「眠る」ということ。

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23:45。

この辺の時間になると、人は(少なくとも私は)眠くなる。人は寝ることを欲する。
しかし、なぜ人間を始めとした生物一般が睡眠をとるのか、理由はよくわかっていない、という。

細胞の活性化などが理由のようだが、いまいちわかっていない。
記憶の定着も理由のようだが、別に「寝る」必要性もないようだ。

養老孟司は「いまの文明は意識文明。寝ないで意識のある状態にのみ、価値をおいている」という。

私は寝ることが割と好きだ。
寝るのは「もう一つ」の世界への入り口である。
眠りによって、意識がなくなることで、日常という悪夢を消し去ることができる。

しかも1日の1/3をこれに充てることができる。

まどろみの中で人間は生まれ、
「意識活動」についたあとも1/3はまどろんでいて、
最終的にまた「まどろみ」の中で痴呆が進み、
完全な「まどろみ」を経験する。

そう考えれば、眠ることは「死ぬことのレッスン」でもある。
あるいは、意識と無意識が未分化だった赤ちゃん時代への憧れだ。

寝ることは人間の中での動物的側面の一つである。
三大欲求の一つ、でもある。

この「寝る」という行為とその哲学的意味。
もう少し考えてみたい。

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