この前、ある方から本ブログの「あえて金子みすゞ批判。」へのコメントを頂きました。
拙文、お読み下さり、ありがとうございます。
プライバシーの関係上、そのやり取りを直接は書けないのですが、
返信を書いていると少しテンションが上がってきたので、その文面を「追記」として以下に書きます。
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「あえて金子みすゞ批判」、お読み下さりありがたいです。
教育現場には「みんなちがって/みんないい」を引用してばかりの人が多く、なんか「イヤ」になってしまうのです。
思うに、金子みすゞというのは決して詩の世界のメインストリームにいてはいけない人なのです。
あくまで何か部屋の隅っこで、「でもこんな考え方もあるよ」と言い続ける、代案提示人なのです(たぶん)。
おそらく、私が感じる暴力性の淵源は、金子みすゞにはないと思います。
むしろ、「みんなちがって/みんないい」と言いたがる、偽善的な教育現場の「暴力性」を感じるわけです。
金子みすゞではなく、金子みすゞを「語りたがる」人の暴力性とでもいえばいいのでしょうか。
「みんなちがって/みんないい」という人に限って、
「えー、でも小鳥と鈴とわたしを〈同格〉にしちゃうのって、詩の表現方法としてどうなの? わざわざ当たり前のメッセージを、こんなに白々しく表現しないといけないの?」などという意見を「認めない」構図があるようです。
「みんなちがって/みんないい」。
ちょっと考えてみる必要が有るようです。