実験的小説・作家の日記

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X月9日。
 原稿用紙をレイアウトしたパソコンの画面に、今日も幾ばくかの文字を入力していった。今日は某週刊誌に掲載している連載小説の第4回の原稿を書き終えた。ヒロインの美鈴が初登場する場面だ。設定は第一回から変わらない夏の大学である。学生がさびれた夏のキャンパス内。葉の生い茂った桜並木の下を、足音も高らかに登場するシーンである。我ながら、風情溢れる書き方が出来たものだ。なかなかに気に入っている。
 この小説の舞台は大学生の日常だ。自分の大学時代の自伝的小説にする予定である。読者感想を見る限り、すでにこれが私の私小説的側面を持っていることを見抜いた人も数名いるようだ。

10日。
 今日、1通のはがきが来た。今時、ハガキとは珍しい。文字を見たとき、まさに手が震えた。京子からである。淡い記憶が蘇る。彼女こそ、わが小説のヒロイン・美鈴のモデルなのである。
 彼女から、まさか手紙が来るとは…。兼業作家の私は本名を明かさない。職場の大部分の者にも内緒にしている。現にいまの連載の大部分は通勤の車内で書いているのだ。かっきり2時間、一日に執筆していることとなる。ずっとこのペースで仕事をしているのだが、いまの連載になって自宅でも書かないと締め切りを守れなくなってきた。そんなかつかつの状況の中であるが、佐藤孝雄という作家の本名を知るものなど、ほとんどいないはずなのだ。何故、京子から来るのだ?
 奇妙なことに、ハガキの表にしか文字を書いていない。裏面は全くの白紙なのだ。…意味があるはずだ。いつかエッセイで使ってやろう、と思う。

16日。
 第5回の連載を書き、メールに添付して送った。かつての作家は全て手書き。骨の折れるこった。
 今日も京子から手紙が来た。もう5通たまった。このところ、毎日来ている。すべて相変わらず白紙のままである。
 彼女は何をしたいのだ?

19日。
 小説論について、編集者Mとサ店で2時間ばかし、議論する。私の小説観はMとは180度違っている。それゆえに、興味深い議論となったものだ。
 私の持論をまず話した。それは次のものである。「小説にする以前に物語は終っている。読者は作家の創作した過去の物語を享受するにすぎない。読者は作家の追体験をするのみだ。誰もペンを持って続きを書こうとはしない」というものだ。
 Mは反論する。それはこんなものだ。「読書とはもっと創造的な行為ではないのか? 読者の『誤読』ですらも創造性とは言えないのか?」というものだ。

20日。
 京子からのハガキ、今日も届く。もう何通だろうか。不思議なことに、壁のコルクに貼ってあったハガキが全て無くなっていた。鞄に入れたはずのハガキも、気づけば無くなっていた。
 変なこともあるものだ。
 

21日。
 パソコンの過去ファイルから、懐かしい小説原稿を見つけた。
 大学在学中、4年間をかけて完成させた『人々の記憶』。私が実名で登場し、ヒロインの名前も京子である。桜並木の下、共に歩くシーンも、2本立て映画観で愛を確かめあったシーンも、書かれていた。どちらも我が『あいみての』のハイライトである。うまく書けると思ったら、かつて書いた内容であったからか。理由が分かった。
 懐かしい小説ゆえ、しばらく読みふけった。よくもまあ、これだけ自分の記憶を書き残していたものだ。大学時代は暇で良かったなあ。

23日。
 電車内で、驚くべき事実に気づいた。
 何と言うことだ! 私が真実と思っていたことが、全て私の妄想、いや想像力の産物であったとは! 
 いやいや、まだ混乱している。文章が支離滅裂だ。冷静になろう。私の小説『人々の記憶』。はじめに読んだとき、私の過去の経験を全て書き残した自伝的小説の意味合いを持たせていたのだと感じていた。我ながら上手に自らの過去をまとめたものだと感心していた。
 執筆したときの状況を思い出そうとした。これだけの大長編、どう書いたか気になるからだ。しかし、どうやっても思い出せない。書いた記憶すら、かすかにしか残っていない。
 それだけならまだいい。私は『人々の記憶』の中に、京子との記憶だけでなく大学時代の全記憶もがこの小説の中に存在していることを確認したのだ。なじみのS食堂も、L店も、この小説の中に執拗に出てくる。食堂のオヤジとの会話も、すべてこの小説に書かれている。私は本当にS食堂へ行っていたのか?

