習や教育が学校に独占され、学校を通じて学習・教育が生産され価値あるものとなる「産業的生産様式」の典型。「学校」という形態とは区別されるべき、生産様式が「学校化」であり、学校の視えない働きとなっている。教育が制度化されて学校化が構成される。学校化に対抗するものが「非学校化deschooling」で、聖なる学校から教育を世俗化することを意味する。(『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、17頁)

 山本はイリッチの脱学校化を「非学校化」と呼んでいる点に注意したい。

次は、『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(楠本恭之)から。

イリイチが問題とする「学校化」とは、こうした「学校」への、子どもをはじめとして、社会までもの、いわゆる「囲い込み」を意味する。彼は、『脱学校の社会』のなかで、「学校は教育に利用できる資金、人および善意を専有するだけでなく、学校以外の他の社会制度に対しては教育の仕事に手を出すことを思いとどまらせてしまう。労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校に任せてしまう」ことを問題とするのである。(187頁)

 前半に注目。宮台真司のいう「学校化」は、〈学校的価値が社会に吹き出す〉ことであった。イリッチの定義は反対に、学校への「囲い込み」を意味している。まあ、結果的にはよく似たことを言ってるような気もするが…。

 続ける。

イリイチの『脱学校の社会』という指摘は、こうした意識のもとに、社会の「脱」学校化を進め、自発的な「学びのための網の目」を、社会のいたるところに張りめぐらすことを考えたものであった。彼が意図したのは、単なる「学校廃止論」ではなく、人間と環境との間に新たに教育的関係をつくりだすことであった。したがって、われわれが「学校化する社会」において留意しなければならないのは、「ポスト『脱学校の社会』」として、あらためてイリイチを見直すことである。(189頁)

 
 最後は『教育思想事典』(教育思想研究会編)の「学校化」(森重雄)から。

ちなみに、イリイチ自身はのちに、学校化概念は、(中略)学校や教育による人間精神の去勢の指摘にもとづく人間精神の全面的疲弊・汚染に対する警告であったと述べている。(88頁)

真の教育は学校というレイアウトではけっして行うことができず、イリイチのいう、脱学校型の「学習のためのネットワーク」のもとにはじめて可能になる、と考えられていた。この学習のためのネットワークとは、ある知識を必要とする人とその知識を提供できる人をアドホックに結合することであり、それはコンピュータ・ネットワークにもとづくデータベース構築というテクノインフラによって可能となる。ここでは固定的な教師―生徒関係は生まれないし、出来合いの知識パッケージを必要な知識であると思いこまされることもない(石田注 要はこれは「価値の制度化」ということ)。これによって真の意味での教育が可能になるとイリイチは考え、これが真の教育を可能にする脱学校化の具体的な姿であるとして提唱したのである。(89頁)

 ずーっと打ち込みをしていると、手が疲れるし、眠くなる。
 先輩のOさんによれば、学者とは論文の「職人」であるという。
 ひょっとすると、テニス選手が素振りをするように、大工さんが鉋を磨くように、学者が空き時間に資料をキーボードで打つのも、一種の「職人ステータス」といえるのかもしれない。
 キーボードを叩くことを、「学問してる!」と誤解すること。学問的価値の制度化、といえるかもね。

余談
●通信教育の大学では夏場、「スクーリング」が行われる。直訳すると、「学校化」。いままでは家で学んでいたために学校へ取り込まれなくて済んだものを「学校化」させるイベント。うーん、恐ろしい。

ジョン・ホルトを探れ!

 卒論を書き始める。このブログに書いた内容を継ぎはぎするだけで、もう2万字になった。あと1万2000字。8月中に終りそうな気がしてきた。

 まとめるにあたって、イリッチ以外の脱学校論者を知る必要が出てきた。
 というわけで、今日はジョン・ホルトについてを書いておきたい。

 タネ本は金子茂・三笠乙彦編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)の「子ども その権利と責任」(佐藤郡衛、222頁〜)より。

1970年代にはイリイッチやライマーらの強い影響を受け脱学校論に深い共感を示すようになり、脱学校論という視点から次々に論文を発表していく。(223頁)

ホルトは他の脱学校論者と異なり、学校の存続を認めており、子どもが学校へ行くにせよ、行かないにせよ、その選択を子ども自身がすることを提唱している。彼の主張の根底には、子ども中心の思想が流れている。(222頁)

 お、出ました「子ども中心」との言葉。良さげな学者ではないか。

ホルトの子ども観はきわめて明確である。子どもを一人の人間として大人と変わらないように認めてやること、大人よりもあらゆる面で劣っているという見方を改めることである。(223頁)

子どもは大人からすべて与えられたり、押し付けられたりして、自ら決定できる範囲がきわめて少ない。このため、子どもが自分の行動に対して、自ら選択できる範囲を広げてやることが必要である。つまり、大人のいっさいの「管理」を拒否し、自由の回復をはかることをめざしているのである。(225頁)

