大和少年野球クラブに私は入っていた。兵庫県にある八千代西小学校という1校の生徒から構成されている、地域の野球クラブである。町の中には(注 その当時、わが八千代町は合併前でした)北小・南小で構成された八千代少年野球クラブも存在した。なかなかに練習がハードであった。
実力はなく、弱々しい私であったが、人数が少ないのと、たまたま「9番目」前後の力量を保っていたため9番ライトのレギュラーだった。一番軽い場所にいたわけだ。よく考えると、ギリギリ「レギュラー」というあり方は今のサークルでの私の立ち位置と同じである。
少年野球をやっていたとき、はっきりいって私はやる気がなかった。けれどやめるのも色々面倒なので(チームメンバーとは基本的に学校でも会うため気まずいのだ)、しかたなく不本意ながらやっていた(でもやってる中では楽しくなるんだけどね)。これ、いまの私のメンタリティーとも共通する。
人生、〈気づけばイヤイヤながらやってしまっている〉ことが多い気がする。あきらめが肝心なのかもしれない。そう、辛くて当たり前だと認識して、「少しでも楽しむにはどうしたらいいか?」考えていく姿勢こそ必要なのだ。
追記
●タモリの「やる気のある者は去れ」との言葉は私のためにあるのかもしれない。
さらに追記。
●教育実習にいたとき、大和少年野球クラブが無くなったことを知る。ショックである。クラブの横断幕はどこへいったのだろう?