意外に知られていない、裁判官たちの心情
書評 瀬木 比呂志『絶望の裁判所』
全国どこでも裁判所はあります。
「それなり」の都市であれば、離島にも裁判所はあります。
ですが、裁判官たちの日常や心情は意外に知る機会がありません。
「すごく頭のいい人」「真面目な人」
そんな思い込みくらいです。
この本はそんな裁判官たちの心情を「元・裁判官」として描き出したものです。
(1)閉鎖的な裁判官の世界
作者の言葉づかいがちょっと独特なので、
はじめはしっくり来ないと思います。
ですが、「裁判官」の人間性についての内容が非常に「面白く」なってくる本です。
・「和解」を勧め、「裁判」をしたがらない裁判官
・『それでもボクはやっていない』が誰にでも起こるという怖さ
・情実採用の多い最高裁判所の人事
まあ、こういう「閉鎖性」の高い組織にいると心を病む人が多いというのはよくわかります。
人事に汲々とする、視野の狭い器用な人が多い、との指摘です。
それを筆者は「魂の収容所群島」と呼んでいます。
(2)いじめの構造と同じ、裁判官の世界
この本は毎月札幌で行っている読書会で先日取り上げた本です。
その読書会の中で次回の本決めを行う際、内藤朝雄さんの『いじめの構造』も候補に上がりました。
『いじめの構造』は「なぜ、いじめが起こるか」を自身の経験と調査でまとめた本です。
いじめが起こる構造。
それは「中間集団全体主義」が成立する場所だ、と内藤さんは言います。
閉鎖的環境であり、その場所のメンバーの「空気」を察しあわなければならない社会。
メンバーという「中間集団」の意志が絶対。
だから、メンバーから「浮く」奴を徹底的に排除し、いじめ抜くのが「いじめ」の構造。
内藤さんはそうまとめます。
さらにそのメンバーか離脱する事ができなければ、いじめは長期化・深刻化します。
以前、私がブログで【通信制高校にいじめが起こりにくい理由】を書きました。
学校のクラスでメンバーが常に会うわけでなく、たまに会うだけなのが通信制高校。
そのため、「いじめ」ようと思っても顔を合わせるのが週2回だと「中間集団」の意志が絶対とならないのです。
おそらくですが、裁判官のいる世界も「中間集団全体主義」があるのでしょう。
最高裁判所という権威が絶対的にあり、
裁判官というメンバー(約3000人)での「空気」が「絶対」になる。
なおかつ裁判官を辞めてしまうと、収入が絶たれる。
だから、辞めるわけにはいけない(=いじめの長期化)。
ツラくも苦しくとも、裁判官というメンバーの「空気」を察しあわなければならないのです。
おまけに「最高裁判所」という権威が絶対的。
現代でありながら、「上司」にお追従・おべっかを使い「出世する」ことに皆が汲々とするのは時代錯誤の気もします。
そんな古くて流行らない組織を、「元裁判官」として書いた本が『絶望の裁判所』。
(3)本書の「残念」なところ
読み終えて思うのは「この著者とはきっとすごく仲良くなるか、すごく仲が悪くなるか、どっちかだな」ということ。
よく言うと個性的、わるく言うとアクの強い人。
本書が結局のところ、裁判所制度の問題点を付きながらも「裁判官ゴシップ集」の色が強いところがなんとも残念な本です。
〈司法試験のあとすぐに弁護士・検察官・裁判官の希望をとるのでなく、アメリカのように弁護士から裁判官に代われるという「法曹一元制」を実現すべきだ〉との主張は納得ですが。
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