書評

内田樹に読んで、読まれて。

「この人しかいない!」
そんな作家に出会ったとき、私はその人の書を貪り読む。自分にとっての「バーチャル師」(内田樹ならこういいますね)を見つけたときである。

見つけたならば、ほぼ毎日のようにその人の本を読みあさる。そのうちに、「同じことを何度も言うのだな」と感じてくる。おそらく、私の脳内に「バーチャル師」が居座り始めるのだろう。

齋藤孝に始まり、野口悠紀夫(以上、大学2年生まで)・灰谷健次郎(大学3年生まで。しかし灰谷の本はかなり読んだものだ)・そして内田樹(現在進行形)に行き着いた。

内田との出会いは『寝ながら学べる構造主義』。あざやかな説明に感銘し、自分も文章を書いた(『高校生と語るポストモダン』)。ほとんど内田の受け売りに終った観もある。

私はさきほど『子どもは判ってくれない』(文集文庫)を読み終えた。いささかの衒学趣味(やたらにカタカナ言葉を使うのは、内田の嫌う石原都知事と同じニオイを感じてしまう)を我慢しながらではあるが。

この本からのメッセージは要言すれば次の二つの命題に帰しうるであろう。
一つは、「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。
いま一つは、「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多いい)」。(pp329~330)

ちなみに、私の所蔵する内田作品は下の通りである。市場に出てるくらいは全て読んでしまいたいと思う。内田の文章は彼のブログ『内田樹の研究室』に死ぬほど書かれているのだ。市場に出ていない彼の文章すらある。

『寝ながら学べる構造主義』(三読)
『先生はえらい』(二読)
『街場の教育論』(二読)
『大人は愉しい』(一読)
『子どもは判ってくれない』(一読)
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(一読)
『知に働けば蔵が建つ』(一読)
『私の身体は頭がいい』(挑戦中)
『狼少年のパラドクス』(一読)
『こんな日本でよかったね』(一読)
『下流思考』(一読)

追記
●このブログのようにやたら( )でツッコミを入れるのも、内田樹が書籍でやっていることの受け売りである。
●『街場の教育論』を手に取ったのは『R25』に内田のインタビューが掲載されていたからだ。そこから、次々と内田「先生」の本を読むようになっていたのである。
●そのうち、内田樹論を書こう。「師弟論」の観点から。

刈谷剛彦『学校って何だろう 教育の社会学入門』

 いい学校に入学できたのは、自分が一生懸命受験勉強をしたせいだけではありません。受験勉強が許される境遇にあったことも、学校での勉強で有利になる家庭に育ったことも、見えないところで貢献しているのです。
 ところが、個人の努力が強調される日本の社会では、どんな家庭に生まれたかではなく、自分がどれだけがんばったのかが、成功のもとだと考えられています。それだけ、自分の成功を自分だけのものだと考えやすいのです。しかし、実際には、どんな家庭に生まれたかが、学校での成功にある程度影響しています。(pp218~219)

 松下幸之助は例外にすぎない。予備校教師で人気の吉野氏も、例外である。ほとんどは①大学に行くのが当然視される環境で、②周囲にも大学にいくことの賛同を受けていて、③塾や予備校・参考書代を捻出する経済的余裕があり、④勉強しやすい環境が整備されている、という条件に適う者のみがいわゆる一流大学に合格するのだ。「自分は実力でいまの立場(一流大学卒の学歴)を手に入れたのだ」と。
 
 「ブスとバカほど東大に行け!」で有名な漫画・『ドラゴン桜』。主人公の高校生男女二人は、いきなり現れた弁護士に「お前を俺が東大に行かせてやる!」と言われその気になった(①の要件)。友人や家族・教員からそれなりに期待されはじめ(②)、「最強」の講師と参考書などは用意され(③)、特進クラスのため少人数授業プラス学習室にもなる教室を整備された(④)。ある意味、「受かりやすい」環境に身を置くところから東大合格の戦いは始まったのである。東大合格を勝ち取ったとき、本人たちの努力もそうだが「環境整備」ということも合格の要因となるであろう。

