というわけで、いま東京に来ています。
よく考えると、平成26年度はけっこう東京に行きました。
修学旅行、生徒会研修、帰省ついでの東京訪問、日本通信教育学会への参加、文科省のフリースクールフォーラム&フリースクール全国ネットワークの文化祭。
そして今日、3月に訪問しています。
それぞれ仕事–プライベートの別はありますが、札幌時代以上に東京に行ってる気がします。
東京は楽しいところ。
東京はエネルギーが溢れるところ。
東京はムダにデカいところ。
東京はどこに言っても満員&混雑するところ。
高校–大学–大学院のころ、東京こそホームで、「故郷は遠きにありて想うもの」(室生犀星)でした。
ですが仕事を機に北海道の札幌–帯広で生活するようになると、北海道こそホームになりました。
東京は「どこか遠い世界」になりつつあるように思います。
いまは亡きやしきたかじんの「東京」は、関西人だからこそ胸に響きます。
いとしさも 憎しみもすべてすべて ぎゅっと抱きしめ祈るように 今日も灯がともる東京(「東京」)
これは東京人が見た東京ではなく、関西人も入れた地方人が見た東京です。
輝いていると同時に、嫉妬の対象としての東京の姿です。
自分がなんだかんだ東京に行くのは、行くたびに東京と自分とのギャップ、東京に染まりきれない自分を身体で感じるためなような気がします。
「地方活性化」「地域活性化」と言う声がよく聞かれます。
その活性化した姿が「ミニ東京」だった、というのもよくある話です。
東京とはなにか?
東京とどう関わるか?
いまの私のテーマです。