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映画『おじいさんと草原の小学校』 |
ある日(2004年)、ケニアにおいて、教育の無償化Free Educationが実現される。「すべての人に」教育を受ける権利がある、との宣伝文をもとに、地方の小学校にマルゲという老人がやってくるという物語である。実は彼がケニア独立の立役者、マウマウ団であったということがこの物語の鍵を握っている。
映画内で、何度も回想シーンが出てくる。イギリスからの独立にあたり、妻と子どもを殺されるシーンが繰り返される。その象徴たる大統領府からの「手紙」を読むために、マルゲは学校に入る。それには、自分の過去の苦しみの精算をしたい、との意志があったことだろう。過去を乗り越えるためには勉強が必要なのだと思う。
本作から思ったことは次の2点。
①教育の輝きと教育の持つ夢を再確認できた。別にマルゲは「一人」で学べばよかったのでなく、小学校的なコミュニティというか、公共圏の中での「学び」を志向していたように思える。
②Free Educationということが希望だった頃のことを観ることが出来た。
こんな「輝き」のあった教育も、一部の生徒にとっては「牢獄」や「不自由」の象徴になってしまう。マルゲが止めようとした子ども同士のいじめも、学校が重荷になる一つのきっかけとなった。
「学校」の持っていた輝きは、まさに自分たちが獲得した権利と認識された瞬間にのみ、存在するものなのかもしれない。それが制度化し、普遍的なもの・自明なものとなった瞬間に、「輝き」は失せるのだ。
イリイチを好む私のような人物は、学校の「輝き」を否定する。しかし、教育を受ける権利が体制側から勝ち取ってきたものであるという点は忘れてはならないであろうと思った。
さて、私はこの2日の間に、妙に似た映画を2本見ている。今日の『おじいさんと草原の小学校』、昨日の『かすかな光へ』である。『かすかな光へ』は教育学者・太田堯(おおた・あきら)のドキュメンタリーである。『おじいさんと草原の小学校』の主人公・マルゲは84歳で「学に志」した。太田堯は92歳の現在も教育サークルに関わったり、地元埼玉での環境教育活動や講演会・現場の見学などに余念がない。老いたとしても学ぶ態度を、自分も見習いたい、と強く思った。
最後に一点だけ。タイトルと違い、言うほど「草原」は出てこない映画である。
(神保町・岩波ホールにて)