補足
 ①について。和田秀樹は『受験は要領』のなかで、母校・灘高校の話をする。灘の連中は「ぜったい、無理だろ」というような人も東大を受験する。東大を受けるのが当然の環境にある。だからこそ臆することなく受験し、合格していく、と。

パラシュート学習

野口悠紀夫は『超 勉強法』でパラシュート学習について言っていた。
百科事典で分からないものをどんどん調べていくという学習。今やっているところからとりあえず学習し、どんどん先に進んでいく。分からなければ振り返るのではなく、先に行くと分かるようになる、ということだ。

いま、私は東大大学院の過去問をネットで調べつつ解いているところだ。インターネットの活用。現代版のパラシュート学習だ。

神前悠太ほか『学歴ロンダリング』(2008年、光文社ペーパーバックス)

 『ドラゴン桜』では、「バカとブスこそ’東大’へ行け!」と力説いていた。
 本書では、この言葉をパロディにして、「バカ」と「ブス」そして「人生の負け組」こそ、’東大大学院’へ行け! と力説したい!(p11)

 この本は恐ろしい本である。「東大大学院は入りやすい!」を何度もいうことで「大学院で学歴を’東大’という最高のブランドに変えよう」と提言する。東大などの諸大学院が「大学院重点化」という失策を行っていることを逆手にとっての提言である分、ラディカルながら本書は大学院政策のあり方を読者に訴えかけるものとなっている。
 本書の白眉は「どうやればカンタンに東大大学院に行けるか」という箇所ではない。東大の傲慢さを徹底的に批判するChapter 8が肝心なのである。

はっきり言って、大学院の定員数の急激な拡大は、単純に大学の予算拡大を狙って行われたものです。学問の発展や社会の要請、果ては人材の育成云々と言った理由はまったくの建前です。
 少子化に伴って自然減少していくことが明白な学生数を、一時的に増大させるのに最も効果的な方法は、定員の拡大です。
 大学院の定員の拡大は、学部の定員をまったく増やすことなく大学全体の定員を拡大させる魔法でした。なにしろ大学院は大学とは「別」なのですから。
 この戦略を真っ先に実行したのが東大法学部です。
(中略)
 東大は、日本の大学の中では絶対的な存在なのです。そうであるからこそ、東大が改革を行えば、必ず他大学も改革せざるをえない事態になるのです。(p323)

 ところで『新・大学教授になる方法』という本がある。この本には「10年間の無収入時代を耐えることができれば大学教授になれる」ことを謡っている。『新・大学教授になる方法』と『学歴ロンダリング』は同じ事実を肯定的/否定的に評価しているだけなのだ。『新・大学教授になる方法』は「しばらく食えないけれど、耐えれば大丈夫」といい、『学歴ロンダリング』は「食えない期間は非常にキツい」ことを言っている本なのである。厳密には書かれた時期の問題でポスドク問題などの現代特有の問題が起きており、『新・大学教授になる方法』はポスドク問題などには対応していない。その点での問題点はあるようだが、基本的に研究者という生き方は「若いうちは食えない」ものなのであろう。

 私は幸運にも、文系の中では比較的就職率の高い教育学を先行している。これはいざとなったら「教員」というカードを切れるということが大きいようだ。看護学校の必須科目でも「教育学」の授業があるなど、「教育」分野には潜在的需要が存在しているのだ。ありがたいと言ったらありがたい話である。
 
 この本を読み、人生プランについて改めて考えてみた。「修士にいくのはお勧め。でも博士課程はやめといた方がいい」とのメッセージを受け、「本当に俺は博士課程にいくべきなのだろうか?」と思ったからである。
 いろいろあって、最終的な結論として、

①修士課程は行く。できれば東大。
②修士を終えたら、一度社会に出る。それは教員や出版関係である。
③働きながら社会人枠で博士課程に入る。

 こういうルートを考えていないと、研究者として生きていけない。博士課程卒は食えないからだ。
 それにしてもニコニコ動画「創作童話 博士が100人いる村」のラストシーンは印象的だった。

