大学時代の…

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最近、学生団体の運営に携わっている人とよく話す機会がある。

その方と話すに連れ、自分の大学生時代の記憶がフッと浮かんでくる。

大学時代の私は、4つのことをしていた。

1つは高校の寮のボランティア(これ、今思うと相当ハードでした)。

2つ目は講演会サークル。

3つ目はバイト(出版社のアルバイト)。

4つ目は教育について考えること(図書館、各種学校や団体への訪問などなど)。

1つ目と2つ目は、私に「組織」に関する知見を提供してくれた。

ネガティブな面もかなりあるが、ポジティブな面ももちろんある。

よく「変わってますね」「変ですね」と呼ばれることが多い私は、
なかなか組織の中で「やっていく」のがすごく苦手だった。

だんだん組織に多く関わるにつれて、組織にコメントすることも出来るようになったが、どうも折り合いがうまくつかないことが多かった。

しかし、私は「逃げる」ことはいけないことだと思い、しつこく行き続けた。
それはなかなか「しんどい」ことだが、得られたものは本当にその「しんどさ」を投資するに値するものであったか、いささか疑問であった。

その頃の私は、「参加している組織に関わり続け、少しずつ変えていく」方法論を取っていた。

この方法論は、うまく行くと組織と自己の関係性を両立させるということが取れるものである。

でも、逆に言えば「両立できない」場合は必ず組織とぶつかるというデメリットがある。

私は同じ組織に4年関わり続けた。
組織の辛さを実感していたが、「逃げ」ないでやっていた。

頑張ったつもりではある。
かなり自分の時間を「投資」した。

しかし、これらの組織から得たものは本当に「投資」を回収するだけのものだったのだろうか?

この疑問が残り続けている。

むろん、楽しい思い出も、
いろんな人と関わった喜びもたくさんあった。
感動の涙を流したこともある。

でも、いまだに私は組織への投資分を回収できたかどうか、疑問を感じている。

なぜ私はそう感じるのか?

その理由はただひとつ。
私が、過剰に/一方的に組織への過剰な思い入れを持ち続けていたため」である。

本当なら、私は「組織」以外のものでも自分を保つ空間や「場」を作る努力をもっと行うべきであったのだ。

本当なら、いくつかの「組織」への参加にこだわらず、もっと複数/多数の関係性を作る努力をすべきであったのだ。

この努力を怠っていたために、「組織」への一方的/独善的な思い入れを行い続け、最終的には「私の投資分を回収できていない」実感につながっていたのだろう。

依存的な関係性は、あまりうまくいかない。
これは個人のみならず、組織に対しても当てはまる。
(勝間和代の『まじめの罠』でもある)

今後の自分の生き方も含めての、結論。

1,ある組織への過剰な思い入れをやめる。

2,いろいろな組織・団体・ひと・場所に移動し、「自分」を形作り続ける努力をする。

3,いろんな組織・個人を見ながら、自分にとって居心地のいい組織・コミュニティを「作る」努力をしていく。

…そういうことに思い至った。

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