24日。
 仕事帰り、20年ぶりに母校のW大学へ。存在しているはずの桜並木がない。S食堂も、L店も、影も形もない。大学の敷地の配置が記憶とあまりにも違う。古びた建物全てに、見た記憶がない。

25日。
 さらに恐ろしい事実に気づいた。この『人々の記憶』には私の誕生の瞬間の回想シーンや、小学校時代の記憶など、私の半生の全記憶が書かれている。私の過去の記憶は、過去の私の妄想にすぎなかったのだ。
 では、「本当」の私の記憶はどこにあるのだ? 強く想像したことは五感すらを「真実」として感じさせてしまうようだ。
 小説『人々の記憶』は唐突に終る。「私」がパソコンのキーボードを叩くシーン。カタカタカタ…。カタカタ、という擬音語が延々と書かれている。不意に次の文章で終るのだ。
「過ぎ去りし我が記憶よ、消えてなくなれ! 時は逆回転をしないという。本当か? もし我が記憶を完全に入れ替えることができるなら、それは十分に過去を作り替えたことになるのではないか。恥ずかしき人生を送りし我が人生よ、さらばだ! 私は4年の歳月をかけ、『人々の記憶』を完成させた。この小説こそ、わが「記憶」となり、「過去」となるのだ」
 私が「記憶」と思っていたもの全てが、私の妄想にすぎなかったのだ! どうすればよいのだ! 

26日。
 記憶が嘘をつくのだ。美鈴なんて、いやしないんだ。ましてモデルの京子なぞ、存在するはずがない。存在してはならない。それをいうなら私は一体なんなのだ? 私の記憶にない本当の「私」の記憶はどこへ行ったのだ? 
 そういえば、私の時間感覚は大学卒業後からまともになった。それまではフワフワした感覚的記憶でしかない。学生の気楽さの産物だと思っていたが、どうもそうではないらしい。
 過去の私は自分の「過去」を変えるため、4年間の歳月をほぼ文章入力に費やした。そしていまの私につながる、まがい物の記憶を頭の中に入れたのだ。
 私は、過去の私が書いた壮大な物語を、事実として受け止めていた。過去の私という作家の書いた文章を、追体験していた「読者」にすぎなかったのだ。『人々の記憶』にない内容の記憶も、あることにはあった。しかしそれはMの言う「読者の誤読」による記憶とは言えないのか?

27日。
 いったい、過去の私は何故このように大それたことを行ったのだ? 何があったのだ? 私の身に、過去を消したいほどの不幸があったのか? ひょっとして聞くに堪え難い犯罪でも成してしまったのか? 記憶にないため、もはや何もかもわからない。私は一体、どんな半生を送ってきたのだ?
 過去を知りたい。そうでなければ、生きる価値がない。

29日。
 人は死ぬ瞬間、いままでの半生を走馬灯のように思い出すという。手元にカッターナイフがある。挑戦してみる価値があるかもしれない。いま風呂に湯をはっている所だ。左手首に深い傷を残し、自らは自らの本当の記憶と対面することとしよう。『あいみての』を完成させられなかったのは惜しいことだ。まあ、いいか。どうせ『人々の記憶』の焼き直しにしかならないのだから。
編集者の方:この日記をもしご覧になり、興味を持たれましたら、ぜひとも『あいみての』の代わりに御掲載願えますか? 私は命を賭けても、真実の過去を、それこそ「走馬灯」のように味わおうとしたのです。過去を知らずに生きている苦痛に比べれば、そちらの方が幸いです。文字数が足りなければ、『人々の記憶』の原稿が、デスクトップの『小説』フォルダに入っております。どうぞ、存分にご活用ください。

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