内田樹『街場の教育論』

 まず、師弟についての部分から。内田は師弟関係の重要性を繰り返し説明する特異な学者である。かなりカタカナ言葉を使い、衒学的なところはあるのだが…。

 

不思議な話ですけれど、レヴィナスが「レヴィナス哲学」の語り手になるためには師に出会う必要があった。けれども、レヴィナスがその師から教わったのは、哲学ではなくて、ユダヤ教の経典であるタルムードの、それも「アガダー」と呼ばれる一領域についての解釈の仕方だけだったのです。つまり、レヴィナスの知的可能性を開花させたのは、師から「教わったこと」ではなくて、「師を持ったこと」という事実そのものだったということです。
 「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、師に教わった知的「コンテンツ」ではありません。「私には師がいる」という事実そのものなのです。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことです。
 
 ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。「自分で設定した限界」を超えるのです。「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発現を阻んでいるもののことではありません。そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくります。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価は謙遜しているように見えて、実は自分の「自己評価の客観性」をずいぶん高く設定しています。自分の自分を見る眼は、他人が自分を見る眼よりもずっと正確である、と。そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と言い張ります。でも、いったい何を根拠に「私の自己評価の方があなたからの外部評価よりも厳正である」と言いえるのか。これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません。それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、いっそう悪質なものになりかねません。
 ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。(pp154~156)

→非常に感銘を受けた箇所である。こんな場所が、『街場の教育論』にはあふれている。
 他にも、こんなものがある。

 最初に、次のことだけをみなさんと合意しておきたいと思います。
(1)教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることができない。
(2)それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容なものになりがちである(私たちがなす議論も含めて)。
(3)教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。その制度の瑕疵は、「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない。
(4)教育改革の主体は教師たちが担うしかない。人間は批判され、査定され、制約されることでそのパフォーマンスを向上するものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障されることでオーバーアチーブを果たすものである。
 ざっとこれくらいのことを教育論の前提としてご了承いただければ、と思います。(pp21~22)

→不毛な教育論を回避するための前提作り。たしかに重要なことだ。なお、オーバーアチーブについて、は以下の説明を見ていただきたい。東洋経済オンラインマガジンより。

「オーバーアチーブ」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、「overachieve」すなわち「期待以上の成果をあげる」という意味です。
 私たちは通常、さまざまな「期待」に囲まれながら働いています。上司の期待、取引先の期待、お客様の期待……。それが「ノルマ」という形をとることもあれば、「希望」止まりの場合もありますが、いずれにせよ仕事をしている限り、周囲の期待と無縁でいることはできません。
  だからもしあなたが、「期待以下」の仕事をしてしまえば、それは問題でしょう。「書類を3日で仕上げるように」と言われたのに、もし締め切りを過ぎてしま えば、それは「期待以下」の仕事です。言われたこと、期待されたこともろくにできない、三流の人材ということになってしまいます。

他に気に入った箇所を引用していく。

「学び」というのは自分には理解できない「高み」にいる人に呼び寄せられて、その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行します。(p59)

教師というのは、生徒をみつめてはいけない。生徒を操作しようとしてはいけない。そうではなくて、教師自身が「学ぶ」とはどういうことかを身を以て示す。それしかないと私は思います。
「学ぶ」仕方は、現に「学んでいる」人からしか学ぶことができない。教える立場にあるもの自信が今この瞬間も学びつつある、学びの当事者であるということがなければ、子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができません。これは「操作する主体」と「操作される対象」という二項関係とはずいぶん趣の違うもののように思います。(p142)

人間は自分が学びたいことしか学びません。自分が学べることしか学びません。自分が学びたいと思ったときにしか学びません。
 ですから、教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけです。「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけです。そして、そのためには教師自身が、「外部の知」に対する激しい欲望に灼かれていることが必要である。(p158)

