2009.02.09 書くことだけが Tweet 書くことだけがお前を助ける。 これは卒論を書くということに留まらない。 書くことにより、気分が晴れ、自分の考えがまとまる。精神的にも助けてくれるのだ。 SNSでもご購読できます。 タグamazon education JCB U U理論 ひとつより、ふたつ コミュニケーション コーヒー サバイバル・キャリア シングル シンプルライフ ヒーロー ヒーローインタビュー ビブリオバトル ファシリテーション フレームワーク ブリッジマン ブログ マルチ メンタル レジリエンス 不安 仕組み 価値 働く 公共圏 化石 十勝コーヒー部 問題解決 市議会 帯広 平等 心 情報化社会 成功 暗黙知 気付き 無印良品 終わりなき日常 続ける 自由 読書会 起業 金銭 高校 コメント kemonohen_desu より: 2009年2月14日 18:33 「気分が晴れ、自分の考えがまとまる。精神的に助」かる、というのは、Ishidaさんにおける《書く》ことの目的のうち、第何義くらいに位置するのだろう? ちょっと気になったのです。 返信 いしだ・はじめ より: 2009年2月20日 03:56 昔から「書く」ことに憧れがありました。常に読む側にしかいることの出来ない自分。これに不満があったのです。 はっきりした理由はないけれど「書きたい」という表現欲求のようなものがある、と言えるのでしょうか。 「書きたい!」思いに筆を動かし、キーボードを叩く。「書く」中で気分が晴れ、「書いた」結果自分の考えが整理される、ということだと思います。 ・・・ちなみに「書くことだけがお前を助ける」はどこかの本からの引用です。何の本だったか…。 返信 kemonohen_desu より: 2009年2月20日 14:43 よくわかりました!やむにやまれぬ思いが、ふつふつとある、といったところでしょうか。うらやましいです。 そしてIshidaさんは、それを欲求で終わらせずに、ちゃんとカタチにしていけるだろうな、とも、たしかに予感します。 …なぜぼくがこういう質問をしてしまうのかというと、(次元は結構異なってきてしまうのかもしれないけれど)国語や朗読なんかをぼくはねちねち考えてきたわけですが、そのときどうしても「表現行為における、受け手への配慮」というものを意識せざるを得なかった、ということがあります。表現することはたしかに《お前=表現者自身》をまず助ける。しかし《受け手》をも助けることは、けっこう難しいことなんだなあとここ数年で思い知らされました。 《届く表現》とは、どういう表現か。ぼくのなかでは、まだこたえは出ていません。Ishidaさんの姿勢からも、学ばせていただこうと思っています。 返信 コメントを残す コメントをキャンセルコメント 名前 * メールアドレス(公開はされません。) * 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。
「気分が晴れ、自分の考えがまとまる。精神的に助」かる、というのは、Ishidaさんにおける《書く》ことの目的のうち、第何義くらいに位置するのだろう?
ちょっと気になったのです。
昔から「書く」ことに憧れがありました。常に読む側にしかいることの出来ない自分。これに不満があったのです。
はっきりした理由はないけれど「書きたい」という表現欲求のようなものがある、と言えるのでしょうか。
「書きたい!」思いに筆を動かし、キーボードを叩く。「書く」中で気分が晴れ、「書いた」結果自分の考えが整理される、ということだと思います。
・・・ちなみに「書くことだけがお前を助ける」はどこかの本からの引用です。何の本だったか…。
よくわかりました!
やむにやまれぬ思いが、ふつふつとある、といったところでしょうか。
うらやましいです。
そしてIshidaさんは、それを欲求で終わらせずに、ちゃんとカタチにしていけるだろうな、とも、たしかに予感します。
…なぜぼくがこういう質問をしてしまうのかというと、(次元は結構異なってきてしまうのかもしれないけれど)国語や朗読なんかをぼくはねちねち考えてきたわけですが、そのときどうしても「表現行為における、受け手への配慮」というものを意識せざるを得なかった、ということがあります。表現することはたしかに《お前=表現者自身》をまず助ける。しかし《受け手》をも助けることは、けっこう難しいことなんだなあとここ数年で思い知らされました。
《届く表現》とは、どういう表現か。ぼくのなかでは、まだこたえは出ていません。
Ishidaさんの姿勢からも、学ばせていただこうと思っています。