書評:フランク・スミス『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう?』大学教育出版 2012。
生徒は「何もしていない」ように見えて、必ず「何か」を学んでいる。
そういうテーゼが本書の土台にある。
人は常に何かを学んでいる。
生活するということは、人との交流・本・雑誌・新聞から自在に学ぶという事を意味する。
生きることは「学ぶ」ということなのだ。
決してテストの点を取るために学ぶのではない。
…こういう話は本書の主題ではあるが、「よく聞く」話の一つでもある。
「聞き飽きた」人もいるテーゼだ。
本書の面白い点は、《テストの点数への信仰》が起きた原因の分析が独自である点だ。
スミスは「心理学」がテストの店への信仰を招いた、と指摘する。
心理学、とくに20世紀前半の行動主義心理学は「数値化」するためにいろんな工夫をした。
全く無意味なアルファベットの並びを覚えさせ、再現させるという何の意味もない実験。
これが「エビングハウスの忘却曲線」をつくった。
この忘却曲線の理論は、たとえば「aqpezdge」などという適当なアルファベットを覚えさせ、「どれくらいで記憶が半減するか」を調べたテストである。
無意味なことばを覚えることって、日常生活にどれだけあるのだろう?
そんな「無茶」な前提から、学習に関する理論化が進んでいく。
有名な「パブロフの犬」も、条件反射によって「どんなに無意味なことも学習させることが可能だ」という恐ろしく「間違った」前提がもとに作られた理論だ、と説明する。
心理学は「客観性」のために、「数値化」「実験」を重視した。
「数値化」や「実験」が可能な「学習」なんて、ほとんどない。
そのために作り出されたのが、「テスト」のように質問の答を出させるというスタイルだ。
それは「話をしながら相手の名前が自然に頭に入ってくる」という「学習」も、
散歩をして偶然見つけた看板を見て「こういう地名があったんだ!」という「学習」も、
心理学では「学習」にみなされない。
…生活に役立つ「学び」であるのに。
もっというと、いろんな人の間での学習も、心理学では「学習」にみなされない。
そのため、人々は「知らない」ことを人に聞くことを「ずるい」と考えるようになる。
大阪市を始めとして、テストの点数や教員への「管理」が広まる気風があるが、そういったものは教育の本義ではないことが本書を読むとよく分かる。