I・イリイチ著、渡辺京二訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989

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すぐれて現代的でしかも産業に支配されていない未来社会についての理論を定式化するには、自然な規模と限界を認識することが必要だ。この限界内でのみ機械は奴隷の代わりをすることができるのだし、この限界をこえれば機械は新たな種類の奴隷制をもたらすということを、私たちは結局は認めなければならない。教育が人々を人工的環境に適応させることができるのは、この限界内だけのことにすぎない。この限界をこえれば、社会の全般的な校舎化・病棟化・獄舎化が現れる。政治が、エネルギーや情報の社会への平等な投入に関わるというよりむしろ、最大限の産業産出物の分配に関わるのが当然とされるのも、この限界内のことにすぎない。いったんこういう限界が認識されると、人々と道具と新しい共同性との間の三者関係をはっきりさせることが可能になる。現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私は‘自立共生的’と呼びたい。(ⅹⅴ)

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