筆者は予備校理事長・高校理事長。農業、運転手などを経て、30にして学に志す。通信教育で日大に通いはじめ、11年かけて卒業。予備校教師→独立して予備校を興す→私立高校設立。ただものではない。
学に志した後も、始め数年は全く成績が振るわない。1年かけて「豆単」暗記に挑戦するも、覚えていたのはわずか20単語。けれど「一点突破法」で壁を破り、予備校で英語教師ができるほどの実力を付ける。生き方がカッコいい。こんな生き方をしたいものだ。波瀾万丈だからこそ、学問の意義を語る姿が粋に映る。
印象的だったのは日大卒業後、早稲田大学の英語専攻科へいったときのワンシーン。早稲田大学生に対し、言及している場面である。忘れられないほど印象に残っている。
この類の学生(無責任で、他人の迷惑を考えない学生)や、教室の後ろに固まってお喋りする連中は高田馬場駅界隈で酒を飲み、気勢を上げ、スクラム組んで「都の西北」を歌って満足する。私も酒が好きなので誘われれば同行するが、「スクラム組んで都の西北」には、どうしても参加できない。
とは言え、母校の校歌が嫌いなのではない。全国の校歌の中で最も素晴らしいと信じているし、運転中やアパートでは一人口ずさむほど好きである。だのに、彼らと一緒には歌えないのだ。彼らはやるべきこともしないで、「都の西北」さえ歌えば全て免罪されると考えていると思われてならなかった。私の好きな校歌を免罪符扱いすることには、どうしても我慢ならなかった。(178頁)
「彼らはやるべきこともしないで、「都の西北」さえ歌えば全て免罪されると考えていると思われてならなかった」。この言葉は恐ろしい。自分が「彼ら」にならないよう、自律した生き方をしていく必要性を感じる。そう生きることは、自己に身体化した「学校化」された生き方をはねのけることになるはずだ。