すべての人間的資質は葛藤を通じて成熟する。これは経験的にたしかなことです。あらゆる感情は葛藤を通じて深まる。(p252)

→このために、教員は葛藤を子どもに生じさせる役割をもっている、と内田はまとめている。

この本は、「学校の先生たちが元気になる」ことを目的に書かれた本である。読んでみると、他の教育論とは毛色が違って面白い。

村上陽一郎『新しい科学論』(講談社ブルーバックス、1979年)

古い本である。しかし、手元のものを見ると2008年5月に
43版が出ている。驚異的な本だ。

ある時代、ある社会のなかである考え方が有力な底流を形成しているとき、
それは、その社会共同体のメンバーたちに共通の、広い前提になるわけです
し、そうした共通の前提の上にたつ限り、多くの人びとが、その前提と構造
的同型性や意味の連関性をもつような同一の理論に、独立に到達することは、
ある意味では当然のことになりましょう。(195頁)

村上は、科学は「中立性」や「客観性」をもつという考え方を「科学につい
ての常識的な考え方」であるという。
そして「新しい科学観」を提示していく。それは’そもそも科学に中立性や
客観性というものはない’ことを形をかえて主張していくのである。
そもそも近代科学の父であるニュートンもキリスト教に基づいて、
キリスト教の見方(偏見)にしたがって研究を進めたのだから。

要するに、現代の科学は、その長所も欠点も、わたくしども自身のもって
いる価値観やものの考え方の関数として存在していることを自覚すること
から、わたくしどもは出発すべきではないでしょうか。今日の自然科学は、
今日のわたくしども人間存在の様態を映し出す鏡なのです。今日の科学者の
考えていることは、わたくしどもの時代、わたくしどもの社会の考えている
ことの、ある拡大投影にほからないのです。(201頁)

この本、1979年時点では斬新な本であっただろう。けれど、ここに書か
れた「新しい科学観」はある意味の「常識」となってしまっている。
科学の中立性について何かを言うのは高校の教員くらいであろう。
学校での科学教育は今だ村上の言う「常識的な考え方」に縛られている
ようだ。

佐藤学『教育改革をデザインする』(岩波書店、2000年)

佐藤学『教育改革をデザインする』(岩波書店、2000年)

不登校の問題については、いくつものよじれが質されなければならない。まず義務教育と言っても、子どもが学校に行く義務を負っているわけではない。親が子どもを学校に通学させる義務を追っているのであって、子どもは学習する権利をもっているだけである。したがって、アメリカなどでは、不登校が生じた場合には、まず親の責任が問われ、それでも解決されない場合には、子どもの学習権を保証するために、家庭を訪問して公教育を保障する教師が派遣されることになる。
 しかし、わが国では、不登校の子どもは病的な子どもとして扱われ、カウンセリングが施されている。さらに中教審の答申は、不登校の子どものために中学校の修了を認める認定試験を実施することを提言している。さらに文部省は大検によって義務教育を受けなくても大学に入学できる措置を導入した。本末転倒である。行政に必要なことは、学校に行けない子どもに対する学習権の保証であって、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。(中略)しかし、公教育の原理において行うべき対処は、学校に行けない子どもたちの学習権の保証である。不登校という行為は病的な現象ではないし、カウンセラーが対処すべき事柄でもない。(33頁)

