上野圭一・辻信一『スローメディスン』(大月書店)

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 前の日曜日、高田馬場で『スローメディスン』の出版記念シンポジウムが行われた。出版記念のシンポジウムに行くのは、初めてである。作者2人の話の中に、著作の裏話が現れる。本を作る過程が見えて、なかなか面白かった。

 スローメディスンとは、要は「オルタナティブ医療」(代替医療)ということ。あるいは「ホリスティック医療」ということである。西洋医学だけでなく、針やお灸・漢方などの東洋医学も復興すべきだ、また気功・スピリチュアル的治療も認めていこう、という内容である。

 オルタナティブという言葉を聞くと、私の血が騒ぐ。私の専門のオルタナティブ教育を思い起こすためである。話を聞けば聴くほど、私の専門分野との共通点が浮かび上がってきた。

 オルタナティブ医療もオルタナティブ教育も、メインストリームに対するものとして立ち現れてきた。オルタナティブ医療の方は西洋医学、オルタナティブ教育の方は「学校」教育。西洋医学も「学校」教育も、「それ以外は駄目」という圧力のもとに「それ以外のもの」を否定してきた。例えば針灸、例えばフリースクール。「切り捨て」をしてきたわけである。

 けれど、原点に帰らなければならない。医療は人の治療をすることが目的だ。その目的を達成するためなら、西洋医療以外を使ってもいいではないか。同様に、真に子どものためになるのなら学校以外で教育を行ってもいいではないか。

 

 シンポジウムの質疑応答の際、疑問を感じた点がある。代替医療を押し進めたとき、例えば「手かざしで病を治します、その費用は100万円です」ということを主張するカルト宗教への対応である。講師2人の意見は、そこで割れた。

 辻信一は「手かざし、つまり気功で病を治す人々はいる。だからそういう人々を排除することがあってはならない」と語った。一理ある。本当に手かざしで治療できる人が現にいるからだ。問題はそんな能力がないにも関わらず「手かざしで治す」と言い張るカルトをどうするか、という点だ。けれど辻はその可能性を言及していなかった。辻に違和感を感じる。

 上野圭一は「宗教的行為と治療行為は分けなければならない」と語る。そして、純粋な治療行為に対しては「代替医療」と認めていくべきだと主張した。宗教的な部分については代替医療と認めない方が良いと指摘する。その際、治療行為の費用が他と比較して正当な金額かを考えていく必要があると語った。「同業者団体が自然発生的に作られ、その内部規定が出来ていく必要がありますね」とまとめていた。つまり、「このような治療(手かざし等)には、これくらいの金額にしましょう」という内部規定だ。この上野の説明には納得できた。

 

 辻・上野両氏の話を聴いていて、次のようなケースを思いついた。成功率10%の手術(つまり西洋医療)に100万を出す人は、成功率10%の「手かざし療法」(オルタナティブ医療)に100万を出すかどうか。成功率ではどちらも同じだ。けれど、手かざしに100万を出すのは「インチキではないか」との疑惑がどうしても残る。何故、私はこう感じてしまうのか、よく理由が分からない。

 辻と上野の見解の相違は、オルタナティブ教育を考える際にも有効である。いま、「学校」教育以外のオルタナティブ教育を、「学校」同様に認めていく方向に政策が変わったとする。その結果、ヤマギシ会やオウムが作ったような胡散臭い教育機関も認めていく方向になったとする。戸塚ヨットスクールも当然「学校」同様に認められるだろう。そうなることは本当に良いことなのか? 「何でもあり」という状況が現れることは、本当に子どもの教育に役立つのだろうか。

 教育機関が「何でもあり」になるとき、上野が語る「同業者団体」の存在価値が高まってくるように思える。子どもや保護者が教育機関を選択する際の指標とすることができるからだ。上野のいう「同業者団体」として、いまフリースクールは「フリースクール全国ネットワーク」という組織をもっている(厳密には、他に「日本フリースクール協会」と「日本オルタナティブスクール協会」がある)。この組織に入るには「子ども中心の学び」を行っているか否かなど、細かな点のチェックが行われている。教育機関を自由に選択できるようになったとき、同業者団体の存在が、選択に安心感を与えるであろう。同業者団体に必ず所属しなければならない、ということはない(それはイリッチでいう「価値の制度化」にあたる)。選択する人がいる限り、同業者とは全く違う教育理念を持つ教育機関はいくらでもあっていい(一部の人に有効という観点から、私は戸塚ヨットスクールにも一定の評価を与えている)。

 

追記

「職業的な医者への依存の構造が、私たち一人ひとりの心のなかにできあがってしまった。子どもが熱を出したら、自分で手を打つことなしに近くの病院に駆けこむ。昭和30年代までは、病院出産と自宅出産が半々だったのが、それを境いにだんだん病院化してくる」(111頁、上野の発言)とあった。

 この文を読んでいて、イリッチの『脱病院化社会』という本を思い出した。未読なので、読んでみたい。そう思うのである。

追記2

 オルタナティブ教育も、ただ「フリースクール性」を担保するよりも、「何でもあり」で「自分が自分で学ぶ」「自分を教育する」自発性の視点を失ってはいけない、ということだろうか。こういったフリースクールの「フリースクール性」についての考察を行っていくことが必要である。

 

追記3

 上野・辻の話を聞き、代替医療やオルタナティブ教育の「基準を立てる」というよりも、代替医療やオルタナティブ教育全般を認めていき、それぞれが自発的に同業者団体をつくっていくことが必要である、ということを学んだ。

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