映画

シェーン、三十郎、Come back !

~ヒットした映画に潜む、型あるいは図式についての一考察~

 黒澤映画『用心棒』(1961)と『椿三十郎』[1](1962)はリンクしている。もともと『椿三十郎』は「『用心棒』の続編を撮れ」との東宝の依頼で作ったため、当然といえば当然である。黒澤は続編にはせず、別の映画として撮った。しかし、主人公のキャラクターや設定は同一なのだ。[2]三船敏郎(三船美佳の父である)演じる桑畑三十郎(『用心棒』)と椿三十郎(『椿三十朗』)はどちらも≪フラッと来て、問題解決をし、フラッと去っていく≫点でつながりがある[3]
 アメリカ映画『シェーン』(1953)も、『用心棒』・『椿三十郎』と同じく≪フラッとやってきて、問題解決をし、フラッと去っていく≫図式の映画である。今回は、ここで示した3作品の共通点・相違点を見て行きたい。

 どの作品も、≪フラッと来て≫、〈正義〉[4]の人にお世話になり、〈悪者〉一族を倒し、〈悪者〉の中で特に腕が立つもの―いわばライバル―を1対1で倒し、そしてフラッと去っていく点で共通である[5]
 共通するそもそもの疑問として、なぜ主人公が旅をしているのか、という点が浮かぶ。主人公は腕の立つガンマンや侍であるのだが、どうして一匹狼・風来人になる必要があったのか。映画では全く描かれない。しかも利益を目的としているのでなく、任侠心からボランティアで、命の危険を冒して〈正義〉を助ける。現代風にあらわすなら、《大企業の妨害行為により、倒産寸前となった零細企業を、フラッとやってきた主人公が建て直しを図る》[6]とでも示せるであろうか。利益のためでなく、《自分の力を社会に役立てたい》との思いから行動しているといえるのであろうか。

 下に、三作品の比較対照表を作ってみた。参照していただきたい。比較してみると、時代設定や場所こそ違えど、共通する要素の多いことがお分かりになるであろう。

 この≪フラッと来て、問題解決をし、フラッと去っていく≫図式のように、ヒットする映画にはある程度の型や図式があるように考える。これから、そういった図式を見つけていきたいと思う。

[1] なお、『椿三十郎』は角川がリメイク版を2007年に出している。
[2] ほかに、『用心棒』・『椿三十郎』はBGMが同じであるという共通点がある。
[3] 『用心棒』は桑畑三十郎が農道を歩くシーンから始まる。その際、三十郎の背中が写るところから始まる。『シェーン』とも共通しているシーンだ。『シェーン』では馬上のシェーンを背中越しにアップするところから始まる。対して、『椿三十郎』では神社の境内で話し合っている武士集団の話を、三十朗が隣の部屋で盗み聞く場面から始まる。『椿三十郎』は≪フラッと来て≫とは言いがたいが、偶然いざこざ(これは主人公が世話になる〈正義〉の集団あるいは個人と、〈悪者〉間のいざこざである。各映画との対応は表を参照のこと)に巻き込まれる。
[4] あくまで、主人公や映画鑑賞者からみて〈正義〉である、との意味で〈 〉を付けている。〈悪者〉も同じである。〈悪者〉から見れば、シェーンや三十郎は《突然やってきて、敵方に味方する、よく分からない変な奴》にしか見えていないのだ。
[5] ほぼ無傷で去る『用心棒』や『椿三十郎』と違い(どちらも「あばよ」と告げて去っていく。背中のアップと共に終わる)、『シェーン』は傷だらけで去っていく(例の「シェーン、カム・バック!」との男の子の声と共に、ふら付きながら馬で去る。死を暗示しているとの見方もある)。
[6] この設定は伊丹十三の『スーパーの女』(1996)に共通している。食品スーパー「安売り大魔王」に押される、「正直屋」の社長・小林五郎のもとに、幼馴染の井上花子がフラッとやってくる。そして彼女の主導の元に「正直屋」を建て直し、「安売り大魔王」に打ち勝つ。最後は彼女と「正直屋」社長との結婚が暗示されるところで終わる。主人公が〈正義〉と一緒になる(ここでは結婚するということ。風来人が〈正義〉と一体化する、ということを意味する)点はシェーンや三十郎と違うが、≪フラッと来る≫点と《別に頼まれてもいないのに、〈正義〉に協力することになる》点は共通している。

