こんなことはないだろうか。
さっきまで誰もいなかったコンビニに1人お客が来ると、雪崩を打って人がやってくる。
昼間も真夜中も同じこと。
突如として、お客の波が来る。
ひなびた山奥の温泉にいて貸切状態であっても、1台クルマが来ると続けて2台・3台とやってくる。
波というものは、確かにある。
仕事にも波がある。
忙しい「忙殺」週間のあと、突如として「何もない」期間が来る。
「あいだ」の忙しさ・中間の忙しさはあまりない。
めちゃくちゃ忙しいか、暇か、その2択しか無い。
これ、人生も同じこと。
めちゃくちゃ忙しく、密度の多い期間と、
何もなく、変化に乏しい期間とが合間する。
どうせなら「暇」の方がいいけれど、
「暇」すぎると「オレって、いる意味あるの?」と思ってしまう。
「波」というものを、人間は時として忘れる。
つまり、波と波の来ない中間がある、と考えてしまう。
そんなものは存在しないことに、どこかの時点で気付かなければならない。
そう思う。