2012年 2月 の投稿一覧

竹田青嗣, 2009, 『人間の未来−−ヘーゲル哲学と現代資本主義』ちくま新書。

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竹田青嗣, 2009, 『人間の未来−−ヘーゲル哲学と現代資本主義』ちくま新書。

 学部時代まで、私はイリイチをごく素朴に認識していた。
 いま、思想上の問題としてその傾向性を「精算」している。
 教育学関連でいえば、①「脱学校」といえば何らかの意味があった時代は1980年代に終わったこと、②いまは「学校」的でない「学校」実践が多く存在していること、③「脱学校」を超えた「再-学校」論とでも言うべき教育思想の構築が求められていること、④私自身がこの4月から教員として実践者となっていくことの4点が理由である。
 思想関連で言うと、①近代のすべてを否定する発想はもう時代遅れであるということ(ポストモダンも古くなった)、②反国家・反近代うんぬんの前に、皆が納得できる形での思想形成が求められていることの2点が理由である。
 イリイチ思想に染まった自分自身の精算が必要であるのは、端的にいえば竹田青嗣の著作および思想に触れたことがきっかけとなっている。イリイチは中世への回帰を訴えるばかりで、現実社会での実現可能な方策については各個人の「アンプラグ」を示す程度である。アンプラグとは、いわば現代の資本主義ゲームから自発的に「降りる」こと。「都市型狩猟採集生活」であったり、自給自足のライフスタイルを形成したりと、個人レベルでの運動にとどまる(いまの段階でもできることがある、という意味ではすごく好きな発想だ)。
 『人間の未来』は『人間的自由の条件』(2004)の続編。皆が納得できる形での社会設計の原理論を提示している。
 全部を紹介できるほど能力が高くないので、抜粋式に示す。

「「近代(市民)社会」の核心的理念は何かと問えば、社会から「暴力原理」を完全に排除し、これを純粋なルールゲームに変える試みだった、と答えるのがその本質をもっともよく表現する」(131)

「「国家」の本質は、なによりもまず普遍的暴力の制御という点にある。言いかえれば、一社会の共同的な自己防御ということが第一義である。どんな国家も一体的な「共同的幻想」を作り上げるが、それは本来「覇権の原理」が不安定であるために(それは最強者=王の原理だから、より強い者が現われれば現在の王の正当性は失われる)考えだされた、秩序安定のための工夫で合って、「一体性幻想」は国家の本質ではなく属性にすぎない」(162)
→国家は「暴力装置」である。しかし、これは「国家」がなければ存在した公的ルールに基づかない暴力・収奪を防ぐ働きがある。その側面をさしおいて国家の暴力性をのみ訴えるのはフェアではない。
「近代社会の根本理念は「自由の相互承認」にもとづく「普遍ルール社会」を目標とするところにあった」(272)
 本書ラストで著者は地球レベルにおいて「資源」の「希少性」による「普遍闘争」状態が起きる可能性を示す。その解決策として、国家レベルでの納得の行く資源配分のルールの措定を述べる。もはやポストモダン論を述べる時代ではなく、今後の社会を万人に「よい」社会とするために思想家・哲学者は智慧を集める時代である、という訴えである。
 読み間違いがあったらごめんなさい。

ネコ型人材の時代。

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ネコ型人材の時代。

ツリー状の時代において、イヌ型人材が求められた。

つまり、指示を忠実にこなす人材だ。
しかし、いまは時代が変わった。
大組織の時代ではなく、
少人数グループによるクリエイティブ能力の時代になった。
ネットワークを用い、
自分で仕事を作り、
自分で課題を見つけ、
自分の生き方を捜す
ネコ型人材の時代となった。
ネコは面倒くさがりである。
だからこそできるだけ無駄を省く。
ネコは気分屋である。
だからこそ自分が好きな事だけをやる。
自分の好きなことのプロフェッショナルである。
ネコはさみしがりやである。
だからいろんな場所に出入りし、いろんな人とネットワークを作る。
ネコは遊び好きである。
だからあちこちウロウロ、動き続けている。
私はネコ型人材になりたいと思う。
注 本内容はネコワーキングでの会話を基に構成しています。

ルドン展に行く。

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ルドン展に行く。

 友人の勧めで、丸の内の三菱一号館でやっている「ルドン展」にいった。

 ルドンをブリタニカ百科事典で引くと、次の通り。

フランスの画家,版画家。ボルドーで修業し,1871年パリに出る。 J.L.ジェロームや R.ブレダンの影響を受け,初期には単色のリトグラフ (石版画) で幻想的,神秘的な世界を生んだ。 S.マラルメ,J.K.ユイスマンス,E.A.ポーなど象徴主義作家の影響を受ける。 90年頃までもっぱら単色で制作したが,その後,夢幻的世界の効果を増すために色彩を採用し,文学的,神話的主題を華麗な幻想に高めた。晩年はパステル,水彩による作品を多く描き,特に花の絵でも名高い。世紀末の象徴主義者としてシュルレアリスムにも影響を与えた。主要作品はリトグラフ集『夢のなかで』 (1879) ,『ベニスの帆船』 (1906) ,『アネモネの花』 (08) 。


 ちなみに彼の自画像が下のもの。

 
ルドン(自画像,1904,個人蔵)

 展示の中では「初期」の「単色のリトグラフ」が興味深かった。
 目玉が画面中央に置かれ、危うい雰囲気を出している。
 危うい目玉が、ふわふわとした気球に描かれてもいた(タイトルは忘れた)。
 
 社会学と人類学と心理学の黎明期。そんなイメージを誘発する展示だった。

 たとえば「永遠を前にした男」はサルがヒトへと進化し、立ち上がる瞬間が描かれている。
 立ち上がるという「永遠の一瞬」が、今の我々に続いている。
 立ち上がることは文明の発展を招いたが、同時に人間の苦悩が招かれる結果にもなっている。
 そんなことも含めての「永遠を前にした男」なのだろうと思う。

 作品展の至る所に描かれた〈ダイスを背負った男〉のイメージは、
 運命を背負わされている人間の苦悩を感じる。