子どもに対する「教育」から子ども自身による「学習」へと、言葉を変えれば「管理」から「自由」の教育へという発想の転換をはかろうとするものである。(224頁)

 神戸フリースクールの設立者が面白いことを言っていた。
「ボクは普通の学校の子って、ブロイワーやと思うんやね。そやけどフリースクールの子は地鶏や」。
 ブロイワーは与えられたエサだけを食べる。他に興味も何もない。というか、よそ見をしないことが求められる。
 地鶏は自分の力でエサを探す。与えられるエサだけでなく、土を掘って虫やミミズも食す。どちらがたくましく育つか、言うまでもない。

決意と持続の関係性。

 サークルで、なかなか青っぽい話をした。いま早稲田にいる意味は何か? 自分は将来、どのように生きていくことが正しいのか? なにを今決意して、社会に出るべきか?

 「青っぽい」というのは、青年っぽい、ということだ。現実を見据えないからこそ、言えることでもある。江川達也のいわく「世の中の人は、これほどまで自分のことしか考えないのかと知った」。しょせん人は、色と欲。言ってしまえばそれまでだ。

 しかし、「あえて言う」ことに意義がある。あえて、自分の将来についてを話し合うことに意味があるのだ。
 
 一通り話し終わった後、私は発言した。
「いま言った話を、40年経っても自覚できるかどうかが大事なんじゃないか」
 まわりが静まった。「持続」こそが難しいのである。

 決意を持続するのどうやればよいのだろう? そこでは語らなかったが、ここで書いてみることにする。
 
 決意とは、持続しないからこそ決意なのである。三日坊主に終る人間は、「次こそは、絶対挫折しない」といくら強く決意しても、やはりすぐに挫折する。
 挫折するからと言って、「挫折しないように強く強く決意する」ということで対応するのは切りがない。
 学校現場で言われる「心の理解」も同じこと。子どもの行動をわかってあげられなかった、「もっと心を理解しよう」。やっぱり駄目だった、「もっと心を理解しよう」。無限ループである。

 ではどうするか? 「挫折しない」という決意をする前に、「決意は挫折するものだ」との認識から入ればいいのである。それから、「挫折しかけた時に、再び決意する方法」を考えれば良いのだ。その方法は人それぞれ。気のいい仲間から励ましてもらったり(「恋人」だとなおグッド)、毎朝新たに決意したりするのを習慣にしたりしたらいい。

 重要なのは、「そもそも決意は挫折するものだ」と諦めて認識し直すことである。世の中の「無限ループ」を解除する方法は、「そもそも無理なのだ」とあきらめることから始めるべきだ。
 「心の理解」なら、「心の理解なんて、完全に行うことは出来ない」と諦めることだ。「心の理解は出来ないけど、その子どものためになる授業をしたい」などと認識し直すことである。

 無理なことは、無理だと気づくこと。いい意味の「あきらめ」が必要である。
 先週も、バイト先でタイムカードを押し忘れてしまった私。「もう押し忘れない」と決意する前に、手帳に「タイムカード」と書いておくことにしよう。

「学校化」された私。

 何故だろうか。

 どんなに努力をしても、どんなに「考え方を変えよう」と意識しても、自分の学歴主義を打ち消すことができない。

 今日も、本屋で『東大式 絶対情報学』との本を無意識で購入していた。「東大」という言葉に、まだ体が反応してしまう。

 早稲田大学生は、「東大を諦めた」組が多い。「負け組」認識をもっている側面もある。だから無意識のうちに、「東大」の名に反応してしまう。

 フリースクールやオルタナティブスクールに心惹かれながらも、「東大」というブランド・学歴信仰から逃れられていないのが私である。

 社会学者・宮台真司の「学校化」定義。《家や地域までもが学校的価値で一元化されることを私は「学校化」と呼びます》(『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』281頁)。私の頭の中も、「学校化」されてしまっている。

