この2年、なにげに自分は「シェア」が身近であった。
職場をシェアする「コワーキングスペース」でのインターンシップ、
各種「シェアハウス」の見学のほか、
札幌では実際に「シェアハウス」に住み、
「コワーキングスペース」でバーテンをやるようになっている。
そんな自分を改めて「振り返る」のに、『シェア』は有効だった。
自分が使わないもの・いらないもの・「ちょっとしか」使わないもの。
それをネットで伝達し、モノの交換・引取り・貸出をする。
そういったものを「コラボ消費」と呼んでいる。
「コラボ消費とは、おままごとのような善意の譲り合いではない。逆に、個人の自由を手放したり、ライフスタイルを犠牲にしなくても資源をシェアできるようなシステムを確立することだ」(21)
つまり、「コラボ消費」をするのが「貧乏」でも「せせこましい」のでもなく、
逆に「めっちゃ楽しい!」という価値を示していくことが必要なのだ。
本書には、ブレインウォッシュという団体の活動が描かれている。
地球環境のために各家庭で洗濯機を買うのでなく、「コインランドリー」を有効に使おう、という運動だ。
「洗濯機シェア」である「コインランドリー」には、「ダサさ」「暗さ」「貧しさ」がつきまとう。
はじめは政府に助成金を依頼したり「コインランドリーはエコ」などの呼びかけ活動をしていたが、どうも限界に終わってしまった、という(日本の市民活動も、大体この2つをやるにとどまっている)。
そのかわりにはじめたのは、「コインランドリーを使う」ことの「楽しさ」を積極的に打ち出したことだ。
「カフェを併設したり、ハッピーアワーや音楽ライブ、スタンドアップコメディの上演といった時間をつくったり、ピンボールマシン、無料の無線LAN、そして宿題ができる場所まで提供して、ユーザーを喜ばせている。そこは明るくモダンなスペースで、屋内と屋外に座席があり、気持ちのいい音楽が流れ、壁にはファンキーなアートがかかっていて、スタッフが親しげに手助けしてくれる−−ほとんどのコインランドリーのような暗くて陰気な雰囲気とはちょっと違う感じだ」(268)
つまり、「コインランドリー」の価値を再定義したのである。
コインランドリーを「洗濯機の買えない人のための貧弱な空間」という価値付けを「楽しい」空間に置き換えたのだ。
彼らは「消費者を変えようとするのではなく、システム自体を変えた」(269)のである。
「コラボ消費」を道徳や倫理観から「やっていこう」と呼びかけるのでなく、「楽しさ」で伝えていったのだ。
この「楽しさ」には、「楽しさ」をコミュニティで「シェアする」ことでさらに広まる。
「ナイキ・ブランドのチャーリー・デンソン社長が、投資家への最近のスピーチで言ったように、「消費者は、コミュニティの一部になりたがっている。それが、デジタルやヴァーチャル・コミュニティという場合もあれば、リアルなコミュニティということもある。自分が何かの一部だと感じたいんだ。関わりあいたいと思っているんだ」(249)
私も仕事のために札幌に「一人で」来たため、ともすれば職場以外にコミュニティのない「ハイマートロス」(故郷喪失者)であり「デラシネ」(根無し草)な男になるところであった。
シェアハウスに住み、コワーキングスペースを利用することで、私も「札幌」のコミュニティに参加する主体となれる。
「モノに囲まれた孤独な買い物客が、「幸せ」を体現しているとはだれも思わないだろう。今「幸せ」とは、より広く、よりインタラクティヴなプロセスになっているのだ」(270)
☆本書は「コワーキングスペース」誕生の経緯も描かれています(213ページ)。
「会社の机でも、自宅でもない場所。好きな時に参加できるパブリックな場所で、そこへ行くと必ずだれかに会えて、何か役に立つことをお互いに交換できるかもしれないスペース」。なおかつ「そこにいる人たちは、独りだが、同時に一緒に働いていた」(215)といえる空間。
Coworking Cafe 36も、この理念を外さずにやっていくことの大事さを改めて感じています。