不登校の「親」の眼差し。

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「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会」に参加している。

この集まりには、私は大学1年生から参加している。

大学時代は「フリースクールをやりたい」ために参加し、大学院時代は「研究のヒントをもらいたい」から参加していた。

いまは私立通信制高校で働いているため、友好拡大と情報収集と広報のため参加している(なんかだんだん打算的理由になってきている…)。

今日、もっとも印象に残ったのは「父親・母親が語る不登校」というセッション。

自分の子どもが不登校を経験した父・母によるシンポジウムである。

親にとって「不登校」というのは受け入れがたいものとして映る。

そのため、一生懸命「子ども」を変えようとする。

転向させる、医療機関に連れていく、などなど。

しかし、重要なのは「保護者自体が変わること」なのだ、と述べていた。

親が自分の子どもを受け止めること。

そして認めていくこと。

彼/彼女がなぜ「不登校」を選択したのか、その理由を受け止めていくこと。

その上で、「いま」を充実させていけるよう、「いま」を楽しむこと。

不登校を契機に、子どもも親も人間的成長できるのは、素晴らしいこと。

そんなことを学んだ。

「こう生きなければならない」という思い込みを捨てて見ること。

そうすることで学べることは多くある。

まさに「不登校は文化の森の入り口」なのである。

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