 卒業論文を書く段になって、自分がいかに「学校化」された存在であるか、実感するようになった。
 
 中学では、私は「優等生」であった。優等生特有の「優等生シンドローム」も発症していた。教員の質問に、真っ先に答える能力。言われたことを、疑わずに実行する力。
 高校に入って、状況が変わる。周りは自分以上の優等生ばかり。中学と同じやり方では太刀打ちできない。私は、中学のとき以上に「優等生」になろうと決意した。
 わが母校では勉強ができること以上に、高校の創立の精神を求めていることが重要視されていた。今の時代、珍しい学校である。校歌を歌い、「真の学園生とはどのような生徒か」真剣に語り合う。無理をしてでも、学問と「精神面」を鍛えようと決意した。「俺はすごいんだ!」と言いたくて、生徒会にも入った。翌年には生徒会長に。けれど、母校では生徒会長の権限は行事の実行委員会よりも小さく、意気消沈。「何のために生徒会はあるのだッ!」と、埃っぽい生徒会室で泣き叫んだ日々もあった。 
 生徒会での自己実現を諦め、受験勉強で「俺は勝った!」と言おうと思い立つ。ちょうどその頃、クラスから見放される事件が起こり、ますます受験に専念した。休み時間は耳栓を付けた。昼食は一人で菓子パンをかじった。他者と折り合わないために。けれど、受験は第五志望にしか受からなかった。
 結局、私は「優等生」になることが出来なかった。中学以来の「優等生気質」はありながら、「優等生」にはなれない。悔しさと、惨めさ。高校の卒業文集に映った顔写真。私だけが笑っていない。
 結果的に悟ったのは、人と比べてもどうにもならないということ。けれど、「人と比べる」ことを私の身体に刻み込んだのは、学校ではなかったか。学校のシステム自体が、人と比べることを要求している。私はそのシステムに、すっかり「学校化」されてしまった。今もこの傾向は残っている。「東大」という言葉への、無意識的反応がそれである。

 ひょっとすると、私がフリースクールや脱学校論に関心を持つのも、「学校化」の成せる技ではないだろうか? つまり、東大に行けなかったという私のルサンチマン(恨み)が、学歴主義に反するフリースクールに心惹かれるきっかけとなっているのではないか、と思うのである。

 ただ、自分がいかに「学校化」された存在であるか、気づけたことだけでも、大学に行った意味があったように思う。早稲田の教育学部に行かなければ(もっといえば、脱学校論についてをK先生の授業で聴かなければ)、このことを自己認識することはなかったであろう。
 人生は、誠に奇妙なことである。第一志望に行くことだけが、幸福なのではない。私にとって、早稲田の教育学部は第五志望。夏に諦めた東大を入れるなら、実に第六志望となる。

 …自称「三流エリート」、石田一のモノローグでした。
 

*宮台真司『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』朝日文庫、2002年。

卒業論文レイアウト。

何度も変遷しているが、卒論の概要は次のようにしたいと思う。

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題目:イリッチ『脱学校の社会』の現代的意義の考察(「学校化」「脱学校」「価値の制度化」「ラーニング・ウェッブ」の定義の考察)


序論:『脱学校の社会』特有のキーワードを探る。

本論:イリッチ『脱学校の社会』を読み解く。
イリッチが本書を書いた理由は何か?
  ライマー、ホルトなどの影響。
  「価値の制度化」への批判
価値の制度化とは何か?
  価値観の転倒する社会
学校化とは何か?
  「学校化」という言葉をめぐる混乱
     宮台真司・上野千鶴子の「学校化」とイリッチの「学校化」の違い
       学校的価値が吹き出す社会(宮台)
       学びが制度化する(イリッチ)
ラーニングウェッブとは何か?
  イリッチの描くラーニングウェッブ像
  ブログ空間によって、ラーニングウェッブは構築可能か?
イリッチのフリースクール観
  フリースクールを否定的にみるイリッチ。
  「脱学校」とフリースクールはイコールではない。
  フリースクール論はニイルに求めよ。

結論:『脱学校の社会』から何が見えてくるか。
「価値の制度化」が起きていないかを常に確認せよ。
ウェブ時代におけるイリッチ再考の必要性。
今後の課題
  イリッチの思想の変遷を探る
  フレイレとの出会いの前後の変遷。
  ニイル思想の研究の必要性。

参考文献

フリースクールにおける、ミーティングの意義。

 クロンララスクールは東京シューレが交流を行っている、アメリカのフリースクールである。『フリースクールとはなにか』によると、「クロンララスクールは、設立が古いということだけでなく、さまざまな機会をとらえて子どもが中心の教育の大切さを説いてきており、フリースクールとしてもホームエジュケーション運動の拠点としてもアメリカのリーダー的存在の一つである」(42頁)と紹介されている。
 クロンララの活動の鍵となるのは、ミーティングである。再び、『フリースクールとはなにか』より引用する。

クロンララの活動はミーティングで話し合って決められている。子どもとスタッフが対等のクロンララでは、ミーティングでもそれは同じである。子どもの提案もスタッフの提案と同じように扱われるし、決を採るときは、子どももスタッフも同じ一票をもっている。そればかりではない。スタッフの採用も、子どもたちがほかのスタッフと話し合って決めるのだ。スタッフの希望者は、子どもと前からいるスタッフのインタビューを受け、何日かクロンララで過ごしたあとで、子どもとスタッフのミーティングで話し合って決められる。(『フリースクールとはなにか』、43~44頁)

 『超・学校』で紹介されたサドベリーバレースクールにも、同じような記述があった。子どもとスタッフは同じ1票を持つということ、スタッフの人事に子どもも加わって話し合うことなど、共通点が多い。
 東京シューレでは活動を話し合う、というレベルでミーティングが重視されている。けれどスタッフの人事まで話し合うということはない。
 直接民主制を成立させるかのように、フリースクールではミーティングが重視されているようだ。