映画はどこまでも「同時代性」の産物だ。

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よく、昔の映画を観ます。

 

黒澤明や小津安二郎、チャーリー・チャップリンなどなど、

いずれも大好きです。

 

でも、最近はあんまり観なくなりました。

物理的に家で映画を観るのが面倒になったのと、

そういう時間を作るのが辛くなったためです。

 

どうせ観るなら映画館。

ところが私の勤務先である札幌にはすぐいけるところに名画座がないため、

どうしても「いま」の映画になります。

 

でも「いま」やっている映画を観ると、

いまの人々が何を考えているのか、

何を求めているのか、

何をしたいのか、

「なんとなく」伝わります。

 

これは昔の映画ばっかり観ていた時期には気づかなかった点です。

「映画史に残る名作」という言い方がありますが、

「内容」・「中身」の良し悪しを観ていました。

「メッセージ」を観る・「表現」を観ていたのです。

 

そうではなく、映画は本当は「空気」を観るものなのではないか。

そう考えています。

 

映画はどこまでも「いま」の「空気」を表すものです。

2013年の映画は「2013年はこういう年だったのですよ」というのを

伝えるためのツールです。

 

2013年にいる人間にとって、2013年がどういう年か、

よくわかりません。

 

だからこそ「映画」を観て2013年の「空気」を知るのです。

 

映画はどこまでも「同時代性」に立脚しているのです。

 

「メッセージ」や「表現」がどうこう言うべきものではなく、

実は「時代」や「空気」を伝えるためのもの。

 

そう言えるはずです。

 

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