→フリースクールの子は学校で学ぶことにそれほどの価値をおかない。「学ばなくてもいい」という指摘もある。佐藤は「学ばせる」ことを重視している。

チャーター・スクールは、成功した場合において、むしろ弊害は大きい。日本人にはほとんど認識されていないことだが、学校選択の自由は、アメリカ社会においては人種差別・階層差別と密接に結びついている。公民権法(1963年)の制定後、表立って学校における人種隔離の要求を提出することは法律違反となった。公民権法制定以後、黒人やヒスパニックや低所得者層の子どもと同じ学校で学ばせることを嫌う親たちが掲げたのが「学校選択の自由」の主張であった。この事情はアメリカ人には暗黙の常識なのだが、日本人によるチャーター・スクールの紹介においては、まったく無視されている。実際、チャーター・スクールの多数は、人種差別・階層差別を基盤として成立している。(中略)近年、日本においても学校選択の自由について活発に議論され、チャーター・スクールへの期待が高まっている根底には、アメリカと同質の「あの子たちとは一緒の学校にやりたくない」という差別の欲望を見ることができる。日本の社会も文化の階級差と階層差を拡大している。文化の階級差と階層差を基盤とする教育意識における私事化の進行が、学校選択の自由への関心をよび、チャーター・スクールへの期待を呼んでいる事実を認識することができる。(pp44~45)

すべての子どもたちに自らの可能性に挑戦する自由を保障することである。教育改革の原理とすべき自由は、新自由主義者が主張するような選択の自由ではなく、学ぶ権利にもとづく挑戦の自由である。(167頁)

一般に教師は、成績のよい子どもが学業に失敗すると、本人の学び方や努力に原因を求めるが、成績のよくない子どもが学業に失敗すると家庭環境に原因を帰属しがちである。(170頁)

書評『要約世界文学全集Ⅰ』

書評『要約世界文学全集Ⅰ』

 高校の図書室にトルストイの『戦争と平和』全6巻が大きな場所を占めていた。長い。単調。隣においてあった『失われた時を求めて』も長過ぎて読む気が失せる。そんな時の大きな味方がこの『要約世界文学全集』だ。原作の長さに関係なく、一作品をたった13ページに収めている。それでいて原作の魅力をきちんと伝えている。サン=テグジュペリ『人間の大地』とカミュ『ペスト』には十分に引き込まれた。
 名著の要約。この言葉を聞いて、「安直だ」とか「それでは読んだことにならぬ」という批判が聞こえてきそうだ。批判者のこの言い分が表れたのはいつごろか? 大正時代からである。
 明治以前、よい文学には大体「普及版」・「要約版」があった。原作を分かりやすく縮訳した本があったのだ。大正時代にこの風潮は否定される。「原文で読まぬと意味がない」という原文主義が広まっていったのである(『使える!レファ本150選』)。
 原文主義は何をもたらしたのだろう? 作者オリジナルの物語を読むので、作者の肉声に迫ることができる。文体・リズムを味わうことができる。作者が本当に伝えようとしたかったことが分かる。利点ではこういった所だろうか。あらゆるものはコインの表裏。原文主義のデメリットも当然存在する。読むのに時間がかかる、あるいは原文を読むには相当な教養が必要である…、等など。文学は文化である。読者に読まれることで初めて価値が生じるのである。トルストイやドストエフスキーが苦労して書いた文化遺産を読むことで、読者の人間性や教養が高まっていく。しかし、原文主義を取ることは文化遺産を知識人のみに独占させることになる。原文は読みにくい。長い。難しい。「要約を読むのは安直だ」と主張することは現代に生きる多忙な読者から、文学文化を奪うことになる。
 大文豪の書いた文章はたとえ一部の抜粋や要約であっても、大きな文化性をもっているものだ。だからこそ「要約本」が価値をもつことになる。いま本屋に増えている[世界文学を漫画化した本]にも大きな意味合いがあるだろう。
 名作の「要約」や「漫画」では原作に及ばないのは当然である。しかし原文に入るきっかけになる。それ自体でも原作の文化性を人々に伝えるはたらきがある。文学を知識人から解放せよ。もっと(私を含めた)大衆に解放していくべきだ。この『要約世界文学全集』は出来がいい要約をおさめている。文化解放の一助となるであろう。

