信頼のおけない言葉は、構成要素が二分させられるときに生まれる。それは現実を変革することができない。言葉が行動の次元を失うときには、省察も自らその影響をうける。そして言葉は、無駄話、空虚な放言、疎外されかつ疎外するたわ言に変えられる。それは世界を告発することのできないうつろな言葉になる。なぜなら告発は変革への積極的関与なしにはフナこうであり、変革は行動なしにありえないからである。
逆に行動が極端に強調されて省察が犠牲にされるならば、言葉は行動至上主義に変えられる。行動至上主義、すなわち行動のための行動は、真の実践を否定し、対話を不可能にする。いずれにしても二分化は、偽りの存在形態をつくりだすことによって偽りの思考形態を生み、それが先の二分化をさらに強めるのである。
人間存在は沈黙していることはできず、偽りの言葉によって豊かにされることもない。それを豊かにしうるのは真の言葉だけであり、人間はそれを用いて世界を変革する。人間らしく存在するということは、世界を命名し、それを変えることである。いったん命名されると、世界は再び課題として命名者の前に表れ、新たな命名をかれらに求める。人間は沈黙のなかでではなく、言葉、労働、そして行動―省察のなかで自己を確立するのである。(p96)