映画の前売り券をもらったとき、「何があっても行かなければ!」という気持ちになる。貧乏性というのであろうが、その思いがあれば「絶対、自分が行くはずがない映画」を観に行くことができる。『僕の初恋をキミに捧ぐ』はそんな映画である。まず、タイトルからして「痛い」感じが出ている。特に、23:10から始まる回に一人で行く時点で痛い。
やはりと言うべきか、前半はとてつもなく「痛い」映画である。ジェンダー論の教材になりそうな展開だ。男が初恋に対して抱く、身勝手な欲望を描いている。幼い頃に「結婚しよう」といったことを、中学生になっても引きずる「痛い」男。また幼少期のシーンは「かわいらしい子ども」を無理に演じさせられるような気がしてくる。それに、展開の中では主人公とヒロイン、そしてライバルの3人くらいしか「子ども」は出てこない。主人公の男に男友達というものはいないのか? ひたすら「気持ち悪さ」を感じる。何度時計を見、何度帰ろうと思ったことか。
しかし、まさかこの映画の後半で泣かされてしまうとは思わなかった。映画館で泣くのは久々だ。
心臓移植しなければ生きれない主人公。ちょうど心臓移植のチャンスが回ってきたと思いきや、そのドナーが自分のライバルだった…。移植を受けるか、否か。時々涙を流したり、指がかすかに動いたりする脳死状態は人の死なのか? 臓器移植についてを色々考えさせる映画だ。
ラストシーン。ヒロインと主人公は病院を抜け出してデートに行く。夢のように楽しい時間。お互い、「先が長くない」ことを分かっているゆえに、精一杯楽しもうとする。ヒロインがこの先、「ひと時のうちに永遠を感じる」というウィリアム・ブレイクの詩のように、主人公との思い出を残しつつすごしていくであろうことも予感させている。そしてその夜、主人公は発作が起きて帰らぬ人となってしまう。
終わりが見えている方が恋は燃えるし、人生も充実する。そんな皮肉を感じてしまう。そういえば鎌倉時代の随想家・兼好法師が語っていた。病気の人にとってだけ死が身近なのではなく、我々にとっても死はすぐ後ろにあるのだ、と。メメント・モリ(死を忘れるな)。それは人生を充実させるコツでもあるのだ。
この映画、タイトルと前半で損をしている。もっとコンパクトに前半をまとめ、後半に速やかに移行しないと。私同様、「帰ろう」とした男性一人で鑑賞にきている人もいるだろうから…。それとも前半で「痛い」シーンを満載させ、期待感を無くすことで後半の感動を招いているのか?
メメント・モリ(死を忘れるな)。ミスチルの「花」っていう曲のサブタイトルもたしかこれだったかな。
映画を見て涙を流せる心って大切だよな☆
そういう感受性が必要ですね。