東京はガヤガヤ。
何が何だか分からない混乱さがある。
一言でいうと、「選択肢」が多すぎる。
札幌のような「スッキリ」さがない。
ときどき自分はどこにいるべきなのか、よくわからなくなってきた。
今日は秦野の学習塾の経営をされている方と会った後、
鶴巻温泉駅の「弘法の里湯」へ。
少し雨が降る状態で入る露天風呂は格別であった。
小田急線にのり、うとうとしながら電車に乗り、新宿へ。
いまは表参道の文具カフェを目指している(16時46分)
東京だからこそ行けるところ、
東京だからこそ行くべきところにいく予定である。
ただ、「行くべき」場所はたくさんあるし、
会いたい人・会うべき人もたくさんいる。
東京はスケールサイズがでかすぎる。
あちこち行くにしても、
荷物と暑さがジャマをする。
でも、それはそれで楽しい。
「旅」という感じがする。
それにしても人はなぜ旅にでるのだろう。
わざわざ、自分の可処分所得と可処分時間を切り裂いて。
旅の本質は「ヴァルネラブル」vulnerable。
不安定さと不確かさ。それと相付随する「自由」と「気楽さ」。
あちこちに行き、
不安な自分を感じ、
同時に自由を感じる。
日常性から切り離されるからこそ、
新たな発見がある。
それが旅の本質だろう。
旅に出て、
前から行きたかったところへ行く。
それはある意味、過去の自分との対話。
過去に望まれたことを実行に移す。
そういう面白さが旅にはある。
旅に出るならば、
いいノートかノートパソコンを持って行きたい。
そこはかとない思いや空想・幻想を
書き留めたいからだ。
いま『空間の現象学』を読んでいる。
旅とは別の空間との出会い。
空間が変わると、別のメッセージ性がもたらされる。
これはある意味、自分が別人になるプロセス。
そのかけがえのない瞬間を、何らかの方法で書き留めたい。
人間にはそういう欲望もあるのである。