どちらも、独自の立場から、歴史や思想を解き明かそうとしている。
そんな2人が、実は対談をしていたなんて・・・。
思わぬ発見のあった本。
そこからの抜粋集。
鶴見 私は、「烏合の衆(うごうのしゅう)」を思想上の強さのバネにしたいと思っているんです。(…)味方の陣営はたった十人。その十人がみんな「烏合の衆」でも、「烏合の衆」であることを自覚すれば、それは思想的な強さになっていくと思うんです。「烏合の衆」は、つまりバラバラということでしょう。ディファレンス(違い)がある。それが思想的な強さになっていく。十人の「烏合の衆」で単一の立場に団結しよう、とは私は思わない。「鉄の団結」というのは考える力を弱めていくんです。(18~19)
烏合の衆。
烏合の衆
【意味】烏合の衆とは、規律や統制もなく、ただ寄り集まっただけの群衆・軍勢。役立たずな人々の集まり。
(…)「烏合」とは、カラスの集団のことで、カラスが集まっても、鳴いてうるさいだけで統一性に欠けることから、たとえとしてこの語が生まれた。(語源由来辞典)
言葉は悪いが、「規律や統制」なく「寄り集まっただけ」だからこそ、彼らは考える。
私も「考えない」団結でなく、「考える」烏合の衆でありたい、と思った(思っただけかも)。