橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)。そこには「1960年代後半の自由論」として漫画『あしたのジョー』が取り上げられていた。「矛盾を引き受けて『燃え尽きる』ことに『自由』を見い出し」、「真っ白な灰になる」(101頁)ことの美学が、その当時の「自由論」であるとまとめられている。
社会学では流行している文化から、その社会の特徴を見いだす手法をとることがある。1960年代後半が『あしたのジョー』という漫画に象徴された歴史であったならば、いまを象徴するものは何か?
私は『ONE PIECE』であると思う。
『あしたのジョー』は一匹狼・矢吹ジョーの物語である。それに対し『ONE PIECE』のルフィは、シャンクスや海賊への「あこがれ」を持ち、仲間を集めながら冒険をする。友情がテーマとなり、友人のために熱く戦う物語が展開される。
一人自分と向き合うジョーに対し、『ONE PIECE』の中では友達を大事にする・協力をするということの重要性が描かれている。この協力や友情をテーマとする漫画が多くの人々に支持されるのは、時代が要求する価値観を描いているためではないだろうか。
「リストラ」が騒がれはじめた90年代後半に連載がはじまった『ONE PIECE』。勝間和代的「インディな生き方」がもてはやされる現在でも人気がある。私のサークルやボランティア先では、来週の『ONE PIECE』がどうなるかを心待ちにする人々が一定数存在している。まさに『あしたのジョー』と同じ展開の仕方だ。ジョーの戦いに、多くの日本人が狂喜乱舞をしていた。ジョーの姿に、自分の姿を見た。いま、『ONE PIECE』のルフィ達に共鳴をする人々が多いということは、ジョーと同じくルフィ達に自分の姿を見ているのだろう。
核家族やセパレート化・孤独など、いまの社会は人々がバラバラになっている。『ONE PIECE』がもてはやされるのは、そんな孤立化する人々が再びルフィ達のような熱いつながりや助け合いを希求している証拠なのではないだろうか。
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