書評『どくとるマンボウ青春記』

書評『どくとるマンボウ青春記』

 旧制松本高校時代、北杜夫は寮にいた。布団ムシやストームなる伝統、「ゴンヅク」などドイツ語と信州弁をごっちゃにしたような用語の存在…。私も高校時代は寮生活だったので、寮内の奇習をいろいろと思い出せる。早朝ボウリング、食堂清掃時の奇妙な掛け声、何故か皆いる国分寺のゲームセンター…。旧制高校と新制高校という時代の違いはあれど、寮という物に何かしら共通点があるように思う。
 北杜夫の青春回想録がこの小さな文庫本である。前半と後半でトーンが全く違う本だ。懐かしく気恥ずかしい寮時代を描いた前半部は、「バンカラ」で「バーバリズム」あふれる寮生活が語られる。しかし寮を出て、一人暮らしを始めた後半部からは青春特有の憂鬱が表されている。《狂乱の寮生活にはそれなりの意義もありおもしろさもあったが、一年も経つといい加減、多人数の中の生活が嫌になる。殊に私はそのころ短歌のほかに詩作も始めていたので、一人きりの孤独の生活を望んだ(121頁)》。前半とは違い、孤独さ・陰鬱さが文章にあふれている。他者と騒ぐことよりも自己の内面に向き合うようになるのだ。静/動の対比が印象的であった。
 未だ20歳の私が「青春とは何ぞや」と語ることは出来ない。悟りきったことを言えるのは青春を終えてしまった中年たちである。けれど北杜夫の本を読んで分かるのは青春のもつ二面性である。
 昔読んだ児童向け文学に‘友人といるときは「一人になりたい」と思い、一人でいるときは「誰かと話したい」と思う’という矛盾した心理を描いている物があった。「そんな風に感じることはあるのだろうか」と当時は考えていたが、いまの私は「それは事実だ」と思うようになった。

 大学時代は人生の意味について考えることの出来る貴重な時期である。むやみに使うのはもったいないことだ。昨年は姜尚中の『悩む力』が流行った。北杜夫や姜尚中同様、青春の悩みから逃げずにとことんまで向き合うことが大切ではないか、と思った。

*一人暮らし時代の日記が215頁からしばらく引用されている。「瞬間、信号燈は青に変っていた。僕は立ちどまろうと思ったのに(235頁)」。私もよく日々思うことを書き留める。読んでいて、「俺もこういうこと、よく書いているぞ!」という発見があった。

書評:ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

書評:ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』*
読まないで本書の書評を書いてみようと思ったが、それはやめることにした。
この本はいわゆるハウツー本でも、トンデモ本でもない。れっきとした文学の本である。そもそも、『読んでいない』といっていながら、《読んだが忘れてしまった本》として著者自身の本を挙げている。
読んでいない本についてコメントしなければならないことは、意外にある。バイヤールはこの行為を否定的に見るのでなく、逆にポジティブに見ていくことを提唱しているのだ。

読んでいない本についての言説は、自伝に似て、自己弁護を目的とする個人的発言の域を超えて、このチャンスを活かすすべを心得ている者には、自己発見のための特権的空間を提供する。(中略)読んでいない本についての言及は、この自己発見の可能性をも超えて、われわれを創造的プロセスのただなかに置く。われわれをこのプロセスの本源に立ち返らせるのである。(213頁)

読書とは、もっと能動的であるべきだ。本を通じ、「みずから創作者になること」(217頁)をしてもいいのではないか。『読んでいない本について堂々と語る』時、頭の中で創作作用が始まる。「読んでいない本について語ることはまぎれもない創造の活動なのである。目立たないかもしれないが、社会的にこれより認知された活動と同じくらい立派な活動なのだ」(217頁)。それはまぎれもなく自分の思考であり、自分自身について語ることになるのだ。

本を読むという行為のために、逆に自分の考えがなくなってしまうことがある。読むことによって、本質が見えなくなることがあるのだ。書評を書くのも然りである。あまりにも読みすぎた本については、何も言えない。著者が何を意図しているか、考えすぎるとかえって何もかけなくなる。学問も同じである。一年生の頃、「教育学って、要はこんなものだ」と恐れ多くも言えていた。しかし、今は「教育学って、結局何なんだろう」と却って分からなくなっている。レポートを書くときにも感じる。あまりにも多くを調査すると、「先攻研究に書かれていないだろうか」と思い、なかなか書けなくなる。思えば不思議なことである。