内田樹の『街場の現代思想』(文集文庫)抜粋など

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 ゼミのメンバーで奥多摩バーベキューをした後、ボランティア先の寮へ。寮生に挨拶と寮の掃除をした後、S君に会いに電車に乗る。その後に帰宅。ふー、結構移動した一日だった。スイカの金額が恐ろしく減っていた。

 電車旅行の醍醐味は車内での読書であろう。バスでは酔い、飛行機では読む間もなく到着してしまう(搭乗も厄介だ)。そんなこんなで内田樹の『街場の現代思想』(文集文庫)を読了できた。

 勘違いしている人が多いので、ここできっちり申し上げておきたいが、知性というのは「自分の愚かしさ」に他人に指摘されるより先に気づく能力のことであって、自分の正しさをいついかなる場合でも言い立てる能力のことではない。
 学者が学者でいられるのは、自分の理論を否定するデータを他の研究者より早く発見しようと努力する限りにおいてである。(126頁)

 内田の文章に多く出てくる種類の言説だ。内田はソクラテスの「無知の知」と同様の理論を現代において展開する。常識から見ると逆に見えることが実は真理だ、という言い回しの仕方だ。ソクラテスは次のように考察する。〈自分は何も知っていないということ、つまり自分が無知であることを知っている。けれどアテネの神託は私こそ最高の智者であるという。ということは、自分が無知であると知っているものは自分が智者であると思っている者よりも智者であるのだろう〉、と。内田は引用内のように「自分の愚かさ」を自分で気づける能力こそ「知性」である、と語るのである。

 次に進む。夢や目標を実現するためにはどうすればいいか、という箇所だ。

 目的地にたどりつくまでの道順を繰り返し想像し、その道を当たり前のように進んでゆく自分の姿をはっきりと想像できる人間は、かなり高い確率でその目的地にたどりつくことができる。「夢を実現する」というのは、そういうことなのである。(175頁)

 既視感(要はデジャヴュですね)が感じられるくらいまで、自分が夢を達成した姿を想像し、強く願っていく。これにより、その夢を達成できる可能性が増すのだ、と内田は続ける。
 興味深いのはこのくだりは「離婚について」という文章内にあるということだ。熟年離婚が成功しやすいのは、妻が延々と「いきなり離婚を切り出されたら、あのバカ亭主はどんな顔をして仰天するだろう…」(176頁)という妄想をし続ける。「細部に至るまで想像できるような未来は、そうでない未来よりも明らかに実現される可能性が高いのである」(同)がゆえに、熟年離婚は成功しやすい。たとえ否定的な夢であっても、細かく想像していると本当に実現してしまう。

 最後の引用。

 倫理的でない人間というのは、「全員が自分みたいな人間ばかりになった社会」の風景を想像できない人間のことである。
 村上龍の自省が彼に拍手する読者の自省よりも深いのは、彼が「社会全体が自分みたいな人間になったら、どうなるだろう?」という問いを自分に向けることを怠っていないからだ。(226頁)

 この箇所も印象的だった。「全員が自分みたいな」社会。これ、結構恐ろしい想像だ。一席のみ車内が空いていて、自分とご老人が同時に座ろうとする。その際に席を譲らなかったとしよう。「全員が自分みたいな」社会では私は老人になっても席を譲ってもらえない。内田がここでいっている倫理意識は適用範囲が広いように思う。

追記
●春休み中、新書にはまりいろんなテーマで読みあさった。〈けっこう物知りになったんではないか〉と思っていたが、授業に出て〈まだまだ自分の知らない考え方/知識があるのだなあ〉と痛感した。授業は何かを教わるだけでなく、〈自分がいかに物を知らないか〉を実感する場所であることに気づいた。
●よく「早稲田はバカだ」と言われる。『マイルストーン』や『早稲田魂』(いずれも早稲田のサークルの出している雑誌です)の底流にも早稲田=バカとのテーゼが流れている(大体は「明治はもっとバカ」と続くのであるが)。この内容も、本稿で引用した内田の一つ目の引用文と照らしてみると、プラスの内容とも取ることができる。自分のことをバカであると認識していること自体が、知性のある証しである、と。
 私はいま教育社会学を学びはじめているが、知らないことが多すぎる。〈構造主義を知ってて当然〉スタンスの入門書。あれもこれも、知らない横文字。これらを知ったかぶるのでなく素直に〈知らない〉と認めてしまおう、と思っている。そして他人から「お前は馬鹿だ」と言われるより先に学んでしまう。これこそ、理想の「早稲田=バカ」像と言えるのではないか。つまり、「バカ」を認識するのはあくまで自分。真の早稲田生は他人から「バカ」と言われてはならない。
 …けれど、〈知らない〉内容が実は「バカの壁」の向こうの内容だったら悲劇である。「早稲田=バカ」像でいう「バカ」が「バカの壁」の「バカ」でないことを祈るのみだ。

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