「自由」はもはや時代遅れの価値になってしまったのだろうか?
わたしはそうは考えない。むしろわたしの考えでは、「自由」に代わる価値をいくら提示したところで、それは常に「自由」の一条件にすぎないものである。(…)あえていいたい。「自由」はわたしたち人間にとっての、最上の価値である。だれもが「自由」を欲している。そしてわたしたちにとって、それ以上の人間的価値はない。(7)
「フリースクール」や「自由な学び」が好きな私にとって、「自由」についての論述は非常に心惹かれるものです。
ちょうど、2/28(よく考えると、この日は著者・苫野氏の誕生日でもある)の「読書会@札幌-帯広」で議論する内容なので本書を読んでいます。
人間は、生きていると「自由」を本質的に求める存在。
そして、「自由」こそ、人びとの幸福を実現する概念でもある。
読書会を通じて、この点を今一度確認したいと思います。
「自由」の本質などあり得ない、それは多義的かつ操作可能な概念である、というのは、現代思想の常套句だ。しかし、言語の多義性・操作可能性は織り込み済みの”前提”であって、わたしたちはその上でなお、その”本質”を明らかにすることができる。わたしたちが様々な言葉(概念)を通してコミュニケーションを行い、そしてそこに何らかの了解可能性を「確信」「信憑」している以上、わたしたちはその概念の”共通意味本質”を、必ず直感しているからだ。それゆえわたしたちは、その内実を深く洞察する必要がある。(69)