「わたし」を如何に作るか。

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 失恋は苦い。けれど、それにより「わたし」という存在がより深いものになる。アーレント風に言うなら、「振る」異性の存在(=他者)が私を豊かにする、ということか。

 「わたし」という「主体」を形作るには、「苦しみ」が必要である。高岡健は、人間は年上と年下の異性から別れを告げられない限り自分と向き合うこと・「わたし」を深めることは出来ないと語る(『16歳からの〈こころ〉学』)。
 教育という制度の欠点は、本来自分でやるべき「主体(=わたし)」の構築を、教育制度が行えると思ってしまうところにある。過ち・失望・絶望・孤独から子どもが学ぶのを「危険だ」と考え、そうならないように何かを教える。例えば性教育、例えば消費者教育。それが別の種類の絶望(=学歴信仰など)を生んでもいるのであるが。
 究極的には、教育で ひと(=わたし)を作ることは出来ない。教育に出来ることは ひとをその人の内面に向き合うことを手助けすることである。決して、「教える」ことで代替はできない。
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