点Pとしての偉人論

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ブッダは「場所」を持たなかった。
弟子と共に流浪を続け、たまに祇園精舎なり、竹林精舎という原点Oに戻ってくる存在であった。
つまり、ブッダは座標平面上をつねに移動する点Pであった。
キリストもそうであり、ムハンマドも原点Oから追放された点Pである。

流浪し続け(=ノマド)、1点に逗まらないからこそ多様な図形を座標平面上に描くことが出来た。

彼らは、常人には先の読むことのできないグラフを描き続けたのである。
その座標平面上に描かれた図形こそ、「聖書」なり「経典」なりに結実したのであった。

他者救済の要は移動性にある。
要は1点のみに自己を固定せず、常に移動し続ける点Pで在り続けることが求められる。
その過程の中で、哲学的知見なり宗教的着想を得ることになるのだろう。

(カントを除く)偉人たちは点Pであった。
せっかく札幌に行く私も、気分だけでも点Pになりたいと思う。

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