映画『椿三十郎』

見た。

最近、黒沢映画が面白くてたまらない。

見ないで死ぬのは勿体ない。

いきなりの緊迫シーン。

懐手で歩く時肩を揺らす。このスタイルの格好よさ。
常に落ち着く・堂々とすることの大事さを知る。

椿三十郎の台詞は全てをメモしたくなる。

「岡目八目ずばりだ。見てみな」
「十人だ! てめえらのやることは危なくて見てられねえや」
「間抜けな味方の刀が敵の刀より危ない」
「俺だ、開けろ」

緊迫した合間に、ユーモラスなシーン。

せっかく散々助けてやっているのに、味方が三十郎をうたぐる発言。人間の忘恩を思う。

映画評論 黒澤明『蜘蛛乃巣城』(1957年)

文豪・シェークスピアの描く悲劇は、現代にも影響を与えている。イギリスには、シェークスピア作品中の言葉だけで、一日の会話を成立させることのできる人もいるという。日本では、少なくとも黒澤明の映画に影響を与えている。この『蜘蛛乃巣城』はシェークスピアの『マクベス』を基にした作品だからだ。鑑賞後、『マクベス』のあらすじを読んでみたが、「そのままじゃないか!」との思いを強くした。ヨーロッパの話を、戦国時代の日本で成立させてしまう、黒澤の力の底知れなさを思う[1]

 鷲津武時(わしづ・たけとき)という武士が、討伐からの帰路、森の中で「物の怪」(もののけ)に会う。老婆の姿で、物の怪は≪あなたは北の舘の主となり、蜘蛛乃巣城のお城主様になる≫と鷲津に語る。同行していた親友の三木義明に対しても、物の怪は≪あなたは一の砦の対象となり、息子が蜘蛛乃巣城のお城主様になる≫と語った。城主のもとに帰った際、二人は予言の通りの役職に新たに任命される。大して予言を信じていなかった二人の顔が、はっきりと変わる。
 鷲津自体は「北の舘の主で十分。城主を狙うなんてとんでもない」というが、妻の浅茅(あさじ)にそそのかされ、城主を討ってしまう。三木の息子を次の城主にしようとするが、またしても浅茅の説得に負け、三木とその息子を殺そうとする。三木本人は亡くなるが、息子は逃走した。
 城主と親友を殺してしまった鷲津。予言どおり、蜘蛛乃巣城の城主となるが、精神的に不安定になってしまう。部下たちをスパイと疑い、何人も斬ってしまった。
 最終的に、蜘蛛乃巣城を前城主の息子・国丸と、三木の息子・義照の軍勢に囲まれた中、鷲津は家臣たちに雨のように矢を放たれ、殺されてしまう。

 この物語では、鷲津の妻・浅茅がキーパーソンである。はじめ、鷲津は自分の名誉欲を「主君への忠誠心」で抑えようとした。しかし浅茅によってそそのかされ、主君に槍を刺してしまう。主君のみでなく、自らの出世の妨げになると考え、親友の三木すらも斬ってしまう。人間は周囲に翻弄されてしまうものであるのだ。
 確固たる意志がなければ、人間は不幸になるのかもしれない。鷲津は城主になるという、当初思っても見なかった願望をかなえることができたが、親友を殺し、家臣に信頼をおくこともできなくなってしまった。結局は家臣の手によって放たれた弓に刺されなくなってしまう。これは悲劇である。
 自分は何のために生きるのか。自分なりに考え、答えを求めようとすることだ。鷲津は意志の固い男であるが、浅茅にそそのかされると良く考えもせずに動いてしまった。短絡的行動は、時として自らの破滅を招く。常に自分をメタ認知し、可能な限り考える姿勢を保っていくべきであろう。
[1] シェークスピアの生没年は1564~1616年なので、年代的には日本の戦国時代にあたる。そのため、シェークスピアの物語とこの『蜘蛛乃巣城』は同時代性を持っている。

映画『容疑者Xの献身』

 今日、久々に映画館に行った。友人とともに。

 容疑者Xの献身であるが、あの結末はいかがなものかと。

 別にあの人を殺さず、バラバラ殺人にしていればよかったのではないか。(ネタバレ注意)

 暗いだけの石上の人生に、ひとときでも輝きをもたらせてくれた。この感謝の思いが、別の形で表現されることはなかったのであろうか。

 教育学徒として一言、ふたこと。
 その一。石上、授業にやる気なさ過ぎ。教師であるならば、生徒の理解水準まで降りて授業をするべきだ。自らの自己満足の授業であってはならない。
 その二。研究者になる道は厳しい。石上は、「その一」でもいったが教員になるべき人間ではなかった。学者としてなら、本当に大成できたはずだ。研究志望者が研究者となれないところに、この世の不幸の一つがある。もっと大学院生に資金の提供をしていくべきかもしれぬ。
 鷲田小彌太は《研究者になるなら、10年間研究し続けることに耐えなければならない》といっている。10年間無収入に近いなか、いかに戦い抜くか。ここに研究者になることの厳しさを思う。

映画『いのちの食べかた』

 静かな映画である。

 この映画を観たい人は、夕食前に行くといい。見た後、吉野家か松屋にでも行ってみてほしい。食欲がわかないことに気づくはずだ。

 「衣食住」という言葉がある。「食」をバカにすることは命をバカにすることだ。しかし、現代の消費社会ではどのように食べ物が作られているか、「知る人ぞ知る」状態であった。

 チャップリンの「モダンタイムス」を見た人は、ベルトコンベア式に作業が進められる工場を目にしたはずだ。消費社会における食べ物も、全く同じく合理的・科学的に「製造」されていることを、私たちは知るべきかもしれない。

 「工場」では、製品をより分ける。りんごのように、ヒヨコも選別する。ニワトリの肉体すら、選別する。なんともおぞましいものを感じた。

「羅生門的アプローチ」は、「藪の中」に潜んでいるのか?映画『羅生門』(1950年)

 日本にクロサワあり、と西欧に知らしめた作品、それが映画「羅生門」。映画「羅生門」は、芥川の小説『羅生門』(きっと国語の教科書で習ったことがあるはず)の設定から「羅生門の下で話をする」部分だけ借りてきている。そして男たちが門の下で話す内容が芥川の別の小説『藪の中』のストーリイなのである。なかなか、ややこしい話ではあるが、要はこの映画の原作は芥川の『藪の中』なのだ。

 この作品、日本ではあまりはやらなかったが、海外の映画祭で絶賛(ヴェネツィア映画祭でグランプリを受賞)された。教育界にも影響があり、教授法として「羅生門的アプローチ」と命名されているものがある。この命名、私も教育学部に入ってからの疑問であったが、ようやく晴れた。「人によって見方が違う、やり方が違う」ということを、非常に比喩的にまとめた言葉であったのだ。

 

映画の内容。山奥で、男の死体が見つかる。この殺人事件に関わった人物が、検非違使、今でいう裁判所で、次々証言していく。「私が男を殺した」という人物が二人もいる。ありえないことだが、「殺された男」までも、霊媒師の口を借りて証言するのだからレベルが高い。そしてその証言が、互いに食い違う。丁寧に、その証言に合わせて映像を作っている。事件関係者の性格が、語る人次第で別のものとなる。

原作では「殺された男が真実を語っている」ように読めるのだが、映画はもっと凝っている。「人間は自分自身にさえ、白状しないものだ」、「人は都合のいい嘘を本当と思う。そのほうが楽だからだ」等々、登場人物たちの発言も面白い。案外人間の記憶はあてにならないことが示されていく。

果たして男を殺したのは誰なのか。そしてどういう経緯で犯行がおこなわれたのか。真実が明らかになった後、事件関係者たちの発言を振り返れば、どの人物の発言にも一定の真実があったことに気づける。

検非違使の法廷で関係者の聴取が行われる際、後ろに「目撃者」2人が常にじっと座っている。特に動きもしないが、とにかくじっと座っている。真っ白い庭に2人が常に事件関係者を見つめているという構図が、非常に印象的であった。

 

実はこの映画、最後まで見れなかった。中央図書館のAVルーム使用時間が来てしまい、再生開始80分目でストップがかかった。WEB上のレビューで見る限り、ラスト8分で人間への希望(この映画では人間の醜さが、美しい映像の中で描かれていた)が語られるとのこと。早く観てしまいたい。これほど、58年前の映画に引き込まれるとは、思ってもみなかったからだ。

追記

●ブログで過去の自分の記述を見ると、いささか気恥ずかしくなる。

「よくもまあ、こんな文章を人様の前に晒す気になったものだ」と感心してしまう。

●実際に『羅生門』のラストシーンを確認してみる。「ヒューマニティー溢れる」内容ではあった。けれど、その前段階で終ってしまっても良かったような気がする。

ラストを見逃した映画。ラストを見ない方がよいこともある。

自殺・じさつ・ジサツ 映画『The Bridge』(2005年)より

 郷里・兵庫の八千代町。この隣町に、湖があった。名を翠明湖(すいめいこ)という。陸上部時代、この湖の周辺を走っていた。巨大な橋が、湖を横断している。その上を走るとき、なぜかしら寒気がしていた。立ち止まり、覗き込めば吸い込まれそうになる。この「巨大さ」がもたらす怖さと相まって、この橋からひとが何人も身を投げた、という事実が私に寒気をもたらしたのだろう。小学校時代の先輩も、この橋から飛び降り、命を絶った。どういう事情だったかは未だに知らない。映画『The Bridge』は忘れかけていた、私の中学時代の記憶を呼び戻してくれた。

 アメリカ・カリフォルニア州・サンフランシスコに架かる、ゴールデン・ゲートブリッジ。「太平洋からサンフランシスコ湾に入る通路をなす海峡」(『広辞苑』第5版)、金門海峡の上にある。年間900万人が観光に訪れる。2004年はそのうち、24名が橋から身を投げた。この橋で命を断った人の数は、1250名になる(映画より)。水面まで67メートル。即死。世界最大の自殺の名所、と映画では言っていた(私は東京のJR中央線だと思う)。

 ゴールデン・ゲートブリッジに設置した4台の定点カメラが、橋を写し続けた。映画は、定点カメラ映像と、自殺者に近しい人たちのインタビューから構成されている。映画冒頭、中年男性がいきなり橋の欄干を飛び越え、落ちていく。あまりにショッキングだ。午前4時に映画を観ていると思えぬほど、衝撃を受けた。

 観ていて気づいた点。よく晴れた日に、人びとは自殺している。カリフォルニアに晴れが多いから、当然といえばそうであるが、インパクトがある。自殺はじめじめした、暗い天気の日にやるもの、というイメージが私にあった。まさに飛び込む瞬間を見ていた人のコメントに、‘笑顔で飛び込んでいった’とあったことも印象的であった。 
 気づいた点の2つ目。自殺者に近しい人たちは、自殺前に、何らかの兆候を受け取っているようだった。たとえば‘俺はもうすぐ自殺する。ピストルでは汚れてイヤだ’などの直接的な表現。これが数年前から続いていた。回想し、「もっと愛があれば…」など、近しい人たちが後悔の念を吐露するシーンもあった。

 「本作の目的は自殺問題に答えを出すというより、我々の社会と自殺について問題提起をすることなんだ」とは、DVD収録・監督来日インタビューの言葉である。自殺は身近にある。にもかかわらず、人びとの関心をあまり引かない。日本では交通事故死は年間5000件程度。自殺は3万人。「自殺に悩む人がオープンに話せる環境づくりや彼らをポジティブに支援する方法が必要だ」とも監督はいう。

 カリフォルニアの快晴をバックに、何人も海に飛び込んでいく。しかし、我々は自殺を暗闇で、ひっそりと行われるもの、と考えている。自殺を考える人は、別の世界にいる、というように。無論、人が観ていないところで通常は自殺が起こっている。物置で、自室で、森の中で、自殺はひっそりと行われる。けれど、自殺は陰に隠すべきものではない。交通事故と同じく、あるいはそれ以上にありうべきことである。社会でも対策を採っていくべきだ。「自殺」というテーマを広く社会で議論しあっていくべきだ。カリフォルニアの太陽のように、白日の下に晒すのだ。「現実や真実を見ることを拒否するのは、助けやケアを必要としてる人びとに対しひどい仕打ちをすることになるんだ」(監督インタビューより)。

 ドキュメンタリーの目的は、現実の問題点を多くの人びとに知らしめることにある、と私は考える。編集の仕方によって現実が歪められる可能性はあるものの、ドキュメンタリーでしか伝えられないことがあるはずだ。「知らない」ということは、ある意味で幸せである。「知る」ことには、義務を伴うからだ。知ってしまった以上、何らかのアクションを起こさないことには、被害者に申し訳が立たなくなることがあるのだ。