義家弘介の言葉。教育の定義

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「教育は利益産業ではない。そしてそれを司る場所の一つが学校であるならば、教師たちは効率を優先させて生徒たちを置き去りにしてはならない。労を惜しんではならない。生徒と関わり、本気になって生き方を迫る、それ以上に大切なものなどありえない。私はこの北星余市高校という場所でであった教師たちの背中を見て、それを学んできた。」

「教育とは『権威や制度』による導きなどではけっしてない。教育とは『真の思いと情熱』の導きに他ならない。私は決して忘れない。私自身が、泥だらけの真っ直ぐな思いだけに救われながら、今日まで歩んできた不良少年だったことを・・・。」

「教育とは可能性を持つ者に感動を与えてもらえる、すばらしい営みなのである。」

「教育とは儚いものである・・・。」

「優しさと甘さは違う。教育とは厳しいものである。しかし反面、それは何よりも暖かいものでもある。教育とは人類の未来を創造する、もっとも崇高な営みなのである。」

→いずれも『ヤンキー、母校に生きる』より。

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