私は「奇しくも」早稲田で大学・大学院時代を過ごした。
行きたくて行った大学ではない。
「そこしか受からなかった」から、早稲田の教育学部に通うことになった。
早稲田ではなく、本当は慶應に行きたかった。
けれど、「運悪く」行く事ができなかった。
慶應は皆で助け合う。
一方、早稲田は「単独者」。
慶應と違い、群れない。
その代わり、なんでも自分で・「勝手に」やることが賞賛される。
守ってくれるものがないからこそ、自分でやらなければならない。
私は卒業して、ようやく早稲田の気風がわかった気がする。
団体・組織に頼るのは慶應にやること。
早稲田はなんでも「勝手に」やる。
道がないなら、道を作る。
前例がないなら、前例を作る。
自分ひとりでも、何かをやる。
「早稲田は何もしてくれない。
しかし、〈何か〉をしようとすれば早稲田は応えてくれる」。
よく言われるメッセージだ。
早稲田にいた間も〈何か〉をしようとしていたが、
形にするほど自分はアクティブさが足りなかった。
早稲田を出た今、もっともっと、早稲田らしさを発揮していきたい。
早稲田の精神。
それが「勝手にやる」ということだろう。
歌に、「集まり、散じて」とか「学の独立」とかね。
関係ないけど。好きなクラシックピアノを。https://youtu.be/EXS5c6TXhKo
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