アメリカ映画と「監獄」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

アメリカ映画には「監獄もの」が大変多く出てくる。

これは犯罪社会学的に見ると興味深いことだ。

『監獄の誕生』をはじめとして、ロイック・バカンなど現在の「監獄」を巡る議論は多い。「貧しきは監獄に」「民間刑務所」など、アメリカの監獄事情は大きく進化している。

映画でも「ロックアウト」や「マイノリティ・リポート」など、監獄制度を巡るSF映画は近年も多い。

一方、スウェーデンでは犯罪者と住民の「共生」をする監獄もある。
犯罪者が更生できるよう、
アメリカの「重罰化」とは正反対のベクトルに向かっている。

そんな中、アメリカ映画では犯罪者を「隔離」し、「脱獄不可能」にするという制度が大変多く描かれている。

アメリカ映画の描く「未来」は、重罰化・厳罰化の時代となっている。

この方向性の違いはとても興味深いが、アメリカ映画の描く「未来」は、今以上に犯罪者と「普通の」人を隔離する社会となっている。
こういった社会では、一度犯罪を行うと二度と「普通の」人に更生することは出来ない。

しかし、刑務所に入る人間の殆どは軽度な犯罪であることを考えなければならない。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください