あえての「北海道」論。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

北海道に住んで今年で5年目です。

それまで私は兵庫と東京に住んでいました。

兵庫で生まれ、学生時代を東京で過ごしたわけです。

高校教員の職に応募し、赴任地が北海道。
そこから私の北海道暮らしがはじまりました。

兵庫や東京にいた頃、「北海道」は「あこがれ」の場所でした。
たぶん、今もそうです。

url

イメージしているのは広い大地、青空、ジャガイモ。

雪とオーロラ。

ものすっごい偏見ですが、そんなイメージでした。
(オーロラですが、北海道の一部ではちゃんと見れます)

そんな北海道に来て、気づいた点が2つあります。




気付いたこと(1)「内地」と「外地」という発想

 

北海道で生活しているうちに、違和感を感じることがあります。

それが「内地」という言葉。

北海道の人と話していて、

「藤本さん、内地出身なんだって? どこなんですか?」

・・・と聞かれることがありました。

一瞬、「内地って何?」と思いましたが、すぐ「本州」のことだと気付きました。

 

不思議なのですが、北海道の人には「内地」と「外地」の意識がいまだにあるようです。

北海道新幹線が開通した後にも関わらず、「北海道」と「本州」は別物なのです。

 

これ、かつての「北海道開発庁」の発想です。

かつて総理府の外局(要は別組織)として「北海道開発庁」と「沖縄開発庁」がありました。
(2001年の中央省庁再編で国土交通省の「北海道開発局」と内閣府の「沖縄振興局」に変わりました)

国の施策として、「外」の地である北海道(と沖縄)の「開発」を行う機関が「北海道開発庁」でした。

インフラ整備や開発計画などをもたらした点では有意義でした。
が、
北海道を「お金が外から入ってくる」状態にしてしまった点で有害でした。

 

なによりも、北海道の人の意識の中で「内地」と「外地」を立て分ける発想をもたらしたような気がします。

優れているのが「内地」で、
北海道を「開発」するのに「内地」の金を持ってくる。

そういう状態に慣れてしまっているように感じます。

それが「内地」という言葉に入っているようです。

 

ちなみに。

北海道の外から来た人間が、

「私は「内地」出身で・・・」

 

というのは、明らかに「差別」意識だ、と言われかねないでしょう。

 




 

気付いたこと(2)「フロンティア・スピリット」と「ムラ意識」

 

北海道の地名を見てみると、本州にある地名/本州ゆかりの地名があることに気付きます。

清水町(静岡県清水町)
伊達市(宮城県、つまり「伊達藩」)
新十津川町(奈良県十津川村)
北広島市(広島県)
釧路市鳥取大通(鳥取県。釧路市の「鳥取神社」を初めてみた時、衝撃でした)

 

☆もっと詳しくはこちらがオススメ!
https://pucchi.net/hokkaido/geo/address3.php

なぜ本州ゆかりの地名があるのでしょうか?

それは、本州から思いを持って「北海道」に移住してきたからです。

地元でくすぶるくらいなら、新天地で一旗揚げる!

そんな思いを持って移住してきています。

私も旭川兵村記念館などでその熱い思いを学びました。

大体の移住者は家族連れですが、
「たった一人でも、移住してやる!」という人も大勢いました。

(予断ですが旭川兵村記念館は、「アイヌ」を全く扱っていないところがめちゃくちゃ気になります・・・。
旭川に行くなら旭川兵村記念館(旭山動物園のわりとそばなので、そのままの流れでいけます)と川村カ子トアイヌ記念館がオススメです。
というか、旭川兵村記念館だけだと偏ります

そして移住者たちは、本州の主食たる「米」つまりイネ生産に情熱をかけました。

自分たちを規定する「主食」だからです。

 

ですが・・・・。

 

イネはうまく育ちませんでした。
イネを育てるには、北海道はあまりに寒すぎたからです。

 

意気消沈して(あるいは破産して)本州に帰る人も多くいました。

それでも、イモ生産やマメ生産に精を出し食料を手に入れていきました。

飼っている豚と同じモノを食べてまで、北海道の地の「開発」に情熱をかけました。

☆予断ですが、その「豚と同じモノを食べる」象徴が
「開拓の/はじめは豚と/ひとつ鍋」という句に込められています。
これをモデルに作られたお菓子「ひとつ鍋」。
なかなか美味しいです。
北海道の六花亭に行かれた際、ぜひお買い求めください。

10027

その結果、いまでは北海道は人口530万人、
日本第8位の人口を有する場所となりました。

札幌だけを見ると、札幌の人口190万人は
東京・横浜・大阪・名古屋に次ぐ第5位の人口です。

森だらけの土地を切り開き、
畑や住宅に変えていった情熱は相当アツイものでした。

途中、病気や事故・怪我で意気消沈しかかっても、
ともに移住した「仲間」どうし、支えあっていったわけです。

 

 

北海道の人の中には、ここまで出てきた歴史の流れを受け継いだ、
2つの思いがあるように感じます。

それが「フロンティア・・スピリット」と「ムラ意識」です。

未知の場所。
何もない場所を切り開くという情熱が「フロンティア・スピリット」です。

つらく苦しい時、ともに移住したものどうし支え合うのが「ムラ意識」です。

 

私は特に、この「ムラ意識」を感じることが多々あります。

たとえば、すでに温泉を掘り当てている既存のホテル・旅館の許可がおりないかぎり
新規の温泉の開業・開発ができない地域があります。

農業関係でも、似た話はよく聞きます。

「ムラ」の一員であればお互いを助け合う反面、
「ムラ」でないメンバーを排斥する流れがあるようです。

本州では、
「ムラ意識」の人はあまり「フロンティア・スピリット」を持っていないように感じます。

ですが、北海道の場合、「ムラ意識」も「フロンティア・スピリット」も両方持っている人がたまにいます。

「新しいことをやろう!」という思いが「ムラ意識」の当事者からたまに出てくるところが不思議に面白い場所です。

(北海道でも大体の場合、そうではないのですが・・・)

 

さて。

こんな北海道。
わりと楽しい場所ですよ。
なんだかんだで大好きです。

 

北海道旅行で北海道にいらっしゃる方は、
この2つの気づきに意識してみると面白いかもしれません。





 

 

こちらもどうぞ!

 

  1. 北海道的ネーミングセンスな建物たち。 (2)

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください