教育者の誇り・喜び

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理想の図書館作りと子供の教育に思いをよせ、道半ばで倒れたある司書の偲ぶ会=茨城・八千代https://news.livedoor.com/article/detail/3255779/

教育者にとっての幸福は、「自分が、他者の何らかの役に立った」との実感であろう。その思いを、私は下に記した無名の一司書から知ることができる。また、いろんな学校の創設者の思いや教師の喜びも、そこにあるのであろう。

教育は、もっとも人から感謝されやすい仕事であるかもしれない。

【PJ 2007年08月03日】- 7月29日、茨城県八千代町の図書館で『山中治雄を偲ぶ会』が開催された。・・・といっても、誰もが「山中治雄さんって?」と思うだろう。そう、昨年の7 月14日、48歳で癌のために帰らぬ人となった無名の一司書である。だが、山中さんの友人、知人は勿論、八千代町の図書館を利用してきた人、本の好きな人 の殆ど、町の子供の多くが、今も彼の志半ばの死を心から惜しんでいる。

 八千代町の図書館がオープンしたのは1999年7月であったが、決して順風満帆に立ち上がったわけではなかった。一部の町の実力者や町民の反対もあったし、政治的な思惑の渦に立ち往生しかけたこともあった。

 そういう中、町の公民館の図書室に勤務していた何人かの、本をこよなく愛する若者がどんな壁にも屈することなく、図書館設立に邁進していったのである。

 その中心となった若者の一人が、山中治雄さんであった。山中さんの盟友であり、ともに図書館設立に力を尽くした中村宏さんに偲ぶ会当日、山中さんのことについて伺った。

  「とにかく本と子供が好きな人でしたね。本というものが、子供の成長にかけがえのないものになることをよくわかっていて、だから、町に図書館を作ることへ の情熱は素晴らしいものがありました。90年代を代表する福岡の苅田図書館、近くには水海道図書館などを理想として、よく勉強していました」

 「ある時、『司書の仕事をしなかったら何になる?』と訊いたら、『教育研究所を立ち上げたい』と言ってました。町の子供たちの未来を案じていて、そこに自分も本気で関わっていきたかったんですね」

  「二年半前の12月28日、その年の仕事納めの日でした。気分が悪くなり救急車で病院へ・・・。この日から大腸がんとの闘いがはじまり、昨年の7月14 日、とうとう。彼は最後の最後まで諦めなかったと思いますよ。ずうっと明るかった。図書館と子供の教育の夢を語っていた」【了】

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