私の勤務校には、いまいくつかのバランスボールが転がっています。
職員室に置いてあり、休み時間にはけっこういろんな生徒がバランスボールで遊んでいます。
単に使うのではなく、イスとして使う生徒もいます。
バランスボールを通じ、学年や年齢を超えて交流をする姿が印象的です。
そこを見ていると、バランスボールが文字通り「メディア」として機能しているさまを見ることが出来ます。
メディア。
つまり介在するもの。
一般にいうメディアはテレビや新聞などを指しますが、本来の定義はもっと広いものです。
カナダの学者・マクルーハンは〈メディアは身体の拡張である〉と述べました(『メディア論』)。
彼の定義を用いれば、身体を広めるものであれば「メディア」の条件に適合します。
バランスボールという一つのアイテムが、人と人とをつなぐもの(=メディア)としても機能するのです。
単に自宅にあるだけでは「自分だけ」で終わっていたアイテム。それが「いろんな人がいる」場所にあるだけで、それで遊んだり、エクササイズを一緒にしたり出来てしまう。
単に自分で持つのでなく、いろんな人と共有することの意味を、学校のバランスボールを見るたびに感じています。